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先生と言っても大半が身銭を削ったボランティアの方ばかりで、歯痒く、悔しかったり、馬鹿馬鹿しくなることの方が多いのは本当に分かる。
適当にしてればそんなこともないんでしょうけど、真剣で情熱があればある程、ストレスが溜まるもの。
当然、ストレスが溜まるのはお互い様な部分はあるんでしょうけど、議論をしても分かり合えないこともあるので、諦めることも必要なのかなと。
自分が学んだことは、全ての人間が義理や人情を備えていると思わないこと。
ボランティアだ何だと言っても何も感じない人は感じない。
世の中には自分だけ良ければいいと考えている人なんて幾らでもいて、欲深くなって周囲が見えなくなる人であったり、洗脳とまではいかないまでも人は変わるもんだと思っています。
教えて貰って当たり前、準備して貰って当たり前の人もいる。
自分的にはある程度歩み寄ってみて無理だと判断すれば、それ以上は何も求めないことにしていた。
悲しいかな、そこには子供が巻き込まれることもあって、『子供に罪はない。』と何度か聞かされました。
しかし、他の先生方はどうか分かりませんが、そんなことは百も承知で、だから歩み寄るし、理解し合おうとするんです。
ま、大人だし、一度信頼関係が交錯してしまうとなかなか難しい。
自分は適当にってのが出来なかったしね。
当然、指導する側には、なぜここまでしているのにという感情もあるし、される側にも言い分はある。
けど、忘れてはならないのは、持ちつ持たれつ、義理、人情、思いやりがある人達がいて、
歩み寄りや修復する時間があるならば、そういった人に時間を費やしたい。
自分的にはその辺が器用ではないから上手く出来なかったけど、そういった方に対する感謝の気持ちや勝たせたいという使命感だけは持っていた。
大半の指導者は見返りの期待なんて一切していない。
ただ単に勝たせてやりたい、楽しませてやりたい、親御さんに頑張ってる姿を見せて喜ばせてやりたい。
それだけだと思うが・・そんな気持ちが強ければ強い程、やってられなくなることも多いんだろうな。