環境というものを考える。
恵まれた環境、恵まれていない環境。
何をもって恵まれていて、何をもって恵まれていないのか、少年柔道であらば、練習相手であったり、熱心な指導者の有無等になってくるのでしょうか。
環境なんて、本人のやる気次第とよく聞いたものですが、やはり何事も環境が整った場所で行うのが理想。
ただ、思うのは、確かに環境が良いにこしたことはないが、環境の良し悪しを語るのであれば、まずは、やるべきことをやり尽くしてからでないと『逃げ』や『言い訳』になるのではないかと思う。
言わずとして、人間というものは、思い通りに事が進まないと、とかく環境や他人のせいにしたがる生き物。
私自身も、上手く事が運ばない時、幾度となく環境に矛先が向かったが、その都度、悔しい気持ちを胸に秘め、自分を省みようと矛先を変えてきた。
雇われた身であれば、環境が合わないだなんて通用せず、環境に合わす努力をしなければならないと思うし、今ある環境に納得出来なければ、まずは置かれた環境下で最大限の努力をしてから語るべきだと考える。
公私にわたって、簡単に環境が云々の話を耳にすると、何だか複雑な気持ちになる。
大悟と歩んで来た道程を思えば、自分はそう簡単に口にすることは出来ない。
どのような将来が待っていようと、自己責任と思えるよう、その場、その場を悔いなく取り組んでいたいものだ。