稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.10(昭和59年11月5日、前項、No.9より続く)

2018年05月30日 | 長井長正範士の遺文


このように技の変化により力の入れ方も変わってくる。

一体、剣道は簡単に心身の鍛錬と言うが、
心がどの技の時にどの肉体の部分を鍛錬するのか、
はっきりと知らなければならない。

そこでもう少し分解して言うと、構えた時は下腹、
打ち間に入る時は中腹(すっと息を吸って入れば下腹の力が中腹に移り、
肉体が全体にやわらかくなり無理のない自然体になる)、
甲手を打つ時は、咽喉から吐き息で「コテ」と掛け声を出して打つ。
面を打つ時は上腹(水月=みぞおち)から「メン」と掛け声を出して打つ。

例えば甲手を打ち、ひるんだ隙に面を打つ時の掛け声と
肉体の力の入れ方の変化を考えて貰えば判る筈である。

このように心と肉体のつながりを研究解明しなければ心身の鍛錬にならないのである。
(その他、足腰や腕、又その末端の指等の働き、力の入れどころなどは後述する。)

それを知らず、どの技でも下腹からばかり掛け声をかけて打つと、肉体のバランス上、
両肩に力が入り、右腕も堅くなり、無駄な力が入る為、呼吸が乱れ、長続きしないのである。
即ち、力の剣道は長続きしない所以はここにある。

このような剣道はある程度強くなるであろうが、それ以上は伸びないし、変に固まる。
それに反し、精神の発露からくる鍛錬は無限であり、年老いて益々上達疑いなし。

注:下腹の力を抜いて水月で面を打つと腰が引けると思う人があるが決してそうではない。
面を打つ瞬間、心=気(水月)で打っているから足腰が自然に伴い腰が入っているものである。
よく研究体験して貰いたい。

この項終り。
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