【飛火野→萬葉植物園→国宝殿→東大寺】
久しぶりにホルンによる鹿寄せの場面に遭遇した。4月13日午前10時ごろ、春日大社参道前でバスを降りて程なく、奈良公園飛火野園地の大クスノキのそばからホルンの音が聞こえてきた。吹くのは鹿愛護会の法被を着た若い男性。ホルンを吹き続けるうち、西側から十数頭が列を成して駆け寄ってきた。次いで東側の森の中からも20~30頭。鹿たちはあっという間に男性の周りに群がった。
見物客もホルンの響きに吸い寄せられるように次第に増えて数十人に。大半は欧米からの旅行客らしく、歓声を上げながら鹿せんべいをやったり、写真を撮ったりしていた。ホルンの男性は大きな籠からドングリを撒いて、観光客の求めに応じ一緒に記念写真にも収まっていた。広大な芝生が広がるこの飛火野では約115年前の1908年(明治41年)陸軍の大演習に際して明治天皇臨席の下、饗宴が催された。背後の大クスノキは天皇の玉座跡に記念植樹されたもの。
参道に戻って目的地の春日大社国宝殿に向かう。その途中、左手に春日大社神苑「萬葉植物園」の正門がある。「藤 現在つぼみ 早咲き開花」「珍しい緑の桜 御衣黄開花」。参道脇のその立て看板につい導かれるように園内へ。この植物園は万葉集に登場する草花とともに、20品種約200本が植樹された「藤の園」でも有名。看板通り、甘い香りを放つ「麝香藤」や「緋ちりめん」「白甲比丹」「昭和紅藤」(下の写真)などの早咲き種が花穂を伸ばし開花を始めていた。この後、遅咲き種の開花も順次始まり5月初旬ごろまで見ごろが続く。
一方、看板にあった桜の「御衣黄(ギョイコウ)」は園内に3本あり、ちょうど見ごろを迎えていた。オオシマザクラをもとに生まれたサトザクラ群の園芸品種の一つで、花びらは緑色またはうす黄緑色。その色が貴族の衣装の萌黄色に近いことから御衣黄と名付けられた。「ウコン(鬱金)」の桜によく似るが、御衣黄の緑色が濃いのは葉緑素クロロフィルをより多く含むためという。
植物園を東門から出て春日大社国宝殿へ。ここではいま「江戸のはなやぎ 屏風と宝物」と銘打った春季特別展が開かれている。屏風では鹿図、桜花流水図、屋島合戦図、松図、南都名所東嶺図などを展示中。このうち「鹿図屏風」は左隻右隻合わせて30頭の鹿をほぼ実物大で描いたもの。貞享2年(1685年)寄進という箱書きから江戸初期の作品とみられる。「桜花流水図屏風」は金地に満開から散り始めの桜を描いた作品。花弁を1枚1枚胡粉で盛り上げるなど丁寧かつ豪華な表現が目を引く。「赤糸威大鎧(梅鶯飾)」「沃懸地獅子文毛抜形太刀」(いずれも国宝)なども展示している。7月2日まで。
この後、久しぶりに東大寺に向かった。南大門から大仏殿に至る参道にも観光客がかなり戻ってきた様子で、とりわけ欧米からのツアー客の姿が目立った。観光客のうちざっと4分の3ほどが外国人客か。若草山を望む参道そばの広場でも20人ほどが鹿を囲んでいた。
大仏殿の堂内は色とりどりの生花で飾られ、いつもの厳かな雰囲気とは違った華やかさ。5日前の4月8日はお釈迦様の誕生を祝う花祭り(仏生会)。これに合わせ「日本花き生産協会」をはじめ各地の団体・企業・個人から多くの奉納花が寄せられた。堂内を彩る花々はその名残だった。