【国内最大の円墳の発掘現場を一般公開】
国内最大の4世紀後半の円墳、奈良市の「富雄丸山古墳」(直径109m)から、これまで出土例がない盾形銅鏡1面と長大な蛇行剣1本が見つかった。発掘調査に当たっている奈良市教育委員会は1月28~29日、発掘現場を一般公開した。出土した銅鏡と剣は奈良県立橿原考古学研究所で保存処理中のため非公開。だが考古学史に刻まれるに違いない一大発見に、多くの考古学ファンが発掘現場を一目見ようと殺到、最寄りの近鉄の駅からは臨時のシャトルバスも運行された。
銅鏡と蛇行剣が見つかったのは円墳の造り出し部にあった長さ約6.4m、幅約1.2mの粘土槨の上部から。この粘土槨は木棺を粘土で覆った埋葬施設。粘土槨内部にはコウヤマキで作られた割竹形木棺があり、その棺蓋を乗せる位置の約30㎝外側の範囲を粘土と砂で覆っていた。
盾形銅鏡は高さ64㎝、最大幅31㎝、最大厚0.5㎝の青銅製で、重さは約5.7㎏。背面には鈕(ちゅう)と呼ばれる中央部分の突起を挟んで、上下に国産の倭鏡にしばしば見られる円形の鼉龍文(だりゅうもん)が刻まれていた。鼉龍は国内で考えられた空想上の動物。「鼉龍文盾形銅鏡」と名付けられたこの銅鏡には鋸歯文なども精巧に刻まれている。奈良市教委は「類例のない銅鏡。表面が平滑に研磨されており、倭鏡工人が製作したとみられる」としている。(下の写真は出土時の盾形銅鏡=奈良市教委のパンフレットから)
蛇行剣は銅鏡を粘土で埋めた上の水平面から出土した。長さは約267㎝で、鉄剣としては日本最大。幅は約6㎝だが、部分的に残存する鞘(さや)の幅は復元で約9㎝になるという。剣身が蛇のように上下に波打つ蛇行剣は古墳時代中期の古墳から多く出土している。富雄丸山古墳は古墳時代前期後半に当たり「蛇行剣としては最古例」。柄頭や鞘口、鞘尻などには装具の痕跡が残っていた。
発掘現場では粘土槨の上部に模造の盾形銅鏡と蛇行剣が置かれ、見物客が列を成して覗き込んでいた。その現場手前の受付コーナーにも実物大の写真パネルが新たに出土した円筒埴輪とともに展示中で、多くの人が銅鏡の精巧な文様に見入ったり、剣の長さに驚きの声を上げたりしていた。この粘土槨の埋葬者は墳頂部の埋葬者と関わりが深い人物とみられる。
古墳時代が始まったのは3世紀後半。当時、銅鏡や鉄製刀剣といえば大陸からの輸入物だった。だが、やがて手工業の発展に伴って国産化が始まる。橿原考古学研究所は今回の類例のない銅鏡や長大な刀剣の出土について「国産化という産業革命の到達点を示すもの」と評価する。橿考研付属博物館では蛇行剣と盾形銅鏡の原寸大レントゲン写真を展示している。
2日間にわたる一般公開では別の場所で新たに出土した円筒埴輪列や珍しい「湧水施設形埴輪」を伴う遺構なども公開している。これまでの発掘調査で円墳の2段目埴輪列がぐるっと1周巡っていたことも判明した。
また古墳北東側に隣接する富雄丸山2号墳と3号墳も同時に公開中。過去の発掘調査で2号墳は横穴式石室を持つ6世紀後半の円墳と分かっていたが、3号墳については埋葬施設が確認されず、両者の関連が不明確だった。だが今回の再調査で両古墳の間を区画する溝がないことなどが判明、2号墳が後円部、3号墳が前方部となる前方後円墳である可能性が出てきた。
類を見ない盾形銅鏡と長大な蛇行剣の発見に、発掘現場には公開初日、多くの考古学ファンとともにテレビや新聞などの取材陣も多く駆けつけた。あちこちでカメラに向かってインタビューに応じる人たちの姿が、改めて反響の大きさを物語っていた。