【「粋な法被姿が神さんの〝足〟になって進みます。ヨイトサ、ヨイトサ」】
福岡県3大夏祭りの1つで国指定の重要無形民俗文化財「戸畑祇園大山笠」が今年も26~28の3日間、北九州市戸畑区で熱く繰り広げられた。昼の幟山笠が夜になると光のピラミッドに大変身。大山笠・小若山笠の全8基がそろう中日の競演会に続いて、最終日には東・西・中原・天籟寺の4地区ごとに地域内を巡行した。そのうち東地区では司会35年目という青木勇二郎さん(写真)の名調子が今年も千秋楽を盛り上げた。
東地区は午後6時、太鼓や鉦などによるお囃子の披露から始まった。男女の小学生たち5チームが力強く「おおたろう囃子」などを演奏すると、観客からやんやの喝采。続いて、男子中学生が担ぐ小東山笠と高校生以上が担ぐ東大山笠の囃子方が演奏を披露した。山笠の運行は7時すぎから、まず幟の姿で始まった。
「神さんの足になる男たちです。遡上する魚の群れのように進んでいます」。担ぎ手の足がそろった様はまるでムカデ競走。そして見どころの提灯山笠への姿変え。最上段の〝5段上げ〟に続いて1段ずつ組み立てていく。12段・309個の提灯が組み上がると高さ10m、重さ2.5トンの大山笠の完成だ。小東山笠は大山笠より少し低いが、それでも1.5トンもある。それを80~100人で担ぐ。小東山笠ができて今年はちょうど30周年の節目という。(下の写真は㊧と㊨は27日、㊥は28日)
山笠が動き出すと提灯のろうそくの灯もゆらめく。1年前には大山笠が燃え上がり上5段分ほどが全焼するというハプニングがあった。「男たちはそんなことではひるみません。おやじが子どもの背中を押すように2つの山笠が進みます」。司会の青木さんは1937年生まれ。長年、競演会場のそばで眼鏡店を経営していた。今は戸畑郷土史会の事務局長を務める。東大山笠では〝中老代表〟で、今年喜寿のお祝いに濃紺のチャンチャンコを贈られた。
以前、青木さんから戸畑祇園にまつわる〝秘話〟を教えてもらったことがある。戦後、進駐軍の高官が山笠の幟や幕などを母国への手土産として持ち帰ろうとした。それを関係者が懸命に説得、実際に祭りを見てもらうことで思いとどまらせた。ただ中には「青い目の前でなぜ担がないとダメなのか」と抵抗した熱血漢もいた。その男性はMPのジープで連行されたという。(下の写真は㊧26日の飛幡八幡宮への〝大上り〟㊨27日の競演会)
戦後には〝針金事件〟もあった。山笠の運行中にろうそくが倒れて燃えないように提灯を針金で固定したことがあった。ところがその山笠は燃え上がる提灯を叩き落とせず、丸焼けになってしまった。今は麻のひもで提灯を括りつけており、燃えたら叩き落とし新しい提灯に替える。「幟も提灯のピラミッドも神様の依り代。その美しさこそが各山笠の誇りでもあるのです」。
昨年の千秋楽に続き今年も思いがけないハプニングが起きた。「救急車が通ります」。青木さんのアナウンスに会場は一瞬静まり返った。小東山笠を担いでいた中学生たちが転んで足などを痛めたらしい。やがて2台の救急車が来て2人を搬送していった。その間約30分間の中断。残念な出来事だが、2人とも意識がしっかりしていたのは不幸中の幸いだった。「千秋楽はまだまだ続きます」。この後、陸上自衛隊小倉駐屯地所属の自衛官約40人が飛び入り。大山笠の前後の担ぎ棒を〝若中老〟たちと分担し、一緒に担ぎ上げて会場を往復した。
戸畑祇園の全8基はこの後、8月3日に小倉北区で開かれる「わっしょい百万夏祭り」にも参加する。この数年はその年の当番山だけが参加していた。さらに9月には西と天籟寺の大山笠が60年に1度の〝平成の大遷宮〟を終えた出雲大社に遠征し山笠の勇壮な姿を奉納する予定という。