【秋の本審査に進めるのは何人? 前回は本選2次で全員敗退・入賞ゼロ】
今年は5年に1度開かれる「ショパン国際ピアノコンクール」イヤー。1927年に始まったこのコンクールは今や世界的に最も権威のあるピアノコンクールといわれる。今年で17回目。13日からポーランド・ワルシャワで、まずビデオ審査で選ばれた27カ国・地域の160人が参加して事前審査が始まった。日本人の参加者は25人。審査は24日まで続く。日本人は果たして10月の本選に何人進出できるのだろうか。
※過去5大会の国別上位入賞者
第12回(1990年) ①なし ②米国 ③日本(横山幸雄)……⑤日本(高橋多佳子)
第13回(1995年) ①なし ②フランス、ロシア ③米国……⑤日本(宮谷理香)
第14回(2000年) ①中国 ②アルゼンチン ③ロシア……⑥日本(佐藤美香)
第15回(2005年) ①ポーランド ②なし ③韓国の2人 ④日本の2人(山本貴志と関本昌平)
第16回(2010年) ①ロシア ②ロシア/リトアニア、オーストリアの2人 ③ロシア
本選出場者は160人の半数の80人と見込まれ、事前審査終了直後の今月25日に発表される。本選は10月17日のショパンの命日を挟んで約3週間にわたって繰り広げられる。1次~3次審査で80人が40人、20人、そしてファイナリストの10人に絞られていく。この間、出場者は1次と2次で各4曲、3次で3曲のショパンの作品を披露し、ファイナルではオーケストラとの共演でショパンのピアノ協奏曲第1番または第2番を弾く。もちろん全て暗譜。入賞は6位までで、1位には3万ユーロ(約400万円)の優勝賞金が贈られる(2位2万5000ユーロ、3位2万ユーロ)。
日本人のこれまでの最高順位は第8回(1970年)に出場した内田光子の2位。その前の第7回(1965年)には中村紘子が4位、第11回(1985年)にも小山実稚恵が4位。第12回(1990年)には横山幸雄が3位に選ばれ、その後も毎回、日本人が入賞を重ねてきた。ところが5年前の前回は2次審査までで全員姿を消してしまった。
前回の1次~3次審査は審査員12人による100点満点の得点制と次のステージに進ませたいかを問う「YES/NO」制の2本立て。日本人出場者は審査員の「YES」を多く獲得できなかったというわけだ。一方でロシア勢はファイナルに5人が進出し、上位をほぼ独占した。第13~15回に審査員を務めた中村紘子に続いて前回初めて審査員席に座った小山実稚恵は、日本人の演奏に「タッチが浅い印象を受けた」という。同時に「自分の個性に合った曲ではなく名曲を選んでしまいがち」と日本人出場者の選曲にも疑問を呈している。
参加資格は1985~99年生まれ。今回、日本からはビデオ審査をパスした25人(うち21人が女性)が事前審査に臨む。最も多いのは中国の27人で、日本は2番目に多く、これに韓国の24人が続く。アジアの音楽大国3カ国に続いて地元ポーランド22人、ロシア11人、米国10人。2012年の第8回浜松国際ピアノコンクールで2位だった中桐望は事前審査免除で本選に出場できる7人のうちの1人に選ばれている。
日本勢25人の中には5年前2次予選まで進んだ片田愛理や須藤梨菜も含まれる。片田は前回出場時、日本人最年少の17歳で、今春に東京音楽大学大学院に進学したばかり。小林愛実も注目の1人だ。若くして内外のオーケストラと共演したりピアノアルバムを発表したりするなど着実に実績を積み上げている。野上真梨子は昨春、桐朋学園大学音楽学部を首席で卒業した逸材。最年少は16歳の丸山凪乃で、高校生の古海行子や近藤愛花も挑戦する。
日本人が初めてこのコンクールに参加したのは78年前の第3回(1937年)。〝伝説のピアニスト〟といわれる原智恵子だった。「結果が発表され、入賞者に原智恵子がいないことが分かると、人々は会場で審査員とホールがどうなることかと危ぶまれるほど暴れ出し、聴衆の1人としてその場に居合わせた富豪が、すばやくその場で不当な扱いを受けた東京の少女に<聴衆賞>を寄贈することで、やっと最悪の状況を回避し嵐が静められたほどだった」(『ものがたりショパン・コンクール』イェージー・ヴァルドルフ著、足達和子訳)。
今年は4年に1度のチャイコフスキー国際コンクールも開かれる。会期は6月15日~7月3日。ピアノとバイオリン部門がモスクワで、チェロと声楽部門がサンクトペテルブルクで行われる。このコンクールでは第9回(1990年)にバイオリンの諏訪内晶子、第12回(2002年)にピアノの上原彩子が1位に輝いている。さて、今年はクラシック界にどんな新星が出現し、どんな伝説が生まれるのだろうか。