【古代衣装研究家山口千代子さん協力、6月2日まで】
国営平城宮跡歴史公園(奈良市)内の平城宮いざない館で「万葉衣装展~光明皇后華麗な一族~」が開かれている。古代衣装研究家の山口千代子さんが復元した奈良時代の衣装のほか服飾品なども並ぶ。
山口さんは正倉院の宝物、日本と中国の古墳の壁画、仏画、文献などを参考に飛鳥~奈良時代の衣装の復元に取り組んできた。「天平祭」の行列で着用される古代衣装も山口さんの手作り。
いざない館の真ん中を貫く広い通路の突き当たりに、聖武天皇と光明皇后の2体が展示されていた。その両隣には向かって右側に皇后の母橘三千代、左側には天皇の母で藤原不比等の娘の宮子。
上の写真中央の女性は聖武天皇と光明皇后の娘の阿部内親王。高貴な方のお顔は当時、人前では大きなサイズの翳(さしば)で顔を隠していた。
奈良時代の服装は養老律令(718年制定)の中の衣服令(えぶくりょう)で細かく決められていた。公服は身分や官位によって礼服(らいふく)⋅朝服(ちょうふく)⋅制服の3つに分けられる。上の写真左側は藤原不比等の衣装。五位以上の貴族が重要な儀式で着る礼服の中でも最高位のものを身に着けていたとみられる。
朝服は官人が朝廷の公事に携わる際に着用した衣装。上の写真は藤原四兄弟のうち武智麻呂夫妻と房前夫妻。下の写真は宇合夫妻と麻呂夫妻。男性はいずれも手に笏(しゃく)を持つ。五位以上は象牙、それ以下は木製だったそうだ。
制服は一般庶民が公務のとき貸与される衣装で、いわば公務員のユニフォーム。制服という言葉は奈良時代から今と同じように使われていたわけだ。庶民や農民はふだん貫頭衣という麻布製の粗末な衣服に身を包んでいた。写真右側の2体が制服、左側が貫頭衣。
会場には列をなすカラフルで華やかな女性陣の衣装も。中国⋅敦煌の壁画に参詣する女性たち主従一行が描かれていたことをもとに復元したという。
ガラスケース内には高貴な女性が顔を隠すための翳(さしば)など、復元した服飾品も展示中。男性は腰に木簡の文字を消して再利用するための刀子を下げていた。古墳の出土品から身に付けていたと推測されるポシェットのような袋も展示されている。
いざない館の入り口そばには「布作(ふさく)面」を被った古代衣装姿の男女2体が立つ。「麻布に描いた簡単な面、舞楽に使用か」という説明書きが添えられていた。