く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<イモカタバミ(芋片喰)> 観賞用として戦後渡来した南米原産の帰化植物

2017年05月28日 | 花の四季

【別名「フシネハナカタバミ」、よく似た花に「ムラサキカタバミ」】

 カタバミ科カタバミ属の球根性多年草。原産地は南米のブラジル、パラグアイ、アルゼンチンなどで、日本には観賞用として戦後になって渡ってきた。今では全国各地で野生化している。花期は4~9月と長く、直径2cmほどの桃紫色の5弁花を多く付ける。草丈は10~30cm。花の基部は濃い紅色で、中心に向かって筋が放射状に伸びる。

 芋片喰の「芋」はイモのような塊茎ができることから。「片喰」は3枚の小葉がハート形でへこんだ部分がかじられたように見えることに由来するという。「フシネハナ(節根花)カタバミ」という別名もある。これは株が大きくなるに従って塊茎が串団子のように段重ねになることによる。学名は「オキザリス・アルティクラタ」。属名のオキザリスはギリシャ語で「酸っぱい」の意。この属の植物にシュウ酸を含み酸味があるものが多いことに由来する。カタバミを「酢漿草」とも書くのもそのため。種小名アルティクラタは「節目のある」を意味する。

 よく似た花にムラサキカタバミがある。これも南米原産で、イモカタバミより早く江戸末期の文久年間(1861~64年)に渡来した。地下に鱗茎をつくって繁殖力が旺盛なことで知られる。イモカタバミに比べると花色がうすい淡紅紫で、花の基部は黄緑色で雄しべの葯も白い(イモカタバミは黄色)。同じく南米原産のベニカタバミは花弁が丸みを帯び、葉がイモカタバミに比べて小さくて光沢があるといった特徴がある。

 日本在来種のカタバミの花は明るい黄色。繁殖力が強く子孫繁栄につながることもあって、小葉3枚を図案化して家紋とした戦国大名や武将も多い。植物紋の中では桐紋に次いで人気が高かったそうだ。そのカタバミにもそっくりな帰化植物がある。最近分布域を急速に拡大している北米原産のオッタチ(おっ立ち)カタバミ。カタバミの茎が地表を這うのに対し、オッタチは水平に伸びる地下茎から茎を何カ所もまっすぐに立ち上げる。

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<スイセンノウ(酔仙翁)> 柔らかな葉の触感から「フランネルソウ」とも

2017年05月26日 | 花の四季

【ヨーロッパ南東部原産、花は鮮やかな紫紅色の5弁花】

 ナデシコ科センノウ属。原産地はヨーロッパ南東部で、日本への渡来時期は江戸時代末期(?)といわれる。本来は常緑の多年草だが、多湿にやや弱く秋蒔き1年草として扱われることも。こぼれ種でもよくふえる。花期は5~7月頃で、高さ50~100cmの花茎を立ち上げ鮮やかな紫紅色の5弁花を上向きに付ける。白やピンクの花もあり、八重咲きのものもある。花径は2~4cmで、雄しべや雌しべは中に隠れてほとんど見えない。

 学名はリクニス・コロナリア。属名リクニスはギリシャ語で「ランプ」、種小名コロナリアは「花冠のような」を意味する。和名の属名センノウは京都・嵯峨野の仙翁寺(廃寺)に由来するという。同寺で中国から1300年頃に伝わったセンノウ(仙翁、センノウゲ=仙翁花=とも)が栽培されていたことによる。「酔仙翁」の頭の「酔」は花色を酔っ払った赤ら顔に見立てたものと思われるが、新牧野日本植物圖鑑は「初め白地に水紅色をさした花の品種に対して名づけたものだろうか」と推測している。

 スイセンノウはシソ科のラムズイヤーと同じように、葉や茎など全株に白い綿毛が密生する。その手触りが柔らかい毛織物のフランネル(ネル、フラノ)に似ていることから「フランネルソウ」の俗称で呼ばれることも多い。開花期は花の紫紅色とシルバーリーフ(銀葉)のコントラストが映える時期でもある。よく似た名前の草花に「フランネルフラワー」があるが、こちらはオーストラリア原産のセリ科の植物。その名は綿毛が密生した白い花の感触がフランネルに似ることに由来する。

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<ハマヒルガオ(浜昼顔)> 海岸の砂地に自生し漏斗状の花を上向きに

2017年05月24日 | 花の四季

【日本の代表的な海浜植物、琵琶湖岸の守山市にも群生地】

 ヒルガオ科の多年草で、主に北半球の温帯~亜熱帯地域に広く分布する。日本では北海道から沖縄まで海岸の砂地に自生し、アサガオに似た漏斗状の花を日中、上向きに咲かせる。花期は5~6月。花はうすいピンク色で、直径は4~5cmほど。名前は花がヒルガオに似て浜辺に生えることから。砂地の下で地下茎を四方に伸ばして群落をつくる。

 草丈は10cmほどと低い。葉はヒルガオが細長いのに対し、葉先が尖らないハート形。厚くて光沢があるのが特徴だ。葉からの水分の蒸発を防ぐためで、乾燥した灼熱の砂浜という厳しい環境から身を守っている。その逞しさと可憐な花姿から、群生地を抱える自治体の中には「市・町・村の花」に指定しているところも多い。静岡県御前崎市、神奈川県大磯町、鳥取県北栄町、千葉県長生村……。

 群落があるのは海岸だけに限らない。滋賀県守山市の琵琶湖岸にも群生地がある。海浜植物がなぜ淡水湖の琵琶湖岸にあるのか。疑問を抱いた研究者が遺伝子構成を調べた結果、海岸のものとは遺伝子構成が異なることを突き止めた。400万年といわれる琵琶湖の長い歴史の中で海から長期にわたって〝陸封〟されたため独自の進化を遂げたとみられる。地元では「湖岸に咲くハマヒルガオを守る会」などが中心になって保護活動に取り組んでいる。京都府南部を流れる木津川河川敷にも群落があるが、府は「レッドデータブック2015」で「ハマヒルガオ府南部固体群」として絶滅寸前種にリストアップした。

 ハマヒルガオといえば五木ひろしの歌にその名前ずばりの『浜昼顔』(寺山修司作詞、古賀政男作曲)がある。ただ、もっと年配の方は戦後間もない頃にヒットした『君の名は』(菊田一夫作詞、古関裕而作曲)を思い浮かべるかもしれない。「♪君の名はとたずねし人あり その人の名も知らず 今日砂山にただひとり来て 浜昼顔にきいてみる」。NHKラジオドラマの主題歌で、岸恵子・佐田啓二の主演で映画化もされた。浜昼顔は夏の季語。「浜昼顔烏賊(いか)焼く煙り今日も浴び」(河野多希女)

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<キジバト(雉鳩)> 日本在来種、別名「ヤマバト」森から都市に進出

2017年05月23日 | 小鳥たち

【ドバトのように群れずに単独または2羽で行動】

 北海道から九州、沖縄まで広く分布する。北海道以外の地域では留鳥だが、北海道では夏鳥で冬になると温暖な地方に移動する。別名「ヤマバト」。その名の通り、もともとは明るい林や森に生息していたが、1970年代以降、次第に都会でもよく見られるようになった。同様に近年都市周辺でしばしば見かけるムクドリやカワセミ、ヒヨドリ、コゲラ、カルガモなどとともに〝都市鳥〟の一つに数えられている。

 全長30cm強で、羽には黒と赤褐色の鱗模様が重なり、頸には青と黒の横縞が入る。「雉鳩」の名前は体の模様が雌のキジに似ていることから。「デデッポッポー」という低く響く鳴き声に特徴がある。家禽化され伝令用などに使われたドバト(イエバト)と違って人にはあまり懐かない。また群れもつくらずに1~2羽で行動することが多い。奄美諸島や琉球諸島には体色が黒めの亜種「リュウキュウキジバト」がいる。(因みにドバトはヨーロッパ~中央アジア出身で、日本には平安時代前後に渡来したといわれる)

 小鳥の多くは春から初夏にかけて繁殖する。雛の餌になるチョウなどの昆虫が豊富なためだ。一方、ハト類はこの時期に限定されずに年中繁殖が可能。キジバトでも年に何回もの繁殖が確認されている。それはピジョンミルク(鳩乳)があるおかげ。喉の嗉嚢(そのう)から分泌される栄養豊富な乳液で、孵化直後から口移しで雛に与えられる。ミルクは雌だけでなく雄からも分泌され、雄も授乳して巣立ちまで雌に協力する。だから雛の餌に虫などを必要としないわけだ。キジバトの繁殖はほとんどが同じつがいによるもので、相手が代わるのは相手がいなくなったときにほぼ限られるという。

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<エンコウソウ(猿猴草)> 横に長く伸びる茎を猿の手足になぞらえて

2017年05月22日 | 花の四季

【リュウキンカの変種、六甲高山植物園から昭和天皇に30株を献上】

 キンポウゲ科の多年草で、全国各地の山地の湿地や渓流沿いなどに群落をつくる。5~6月頃、細い茎の先に直径3cmほどの黄金色の花を1~2輪ずつ付ける。花びらのように見えるのは萼片(がくへん)で、通常5枚の花が多いが、それ以上のものもある。多数の雄しべも鮮やかな黄色。葉は艶のある円心形~腎円形で、縁にはギザギザの鋸歯が入る。

 リュウキンカ(立金花)の変種。リュウキンカの花茎がまっすぐ立ち上がるのに対し、エンコウソウは茎が斜めに伸びて四方に広がる。その様子を古く「猿猴」と呼ばれたテナガザルの手足になぞらえて命名されたという。花が終わると花茎は倒れて地を這い、茎の節から発根して翌年新しい子株ができる。キンポウゲ科の植物にはアルカロイドなどの有毒成分を持つものが多いが、このエンコウソウも低毒ながら有毒成分を含む。

  六甲高山植物園(神戸市)には湿性植物区にエンコウソウの群落があり、例年この時期に見頃を迎える。1981年5月25日、同園を訪れた昭和天皇はその群落に強い関心を示され、後日宮内庁を通じて要請を受けた同園は30株を献上し皇居吹上御苑に移植したという。環境省のレッドリストにエンコウソウは載っていない。ただ都道府県段階では近畿~関東を中心に絶滅危惧種としているところも多い。京都府は「レッドデータブック2015」で、変異が大きいとして「エンコウソウ(リュウキンカ)」と区別せずに絶滅寸前種に指定している。

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<シュンギク(春菊)> 菊に似た明るい黄花、白い覆輪のある花も

2017年05月21日 | 花の四季

【地中海沿岸地方原産、ヨーロッパでは観賞用として栽培】

 キク科シュンギク属。多くのキクの花期が秋なのに対し、春に咲くことから「春菊」と名付けられた。原産地は地中海沿岸地方。そのヨーロッパではもっぱら観賞用として栽培されてきた。古く中国など東アジアに伝わって食用に改良され、日本には室町時代に渡来し、江戸時代に西日本を中心に葉野菜として栽培が始まったという。関西では「キクナ(菊菜)」として親しまれている。観賞用の八重咲き種は「ハナゾノシュンギク(花園春菊)」と呼ばれる。

 シュンギクの草丈はふつう30~60cmぐらいだが、花が咲く頃には1m以上にも伸びる。花はキクに似て直径3~4cmほど。黄一色のほか白い覆輪が入ったものもある。食用のシュンギクは大葉・中葉・小葉に大別され、さらに中葉は株立ち型と株張り型に分かれる。鍋物向きの大葉は主に九州など西日本で栽培され「おたふく春菊」と呼ばれている。奈良県で栽培され全国に広まった中大葉種は「中村系春菊」と呼ばれ、同県では「大和きくな」の名前で伝統的な「大和野菜」の一つに数えられている。

 傷みやすい軟弱野菜で長距離輸送が難しいため、主産地は大都市とその近郊に集中する。農林水産省の2015年の統計によると、生産量のトップは千葉県で、次いで大阪、茨城、福岡、群馬、兵庫と続く。シュンギクの持ち味は独特な香りとほろ苦さ。香りはα-ピネンやペリルアルデヒドという精油成分による。ヨーロッパで食用としては敬遠されてきたのもその特有の香りにあるが、近年は和食ブームもあって食材の一つとして見直す動きもあるそうだ。「春菊の香や癒えてゆく朝すがし」(古賀まり子)

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<クサタチバナ(草橘)> ミカン科のタチバナに似た清楚な白花

2017年05月19日 | 花の四季

【ガガイモ科の多年草、シカが嫌う〝忌避植物〟?】

 ガガイモ科(キョウチクトウ科とも)カモメヅル属の多年草。5~7月頃、まっすぐに立ち上がった茎の頂に直径2cmほどの白花を多く付ける。花は5つに深く裂け横に平開する。日本から朝鮮半島、中国にかけて分布、主に石灰岩地帯に多く自生するという。日本の分布域は本州の関東以西と四国とされてきたが、1992年に福島県の鶴石山(いわき市)で群落が発見され、その後、九州の宮崎県北部にある黒岳(諸塚村)でも見つかった。

 名前はミカン科のタチバナの花によく似た草本であることから。田中澄江著の『花の百名山』には群馬県の黒檜山(くろびさん、赤城山の最高峰)を代表する花として紹介されている。関西では大峰山系の行者還岳(奈良県)や伊吹山(滋賀県)の群落が有名。行者還岳では毎年6月頃、クサタチバナの大群落が大峰奥駈道を明るく彩る。四国の石立山(徳島・高知県境)にはやや小型の変種イシダテクサタチバナが群生する。

 クサタチバナは環境省のレッドリストで「生息条件の変化によって絶滅危惧種に移行する可能性のある種」として準絶滅危惧種に指定されている。イシダテクサタチバナは絶滅危惧Ⅱ類。全国各地でシカの食害が問題になっている。ただクサタチバナに関してはむしろ新しく群落が形成されている地域もあるといわれる。2013年に群馬県立自然史博物館が開いた報告会「上野村のシカ食害について」ではクサタチバナが「赤城山で急増している」という。

 シカが嫌う忌避植物として知られるのがアセビ(馬酔木)。奈良公園(奈良市)一帯には千数百頭のシカが生息するが、その一角「ささやきの小径」はアセビの花の名所にもなっている。この他、トリカブトやサラシマショウマ、イケマ、ハシリドコロなどもシカの忌避植物。これらの多くはアルカロイド系の毒成分を含んでおり、クサタチバナも同様の毒性によってシカを寄せ付けないのかもしれない。

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<コンロンソウ(崑崙草)> 名前は白い花を崑崙山脈の雪にたとえ(?)

2017年05月18日 | 花の四季

【アブラナ科の多年草、農作業の目安となるタネツケバナの仲間】

 アブラナ科の多年草で、日本をはじめ朝鮮半島、中国、シベリア東部にかけて分布する。山地や谷川沿いなどの半日陰の湿地を好む。花期は4~6月頃で、直立した茎の先に十字状の白い小花を多数付ける。草丈は30~70cm。根元から茎を横に伸ばして広がり、しばしば群落をつくる。

 磯野直秀氏の「資料別・草木名初見リスト」によると、コンロンソウが初めて文献に登場するのは江戸中期の『地錦抄附録』(伊藤伊兵衛政武著、1733年刊)。漢名は「白花碎米薺(はくかさいべいせい)」または「白花石芥菜(はくかせきかいさい)」で、和名の「崑崙草」はわが国で命名されたようだ。ただ、その由来ははっきりしない。よくいわれるのが牧野富太郎説で、白い花を中国西部にある崑崙山脈の雪にたとえたというもの。これに対し『山渓名前図鑑』(山と渓谷社刊)などの著者、高橋勝雄氏は黒褐色の実に着目し、住人が褐色の肌色をしている南海の伝説上の島国・崑崙国から来ているのではないかと主張する。

 コンロンソウはタネツケバナ属の一種。タネツケバナは種漬花で、この花の咲き始める頃が苗代にまく種もみを水に漬ける目安になっていることによる。コンロンソウの変種にはミツバコンロンソウやマルバコンロンソウなどがある。ミツバは文字通り葉が3小葉からなる。マルバは小葉の形が円形または卵形。マルバコンロンソウの変種オオマルバコンロンソウは環境省のレッドリストで「絶滅危惧ⅠB類」に指定されている。

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<紀州東照宮・和歌祭> 黄金色に輝く神輿が白装束の男衆に担がれて

2017年05月15日 | 祭り

【景勝和歌の浦に長い渡御行列、面被・相撲取・舞姫・武者・雑賀踊…】

 紀州東照宮(和歌山市和歌浦西)の大祭「和歌祭」が14日行われた。紀州藩初代徳川頼宣によって父家康を祀るために紀州東照宮が造営された直後の1622年に始まったといわれる伝統的な祭り。神輿(みこし)が急な石段を下る「神輿おろし」が最大の見もので、この後、渡御行列が「絶景の宝庫」として日本遺産に認定されたばかりの和歌の浦一帯を練り歩いた。

 「神輿おろし」が始まったのは午前11時半。神職の列に続いて神輿が朱色の楼門に現れ、急勾配の石段(108段)を下り始めた。担ぐのは白装束の男衆約100人。太鼓の音と「チョーサー」「チョーサー」の掛け声が境内に響き渡る。神輿は石段の上から白い綱2本で結ばれていた。石段の途中途中で左右に大きく揺さぶられる神輿。その屋根が光を反射しまぶしいばかりの黄金色に輝いた。まさに神々しい光景だ。神輿が石段下までたどり着くと、参道脇を埋め尽くす大勢の観客から一斉に大きな拍手が沸き起こった。

  

 この後、正午に渡御行列が東照宮会館前を出発した。先頭は行列奉行や神旗、鉾旗。これに雅楽を奏する伶人や神輿、相撲取、団扇(うちわ)太鼓、餅搗踊(もちつきおどり)、舞姫、雑賀踊、鎧武者、唐船などが続いた。行列は和歌浦漁港そばの特別観覧席前、片男波海水浴場の御旅所、あしべ通りを経て東照宮に戻る約4キロのコース。途中の5カ所に歌や踊りなどを披露する〝演舞ポイント〟が設けられた。

   

 

 行列の中で最も注目を集めたのは面被(めんかぶり)。歌舞伎風の化粧で頭上にお面。高下駄に陣羽織という異様ないでたちで「百面」とも呼ばれる。小さな子を見つけると、鳴り物をガラガラ鳴らしながら「ワァー」と驚かせる。幼児はみんな火が付いたように泣き叫び母親にしがみついた。三重県伊賀市の「上野天神祭」で以前見た鬼行列のときと同じような光景が沿道のあちこちで繰り広げられた。この和歌祭でも大泣きするほど健康に育つといわれているそうだ。幼児を泣かせていた男性の一人は地元テレビ局(?)のインタビューに、面被役を始めてもう40年になると話していた。

 

  

 渡御行列が練り歩いた和歌の浦は古くから和歌にも詠まれた景勝地。「若の浦に潮満ち来れば潟を無み 葦辺をさして鶴鳴き渡る」。万葉歌人の山部赤人はこう詠んだ。聖武天皇は724年初めて行幸したとき、和歌の浦の景観を絶賛し景観保全のために番人を置いたという。万葉の「若の浦」が「和歌の浦」になったのは平安時代になってからといわれる。

 

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<マイヅルソウ(舞鶴草)> 穂状に可憐な小さな白花を付ける山野草

2017年05月11日 | 花の四季

【名前は湾曲した葉脈の形を、ツルが羽を広げ舞う姿に見立てて】

 キジカクシ科マイヅルソウ属の多年草。北海道から九州まで広く分布する山野草で、主に山地の針葉樹林の下に群生することが多い。草丈は10~25cmで、5~6月頃、茎の先に長さ2~5cmの短い総状花序を立て白い小さな4弁花を20個ほど付ける。花弁は反り返り、雄しべ4本が飛び出す。主に東日本に自生する近縁種ヒメマイヅルソウは全体的に小型で、葉が細長く裏に毛が生えているのが特徴。

 舞鶴草の名は葉脈が先端に向かって湾曲する様子を、ツルが羽を広げて舞う姿に見立てたという。その葉脈の模様が家紋の「舞鶴紋」に似ていることから、ともいわれる。さらに、2枚の大きなハート形の葉を広げて花が咲く様子を舞うツルにたとえたとの説もある。いずれにしろ、地味な花姿の割には優美な名前を付けてもらって満足に違いない。

 マイヅルソウには北のものほど大きく、南に行くほど小さくなる傾向がある。例えば葉の長さ。北国では10cmにもなるが、南限といわれる屋久島では1~2cmほどしかないという。固有種が多い屋久島は矮性植物が多いことでも知られる。マイヅルソウは和歌山や兵庫県などの絶滅危惧種、ヒメマイヅルソウも愛知や茨城、福島県などで絶滅危惧種に指定されている。マイヅルソウの花言葉は「清純な少女の面影」。「少女らのおもかげありて舞鶴草 白くさやかに咲きひろがりぬ」(鳥海昭子)

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<ヤマグルマ(山車)> 名前は車輪のような葉や花の様子から

2017年05月08日 | 花の四季

【別名「トリモチノキ」、近縁種がない1科1属の珍しい常緑高木】

 ヤマグルマ科ヤマグルマ属の常緑性の高木。日本や朝鮮半島南部、中国南部、台湾などに分布し、高さは10~20mにも達する。日本では東北南部以南の山中の岩場や急な斜面などに多く自生する。花期は5~6月頃で、枝先に長さ10センチ前後の総状花序を伸ばし、黄緑色の花を10~20個付ける。花には花弁や萼(がく)がない。

 「山車」の名は枝先に互生する葉の節間が詰まって輪生状に見えることや、花が子房を中心に多数の雄しべがぐるりと囲んで小さな車輪のように見えることによる。学名(属名)の「トロコデンドロン」も「車輪の木」を意味する。和名から植物学者のシーボルトが命名した。ヤマグルマは1科1属で、近縁種がほとんどない。広葉樹にもかかわらず導管組織を持たないのも特徴の一つで、根から吸収した水分は針葉樹のように「仮導管(かどうかん)」を通じて上に運ぶ。

 別名「トリモチノキ」。これは樹皮から鳥や昆虫を捕まえる良質な鳥黐(とりもち)が取れたことによる。「トリモチ」や「モチノキ」などと呼ぶ地方も多い。ただ「モチノキ」は別のモチノキ科の樹木の標準和名になっている。モチノキから取れる鳥黐を本モチや白モチ、ヤマグルマから取れる鳥黐を赤モチと呼ぶことも。ただ鳥黐を使った狩猟が鳥獣保護法で禁止になってから需要は激減しているそうだ。京都市左京区の東禅寺にあるヤマグルマの巨木は「区民の誇りの木」になっている。

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<センダイハギ(先代萩)> 蝶形の黄花が鮮やかなマメ科の多年草

2017年05月07日 | 花の四季

【本州中部以北に分布、名前は歌舞伎『伽羅先代萩』から】

 主に本州の中部から北海道にかけて分布するマメ科センダイハギ属の多年草。太い地下茎を伸ばして海岸の砂地や草地に群生することが多い。ハギ(萩)は秋の七草として知られ花期はふつう秋だが、この花は春から初夏にかけて咲く。高さ40~80cmの花茎を立ち上げ、マメ科の特徴でもある蝶形の黄色い小花を多数付ける。一見ルピナスの黄花のようにも。秋になるとササゲのような細長い鞘の実ができる。

 名前は北国に多いハギということから、歌舞伎・浄瑠璃の『伽羅(めいぼく)先代萩』に因んで付けられたという。この演目は江戸前期に先代伊達家で起きた内紛「伊達騒動」に題材を取ったもの。ただ先代萩のほか仙台萩や千代萩と表記することもあるようだ。江戸前期の植木職人、伊藤三之丞(伊兵衛)が著した『花壇地錦抄』(1695年)では「仙臺萩」として「花形、大豆の花ニにて色うこん」などと紹介されている。

     

 別名「キバナセンダイハギ」。これは北米原産で花の姿がよく似て青紫色の花を付ける別属のムラサキセンダイハギ(上の写真)と区別するための呼称。また、よく似た黄花に家畜の飼料や緑肥として利用されるシナガワハギ(品川萩)がある。センダイハギは北海道東部に位置する別海町の「町の花」になっている。野付半島(日本の秘境100選)の竜神岬周辺に自生し、根室管内で唯一の群生地であることから指定された。野生種は減少しており、富山、茨城両県では既に絶滅したとされ、宮城や山形、石川などでも絶滅危惧種になっている。(写真は奈良県明日香村の橘寺で)

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<高鴨神社> 「献花祭」開催 自慢の古典園芸植物「日本桜草」も展示

2017年05月06日 | 花の四季

【整然と150種、明治末期以来宮司の父子三代にわたって収集・栽培】

 日本伝統の古典園芸植物サクラソウの収集・栽培で知られる奈良御所市鴨神の高鴨神社(鈴鹿義胤宮司)で、いまサクラソウが見ごろを迎えている。境内の一角に5段の長い花壇が設けられ、150種の愛らしいサクラソウが整然と展示されている。5日には献花祭が行われ、手塩にかけて育てたサクラソウを神前に供え雅楽などを奉納した。

 サクラソウはその名の通り花びらがサクラに似ていることから名付けられた。「我が国は草も桜を咲きにけり」と詠んだのは小林一茶。江戸時代に武士の間で栽培が流行し品種改良が進んだ。かつては全国各地に群生地もあったが、乱獲や環境の変化などで自生地は急減。埼玉県さいたま市の「田島ケ原自生地」は貴重な群落として国の特別天然記念物に指定されている。サクラソウは「プリムラ」の名前で販売されることが多い西洋サクラソウと区別するため「日本サクラソウ」とも呼ばれる。

  

    

 高鴨神社では現存するほとんどの品種約500種が保存されているという。鉢数は二千数百鉢に上る。明治末期以来、父子三代にわたって収集し大切に栽培されてきたもので、同神社での栽培は先代宮司が約50年前の1970年に京都の自邸から運び込んだのが始まりという。見学に訪れた女性たちは花壇のサクラソウに顔を近づけながら「みんな可愛いね」「ナデシコにそっくり」「こっちはスズランみたい」などと話していた。花壇に並ぶサクラソウは随時入れ替えており、見ごろは週明けごろまで続くという。

  

    ☆☆☆  ☆☆☆  ☆☆☆  ☆☆☆  ☆☆☆  ☆☆☆

 5日の献花祭では午前11時からと午後2時からの2回にわたって宮池の浮舞台で、巫女による「浦安の舞」や高鴨雅楽会による雅楽の演奏などが奉納された。雅楽に続き梶原徹也さん(元ザ・ブルーハーツのドラマー、写真㊧)や岡野弘幹さん(音楽家・演出家、写真㊨)による演奏などもあった。岡野さんが演奏したのはリコーダーのようなインディアン・フルート。アメリカ先住民に伝わる楽器で、その優しい音色が境内を温かく包み込んだ。梶原さんとのコラボ演奏後、岡野さんは「世界中の民族楽器にいえることだが、全ての音楽は祈りと直結している。祈りが音になり、音が祈りになる」と話していた。

 

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<室生寺> 朱色の国宝五重塔を背にシャクナゲが満開!

2017年05月05日 | 花の四季

【〝花木の女王〟が3000株、鎧坂から金堂、本堂の周りにも】

 ボタン(牡丹)が〝百花の王〟なら、シャクナゲ(石楠花)は〝花木の女王〟。奈良県宇陀市室生にある室生寺ではそのシャクナゲがいま見ごろを迎えている。絶好の撮影ポイントは本堂の左手奥にある五重塔に至る石段下。うすいピンクや紅色の優しげなシャクナゲの花が朱色の五重塔の美しさを一層引き立てる。この時期、本格的なカメラを手に早朝から開門を待ちわびる人も多いそうだ。

 三重県境に近い室生寺は古くから「女人高野」として信仰を集めてきた。高野山が長く女人禁制だったのに対し、同じ山岳寺院の室生寺では女性の参詣も許されていたことによる。修験道の祖、役小角(えんのおづぬ)によって680年に創建されたという古刹だけに、境内は貴重な文化財の宝庫となっている。本堂、金堂、五重塔はいずれも国宝。仏像も本尊釈迦如来立像をはじめ十一面観音立像、釈迦如来坐像などが国宝に指定され、重文指定のものも多い。

 

 山岳寺院だけあって境内には急な石段が続く。シャクナゲは金堂を見上げる鎧坂(よろいざか)の両脇や本堂の周辺、五重塔への石段両側などで多く見られる。株数は3000株に上るという。シャクナゲはもともと高山性の植物で、高い湿度と冷涼な気候を好む。室生山一帯がその生育環境にマッチしていたのだろう。一口にシャクナゲといっても、花色は濃い紅色からうすいピンク色、白いものまで様々。その微妙な色の変化もシャクナゲの魅力の一つだ。

  

 鎧坂―金堂―本堂を巡った後はいよいよ五重塔。約1200年前の800年頃の建立といわれ、法隆寺の五重塔に次いで古い。高さは約16mで、屋外に立つ国宝・重文の五重塔としては最小。この五重塔が1998年、台風の強風で杉の巨木の直撃を受け、見るも無残な姿となった。だが再建を望む全国の人々から約7000件もの温かい寄付もあり、3年後には再び美しい姿が蘇った。その五重塔が石段脇のシャクナゲたちを優しく見守り、満開のハナズオウ(花蘇芳)も彩りを添えていた。

 大好きな演歌歌手、田川寿美のヒット曲の一つに『女人高野』(2002年)がある。作家の五木寛之が作詞し、幸耕平が作曲した。「♪ひとりで行かせてこの奥山は 女人高野と申します 愛も明日もあきらめて 涙おさめにまいります 通りゃんせ通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 若い命を惜しむよに 花が散りますはらはらと~」 

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<長谷寺ぼたんまつり> 真っ盛り、境内を埋め尽くす豪華な〝百花の王〟

2017年05月04日 | 花の四季

【本堂に至る登廊脇などに約150種7000株】

 真言宗豊山派総本山の長谷寺(奈良県桜井市)。西国三十三所観音霊場第8番札所で〝花の御寺(みてら)〟としても知られる。春はボタン、夏アジサイ、秋もみじ、そして冬は寒ボタン。境内は四季折々の花々で彩られる。その長谷寺でいま春恒例の「ぼたんまつり」が開かれており、連休中の参拝客でにぎわっている。

 全国各地に〝ボタン寺〟と呼ばれる名所は数多い。石光寺(奈良県当麻町)、総持寺(滋賀県長浜市)、薬王院(東京都新宿区)、妙雲寺(栃木県那須塩原市)……。その中で全国随一といわれるのがこの長谷寺だ。ボタンの花、約150種7000株が境内を埋め尽くす。赤、黒紫、ピンク、白と色とりどりなら、大きさも直径が20cmを超える大輪から小さめの中輪、小輪まで様々。国宝の本堂に至る長い登廊(のぼりろう)脇一面を〝百花の王〟ボタンが埋め尽くす様はまさに壮観の一言だ。

 

  長谷寺のボタンの由来についてはこんな伝説がある。9世紀後半の中国・唐の時代、皇帝の后、馬頭夫人(まずぶにん)は顔が長い馬面の容姿に悩んでいた。そんなとき仙人から大和の国にある霊験あらたかな長谷寺に向かって香華(こうげ)を供え祈願せよと助言される。その通りにしたところ紫雲に乗った僧が現れ顔に香りのいい瓶水を注ぐ。すると夫人は端正で美しい顔立ちに。願いがかなった夫人はお礼として長谷寺にボタンの種を添えて宝物を献納した――。

  

  境内では主役のボタンのほかにも、シャクナゲやオオデマリ、ヒメウツギ、ドウダンツツジなどが今が盛りと咲き誇っていた。小初瀬山中腹の断崖絶壁に立つ本堂の舞台から望むモミジの若葉も瑞々しくまぶしい。まさに春爛漫。「ぼたんまつり」は5月7日まで。

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