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ゲストハウス・プリ / Guest House Puli

日月潭、廬山温泉、合歓山(登山)等へ向かう拠点になる町≪埔里≫で生活する日本人オーナーの個人日記。

『人止關』⇒『廬山部落』

2021年09月24日 | 日記

【霧社へ向かう途中に通過する 人止關 】

「漢人止步」と呼ばれていたこの辺り(埔里の町から十数キロ地点)は、清朝時代、霧社の原住民(当時タイヤル族⇒後にセデック族に名称変更)の人たちの生活圏でした。
町に住む漢人たちも山の開墾に訪れていて、よく原住民の人たちと衝突・揉め事を起こしていました。
そのため、清朝政府が特別にこの場所を「人止關」と定め、漢人の侵入を禁止しました。
後に、漢人と原住民の間にも交易が始まり、この「人止關」の役割も’関所’的な役割に変わって行きました。


【人止關:車を停車して休憩できる場所も設置されていて、この辺りの歴史を写真等でも紹介しています。】


昔の人たちは、凄い場所で生活していたんですね。私には無理.......。


【霧社/碧湖:この湖の奥地には、昆虫の宝庫の奥萬大があります。】





昨日は、霧社から廬山方面へ進みました。
本来の目的は温泉浴でしたが、コロナ禍でどこも休業中........残念。
仕方なく、山道のツーリングに変更です。


【雲龍橋】



橋の上からの景色は素晴らしいです。
以前『霧社事件』が起きた時にはセデック族酋長のモナ・ルダオが追走から逃れる為に、
この雲龍橋(当時は縄で出来ていたらしい)を渡った後にナタで切り落として逃げたそうです。



廬山(温泉エリアではなく、山エリア)へ入ると『柿』の栽培が行われていました。
私はこの辺りの柿が大好きなので、今年はけっこう期待できそうですね。



私も何度か訪れていますが、この茶畑の谷間の下には渓流が流れていて’野湯(精英温泉)’が湧き出しています。




この種のカナブンをたくさん見る事ができました。
今年はクワガタムシをあまり見る事ができませんでしたね。ちょっと残念。




廬山に到着です。
農家さんしか住んでいない様な場所で、殆ど人に会う事もありませんでした。
天気もだんだん涼しくなって来て、昨日も気持ちの良い時間を過ごせました。



≪おまけ≫

ここのところ、私の宿に訪れる客人はバイクのお客さんが多いです。
この人も一週間ほどかけての台湾一周バイク旅行だそうです。










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『武界壩(堰き止湖)』と『日本人村の跡』。

2021年09月05日 | 名所案内

【武界水庫】
台湾最大の河川、濁水渓を堰き止めてこちらの水庫が作られています。
こちらの『水』は、水力発電や日月潭の水源にも利用されています。




水庫にある『壩』と呼ばれる水を溜めておく巨大な(堤防)は、日本統治時代の1919年(大正8年)~鹿島建設によって建造されました。
現在でも、ここから12kmほど離れた日月潭へ送水されていて、水力発電にも利用されている重要な水源です。
現在の所有は、台灣電力公司(発電会社)になっています。


始建時間: 1919 年
位置: 南投縣仁愛鄉武界
坝体积: 105,740立方公尺
壩頂寬度: 6.06米(20英尺)
始建: 1919年
所有者: 台灣電力公司

ちょっと’裏話’ですが、二十年ぐらい前の陳水扁政権の時にこのダム湖システムを台湾人の手で新たに造り直そうと画策した事がありました。
設計や準備に取り掛かったのは良かったのですが(かなりの資材を既に受注)、予想以上に工事の難易度を極め、結局は頓挫⇒計画白紙撤回。
その時に、台湾全土に昔の日本の技術レベルの高さを思い知らせました。当時私もテレビニュースで見ていて凄いなあと思いました。



以下、『日本人村の跡』

現在では川底に沈んでしまっていますが、以前はこちらに日本人村がありました。
武界壩工事の鹿島建設関係の人たちが多く住んでいたそうですが、度重なる川の増水氾濫と川幅拡張等もあって
4~5回も村ごと引越しを余儀なくしたそうです。
現在では、更に上流になる萬豊と言う場所で落ち着いています。



当時、日本人村には大きな’吊橋’があったそうですが、現在確認できるのは『地面から突き出している ’ 吊橋の橋桁のみ ' 』です。
以前日本統治時代に、日本人村で警察官をされていた山根さんの話では、この突き出ている橋桁の数十メートル地中に日本人村が埋まっているとの事です。




山根さんが当時の警察官上司(日本人)から命令されて作った記録書にある『当時の日本人村の地図』。
興味のある方はじっくりとご覧ください。
≪山根さんが製作した記録書は私と片倉氏が一部保管しています。≫

神社、派出所、学校、吊橋、も地図上で確認できますね。

私も日本人として、感慨深いものを感じます。

【故山根さん(当時92歳)と 】

日本時代の警察官って感じですね。懐かしいです。

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昨日は原住民布農族の人たちの部落、『法治村』へ行って来ました。

2021年09月04日 | 日記

【埔里と武界を結ぶ1キロ近くあると思われるトンネル。】この山を越えると布農族が住む原住民へ行く事ができます。

このトンネルは山を完全に貫いてできています。完成までが凄く大変だったと聞いた事があります。
地形の関係もあって、トンネルの入口付近と出口付近の外気の温度が全く違います。
片方の入口が太陽に照らされていても、出口付近が大雨だったりします。面白い場所です。
原住民の人たちの話しによると、完成する前はから埔里市内まで一週間ぐらいかけて ’ 険しい山道 ’ を歩いていたそうです。
現在でもその ’ 険しい山道 ’ は、旧道として存在していて一応道にはアスファルトがかけられていますが、とにかく急な坂道が続きます。
もちろん自然が豊かな道なので、動物や虫たちがたくさん棲息していて私は個人的には時々この旧道を選んで進んでいます。



トンネルを抜けると、目的地の『法治村』が眼下に広がります。



道端にはいろいろな原住民アートが施されています。


以前はこの場所に大きなゲートがありましたが、たぶん大雨や台風の関係で取り外したと思われます。
私も何度か大雨の時に虫探しに来た事がありますが、危険極まりない!状態でした。 良い子はマネをしない様に。



法治村。上記写真の場所は、一応最も大きな道路(メインの道)。
濁水渓に沿ったこのエリアでは最も大きな原住民で、住民が600人にも満たない布農族の人たちが住んでいます。



日本統治時代の診療所跡。
日本から派遣された公医(芹田騎郎さん)の方が、こちらの診療所で医療に従事されていました。

1945年に台湾に国民党が押し寄せて中華民国になった時も、直ちに帰国せずに既に危険なはずの台湾に残って
原住民の人たちへの医療活動(この以外の何ヶ所もの原住民へ出張医としても)を続行されていました。
芹田騎郎さんご夫婦の娘の宍戸幽香里さんが私の宿の常連客で、私の宿に来られる度に、こちらへお連れしています。
日本統治時代にも、素晴らしい日本人がたくさんいたんですね。





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昨日は台湾の道路で最も高い場所<標高3275m地点>へ行って来ました。

2021年09月03日 | 日記

【合歓山の頂上へ向かっている道途中】
この場所へは、今年既に十回ぐらいは行っていますが、昨日の目的は標高2500m付近に棲息するアケボノアゲハ
の観察と天気が良かったので冷たい新鮮な空気を吸う事です。
私の宿からスクーターでのんびり走行して1時間ちょっとで行ける場所なので、今では裏山に散歩に行くぐらい
の感覚で通っています。
昨日は、コロナ禍の影響もあって、殆ど人とも遇わずに目的のアケボノアゲハもたくさん見れて良かったです。

時々私の宿の常連客たちから『渡部さんは良いなあ、いつも自由で!』と言われる事がありますが。
真相は、 ’ お客さんが来なくて退屈なだけ ’ なんですよ..........。


『忙しいから、お金を使う時間が無い』と『収入が少ないけど、遊ぶ時間はたくさんある』
どっちが良いのでしょうかね?


【タイワンソクズに集まるアケボノアゲハ  中国語名:曙鳳蝶 】
すみません.....私の古い型のスマホでは撮影これが限界です。

台湾では天然記念物に指定されている蝶で、私が住んでいるエリアの中央山脈でしか見れない蝶らしいです。
捕獲した事がばれると【通報先は林務局が良いでしょう(笑)】、日本円で100万円以上の罰金を科せられる蝶です。
五月ごろと九月ごろにタイワンソクズ(花名)が多く開花するのでその蜜を目当てに集まってきます。
この蝶を探すコツは、タイワンソクズが群生している場所を見つけることですね。
毎年宿の常連のお客さん(日本人)でアケボノアゲハの撮影に来られる方がいるのですが、昨年、今年と
コロナ禍で来る事ができませんでした。私もこの数年で、新たにタイワンソクズがたくさん咲いている場所を
見つけてあるので、来年コロナが終わっていれば早速お連れしようと考えています。コロナ禍、無事に終わるかな......。


【以下二枚の写真:私の宿の常連のお客さん(てふ太郎氏)が撮影してくれた曙アゲハです。】

下羽が鮮やかな赤になっているのがオス♂です。
大きなアゲハチョウなので、近くで見ると凄く迫力がありますよ。




(撮影:てふ太郎氏)
これがアケボノアゲハのメス♀です。
オスとは違い、白が強くて高貴な気品みたいなものを感じます。
うっとりと、見とれるぐらい綺麗ですよ。




【オオベニモンアゲハ】

この蝶はアケボノアゲハがいる場所には、必ずと言って良いほどいます。
アケボノアゲハが3匹いたら、この蝶は少なくても5匹ぐらいはいます。
タイワンソクズの花は、アゲハチョウたちに大人気です。

因みに、’オオベニモンアゲハ’は高地に、普通の’ベニモンアゲハ’は低地に棲息しています。





【武嶺:標高3275m 台湾の道路で最も標高が高い地点】

私はいつもスクーターで来ますが、’ツワモノ(強者)’になると、ここまで自転車で来る人もいます。
毎年埔里市内からここまで来る自転車のロードレースが何回も行われています。
世界中からの参加者が集う大会で、数年前の大会では私の宿から参加した日本人(スポンサーからのレース招待客) 
が見事優勝しました。確かタイムが三時間半かからなかったぐらいです。
身長が165センチぐらいで、職業がたしか公務員の人、本当に凄かったですよ。


【タカサゴマシコ(鳥名)】
いつもこの辺りへ行くと遭遇します。人懐っこい鳥で全然逃げません ^_^


こちらは、タカサゴマシコと一緒に野苺みたいな実を食べていた鳥。
私は詳しくないのでわかりませんが、この二匹すごく仲が良かったので、こちらがメス♀なのかなあと思いました。




で、彼ら(タカサゴマシコ)が食べていた’実’ですが、たくさんあったので私も食べてみました。
’桑の実’みたいで美味しかったですよ。






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鯉魚潭

2021年09月02日 | 名所案内

【鯉魚潭 埔里】
台湾には現時点で四ヶ所に’鯉魚潭’と呼ばれている大き目の池があります。
旅行のガイドブック等で紹介されている花蓮の鯉魚潭は有名ですね。
私の住む埔里にも池レベルの鯉魚潭があります。
こちらでは、毎年秋口辺りに野山の中をひたすら限界値で駆け抜ける’トレイルマラソン’が行われています。
二年前に行われた104kmのレースでは、見事私の宿から出場した人(女性の部)が優秀しました。
昨年に引き続き今年もコロナ禍で、たぶん中止になると思うので非常に残念です。

話は逸れましたが、以下が台湾にある四ヶ所の鯉魚潭の場所です。

# 花蓮縣壽豐鄉
# 南投埔里鎮
# 苗栗三義鄉
# 新北石碇鯉魚潭(潭腰)。




埔里の鯉魚潭は、池の周りに整備された遊歩道があって地元の人たちが朝夕刻時には散歩やジョギングをしています。
池の周りにはリゾートっぽい宿泊施設(ホテル)もあるので、週末には宿泊客たちも散歩をしています。
大体1時間以内で、ぐるっと徒歩で一周する事ができます。



野薑花と呼ばれる一応ショウガの一種ですね。
私は花しか食べた事がありませんが(埔里では食べます)、一応ショウガも土中にできるらしいです。
この花は凄く強烈な甘い香りを発しているので、どこにあるのかすぐに見つけられます。



シマトネリコの樹。
この樹は、たぶんカブトムシを呼び寄せる為に植樹していると思われます。
幹がカブトムシにやられてボコボコになっていました。



観賞用にホタルも育てている様です。
埔里には何ヶ所もホタルの名所があります。



巨大化したモンステラも植えてありました。
私の家にもありますが、ここまで大きくはありません。湿気が多い場所なので、たぶん気候が合うんでしょうね。




’ 鶴 ’ がいました!




' 亀 'もいました!




なぜか ' ペンギン ' も.........。




夕暮れ時の散歩に最適なので、私も時々この時間帯に訪れています。


場所は、埔里市内から四キロぐらい離れた郊外になります。


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埔里にある滝に行って来ました。

2021年09月01日 | 名所案内

【観音瀑布へ向かう道】

埔里には、いくつかの滝があります。
昨日は久しぶりに私が住む町からバイクで十分ほどで行ける観音瀑布へ行って来ました。
平日のせいか、ほとんど人とも遇わずにのんびりできました。
滝の入口から二十分ほど進むと、埔里最大の滝に辿り着けます。



緩やかな坂道がずっと続きます。
昨日は大量のアゲハチョウが道端で吸水をしていました。
私のスマホでは動画には納められましたが、写真を撮る事ができませんでした。


ちょっと怪しい雰囲気が.....

この辺りは随時’崖崩れの危険’があります。
私の経験だと(何度も遭っているので)崖崩れ回避の方法は、’ 音 ' ですね。
とにかく、ちょっとでも嫌な雰囲気がしたら、とにかく’ 小石などが崩れる音 ' に注意する事だと思います。


暫く進むと、足元にたくさんの ' 食べ残した豆 ' が落ちていました。
足を止めると、ボロボロと上から落ちてきます。


猿の群れに遭遇しました。
この辺りにはいろいろな野生動物が生息しています。
センザンコウやイノシシなんかもいます。


目的の滝が前方に見えて来ました。


観音瀑布への道程には最後の関門があります。
心臓破りの階段です。いつも滝の水で湿っているので、滑りやすく危険です。


やっと到着です。
マイナスイオンは凄く気持ちが良いですが、その代わり全身ビショ濡れです。

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最近の生活。

2021年08月02日 | 日記

埔里の近郊をスクーターでブラブラしてきました。
実は、上記写真、道に迷っている所です。
この町に住み続けて既に十年以上が経ちますが、まだ知らない道(突っ込んでいない道)が何ヶ所かあります。
昨日は、ちょっとどこに出るか不安でしたが、新たな開拓目的で山道を進んでみました。
日が暮れるまでには後一時間半ほどあったので、思い切って突っ込んでみました。


暫く進むと、知っている道に何とか出る事ができて無事に帰還できました。


戻り道に私の大好きな『モリンガ(Moringa thouarsii)』観察をして、ついでに又しても『種』の採集もして来ました。
※既に家には以前採集した『種』が発芽して苗が二十鉢あり。 計画は着々と進んでいます。





最近一週間の私の生活。
食事・バーベル運動・プロテイン飲む・昼寝・スクーターで散歩・あとオリンピック観戦...................。
本当に ’ これしかやっていない ’ 。  
コロナ禍とはいえ、良いのだろうか?こんな生活を続けていても(汗)。




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能高瀑布へ行って来ました。

2021年07月25日 | 日記

【能高瀑布 埔里】

ちょっと『滝』っぽくないですが、一応名前が『瀑布(滝)』になっています。
場所は埔里市内を囲んでいる山間に少し入った場所です。


四・五月には多くのホタルが見れる場所で、同時に毒蛇もたくさん生息しています。
私が今までにここで見た毒蛇は、雨傘蛇、百歩蛇、青ハブです(台湾の有名毒蛇の6種類の内の既に三種類!)。
中でも模様が黒白のストライプの綺麗な『雨傘蛇』の毒はコブラに匹敵する台湾で最も毒性が強い一種なんですよ。
ちょっと話が飛びましたが、自然が豊かな分、いろいろな動植物が生息しているという事です。


親子連れの家族が遊んでいました。(この人たちは毒がありません。)




まだカブトムシを見る事ができました(感激)。時期的に既に遅いので、たぶん今年最後になるかと思います。



戻り道に通過した橋の下に面白い光景が見れました。


下写真は拡大。

黄牛。と呼ばれている基本的には食用の牛が放牧されていました。
埔里は宗教の町なので牛の堵殺場がありません。
もし黄牛を食べたければ台南の『溫體牛』がお勧めです。
『溫體牛』は、’冷凍していない新鮮な牛肉’の事です。



台湾での本日の武漢ウイルス感染者は二十人ちょっと。
数日前には一ケタ台にまで下がりましたが、なかなかゼロにするのは難しいですね。
(埔里はここ1ヶ月以上感染者が出ていません。)
明日からやっと台湾の新型コロナウイルスの警戒レベルが二に引き下げられます。
基本的には店内での飲食をする事ができる様になりますが、たぶん皆さん凄く慎重なので暫くは
今までどおりに店内では飲食せずにテイクアウト(持ち帰り)が主流になると思います。
私の宿も既に予約が入り出していますが、気持ち、ちょっと微妙ですね。
感染再拡大が怖いので、ドミトリーの人数制限を暫くの間 ' 一部屋3人以内 ' にします。








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台中在住の友人たち(日本人一家)が遊びに来てくれました!

2021年07月18日 | 日記

向かって左の女性が私の宿の常連客(十年ぐらい前からの)で、右の方がご主人です。

昨年、今年とコロナ禍の影響もあって、彼らのお子さん(一歳半)に会えず終いの日々が続いていましたが、
やっと会う事ができました。 凄く元気でとにかく動く動く動き回る。自分の息子の幼少時を思い出しました。
奥さんは、全く中国語も話せない状況から台湾居住を決断して、十年近い努力の甲斐あって大学院⇒博士号と進んだ人です。
親しみやすい人柄のおかげか、たくさんの親身に付き合える台湾人の友人も多いです。
それと、五年ほど前に ’ 最高のご主人 ’ と知り合ったそうです。


’真面目にガンバッテいる人には、相応の人たちが集まる’ 本当にそう思います。


【私の宿の前で。】


お子さん(女の子)は、私にもけっこう懐いてくれてよかったです。



【最後の別れ際.....】

彼らが埔里を離れてから、車内からの写真を送ってくれました。

≪ 何か胸が熱くなりますね。 ≫



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ドラゴンフルーツの花の観察

2021年07月14日 | 日記

【学名:Hylocereusundatus サボテン科ヒモサボテン属 原産国:メキシコ 別名:ピタヤ】


道端でけっこう見れる果物ですが(近所にはドラゴンフルーツの畑も点在)、花は’月下美人’の様に一夜しか咲きません。

因みに、ドラゴンフルーツの花言葉は「永遠の星」。夜空の星の様に咲く事からこんな花言葉が付いたらしいですよ。
『聖闘士星矢』みたいで格好良いですね。



【そろそろカブトムシの季節もお終いです。】


今年もたくさんのカブトムシを観察する事ができました。
彼らには、パートナーを見つけて無事に次世代へ子孫を残せる事を祈るばかりです。
又来年が楽しみです。

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本日は、奥萬大付近へ昆虫観察に行って来ました。

2021年07月07日 | 日記

【フタテンアカ・ノコギリクワガタ】

台湾では標高が比較的に高い場所に生息しているクワガタです。
私の住んでいる埔里市内では見る事ができませんが、少し町から離れるとヒラタクワガタに次いで多く見る事が
できるクワガタ虫です。今回は霧社へ向かう途中の標高が800mの南山渓一帯で見る事ができました。


山エリアへ向かうには先ず霧社を通過します。
今回の目的地の奥萬大付近へも霧社まで先ず向かい、そこから奥萬大方面へ細い林道を三十キロぐらい進みます。


林道横には碧湖が広がっています。奥萬大は碧湖を越えてから更に二十キロ近く進む事になります。


かなり目的の昆虫エリアに近づいて来ました。



【標高1500m。尖台林道:樹液に集まるカナブン ちょっと離れた場所からスマホで撮影。】
私が近づくと一斉に飛び立って逃げてしまいました。
今回は私1人だったので、トラップ(パイナップルのお酒漬け)持参しなかったのでのんびり見れませんでした。
それと甲虫以外にも多種類の蝶が多く見れました。


この辺りも標高がけっこうありそうです。天気に恵まれてよかったです。

【川底数十メートル底に日本人村が沈んでいます】


以前日本統治時代にこの先にあるダム建設の為に携わった鹿島建設の人たちの居住地が川底に沈んでいます。
二枚目の写真は拡大写真です。画像中央:地面から突き出しているのは’日本人村の吊橋の支柱’です。




日月潭の水源になっている水庫。ここから巨大なホースで夜中に日月潭へ水を送っています。

更にこの先の武界へ向かってから埔里へ戻りました。


この日の昼食に昨日キノコ農場から購入した『ナメコ』をたっぷりいれたお蕎麦をいただきました。

大根おろしと鶏肉もいれて、我ながら想像を超える良い出来上がりになりました。
本当に美味しかったです。


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台湾産の『ナメコ茸』Get です。

2021年07月06日 | 日記

【埔里豐年菇類生態農場で栽培された’ナメコ茸’(菌床栽培品)】

本日は、キノコ農園へ行って来ました。
目的は、上記写真の『ナメコ』です。
Wikipediaによると、ナメコの分布は日本、台湾。となっていますが、こちらの農場以外で生のナメコを販売されて
いるのを見た事がありません。こちらでは、数年前から試験的にナメコの栽培を行っています。
実は台湾では、納豆を初め’粘り気のある食材’は台湾人に対して非常に人気がありません。
たぶんそのせいだと思うのですが、こちらで販売されているナメコもほとんど購入する人がいない様です。
栽培方法の違いかもしれませんが、こちらで栽培されたナメコは、粘り気が日本の物よりも少なくてサイズも大きめです。
※私はナメコが大好物です。いつも売れ残っているので好都合です。



【靈芝】おもしろい形をしたキノコですね。



季節によって多種類の栽培が行われています。

【埔里豐年菇類生態農場では、自分で摘んだ多種類のキノコの量り売りも行っています。】





現在コロナ禍なので、販売コーナーに入る時には入場者のQRコードを記録する必要があります。
こちらの販売コーナーでは、各種菌床や採れたてのキノコの即売も行っています。



明日は早速、こちらのナメコをたっぷり入れたお蕎麦を作ろうと思っています。


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木になる面白い果物。

2021年07月05日 | 日記

【樹葡萄 嘉寶果 ジャポチガバ(Jaboticaba)】

台湾では’樹葡萄’と呼ばれている果物です。
本来ブドウは、ツル状に伸びてブドウが房になりますが、この果物は樹皮に直接実がなります。
埔里では、たくさんの場所で見る事ができる樹木ですが、正直あまり美味しいとは思えません(私個人の感想)。
台湾では、この果物をいろいろな呼び方をしています。

ブドウとは全く関係のない南米原産の果物です。
樹葡萄:ツル状態にならないで、樹皮に直接できる実がブドウの様なのでこの言い方をしています。
嘉寶果:jia bao guo 元々英語名のJaboticabaを中国語の発音(漢字)にした呼び方です。





気候も暑くなって来たので、道端でもジャックフルーツがけっこう色々な場所で見れる様になりました。
今ではジャックフルーツの木が街路樹としても見れます。
因みに、埔里の住民は*『美味しくはない!』と言う人がほとんどで、市場でもあまり売られていません。
Ps:私は大好物の一つで、熟れた実を丁寧に取り出して凍らせて食べるのが好きです。


埔里は’花の栽培’でもけっこう有名な場所です。
エリアによっては広大な敷地を利用して大量の花が栽培されています。


日本では、漢字で『真菰筍(マコモダケ)』。
台湾では、茭白筍。茎部分が女性の足みたいな形をしている事から美人腿(美女の足)とも呼ばれています。
稲科の植物で、茎部分に寄生する黒穂菌が根元部分を肥大させます(食べる部分)。
どちらかと言うと『タケノコ(筍)』ではなく、『椎茸の’タケ’(菌)』に近いですね。



私の趣味。自宅で栽培している観葉植物の『ヘゴ』。
けっこうお気に入りです。





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本日は、午前中『魚池郷』へ行って来ました。

2021年07月03日 | 日記

【魚池郷】   
埔里の隣町が’魚池郷’になります。
この辺りで知名度の高い日月潭は魚池郷の中にある湖です。
本日は午前中の時間を利用して、いつもの様にスクーターでこのエリアをブラブラして来ました。
私が住んでいる町(埔里の中心部)からスクーターで15分程で行ける魚池郷には川や緑が多く田舎
の風景が素晴らしいです。
この辺りには檳榔(ビンロウ)が特に多く植樹されているので、南国風な雰囲気が楽しめます。
標高自体も台北などの北部と比べるとかなり高いので、木陰に入るとけっこう涼しいです。
因みに私の住んでいる町は標高が500mぐらいで、魚池郷は7・800mぐらいはありそうです。




場所によっては、山がそのまま檳榔椰子で埋め尽くされている場所も多々あります。
檳榔樹の活用方法は、この辺りの特産の紅茶や珈琲豆の直接の日差し避けに一緒に植えられている場合が多いです。




日本統治時代に植樹された紅茶(アッサム種)の茶樹です。既に7・80年ぐらいは経っているんじゃないでしょうか。
この辺りの主要な茶葉(紅茶)は、日本時代から引き継がれている『アッサム種』、改良種の『紅玉(臺茶18号)』
台湾に元々自生していたと言われている『山茶』の三種類が主な品種です。
追記:改良種は現時点では、2018年に品種改良で作られた「臺茶23號-祁韻」が新品種の様です。



【紅茶畑とビンロウの木】
檳榔樹はヤシの一種なので、良い感じに雰囲気が出ていますね。




本日もカブトムシがたくさん生息しているシマトネリコが群生している場所を見つけました!

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台湾での生活が25年になりました。

2021年06月27日 | 日記

【日月潭(6/26夕方の様子):水不足も解消され、やっと満水状態になりました。】





私が台湾生活を始めたのが1996年の6月25日なので、既に25年間の月日が流れた事になりました。
今思うと凄くたくさんの事がありましたが、苦労している時間が多かったので、あっという間に時間が過ぎた様にも思えます。
映画<フォレスト・ガンプ>の劇中でも言っていましたが、『人生はチョコレートの箱 食べてみるまでわからない。』
本当に上手に例えているなあ、と思いますよ。


【埔里市内の夕方の様子】
この25年間で相応の結果も自分なりには出したと思うけど、51歳と言う年齢を考えると次の新たにやろうとしている挑戦が最後になりそうです。
これからも、失敗を恐れず(私はけっこう失敗慣れしてます)に ’ やる ’ しかありませんね。 



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