【川中島(現:清流部落)】
本日は午前中に北港渓(仁愛郷)にある川中島へ行って来ました。
埔里からは、スクーターで三十分ほどで行く事ができる場所になります。
目的は、以前お世話になった友人の墓参りと、地鶏の産みたて卵ゲットです。
’川中島’と言う部落の名称は、日本統治時代に付けられた名称で、現在の正式名称は『清流部落』です。
1930年(昭和5年)10月27日に、当時日本の統制下にあった霧社で起きた大量日本人殺傷事件『霧社事件』。
事件を起こした原住民(加害者)たちの部落に住んでいた人たちが、危険分子とみなされて最終的に川中島に強制移住させられました。
『川中島部落』には、現在でも強制移住させられた人たちの孫・曾孫の代に当たる人たちも多く住んでいます。
川中島部落の入口には、『清流橋』と言う北港渓を跨ぐ橋がかけられています。
≪この橋がかけられるまで十数年前ですが、ちょっと危なっかしい橋が架かっていました。≫
【巨大なカブトムシ!】
道端でひっくり返っていたカブトムシを見つけたので、樹に戻してあげました。
(カラスに襲われなくて良かった。一日一善、本日も良い事をしました。)
【川中島部落】
人口が500人ほどの小さな部落で、ほとんどの方が農業に従事しています。
日本でも上映された霧社事件を題材にした映画『セデック・バレ』(十年ほど前に放映)の影響と、私のブログも貢献した様で、
今までにたくさんの日本人も観光客として訪れていると部落の人たちからも聞いています。
≪現在、閑古鳥が鳴いていますが、コロナ禍前は毎日何台もの遊覧バスが訪れていました。≫
友人のお墓参りをしてきました。(私の後に見えるのが、黄さんのお墓)。
この蝶、不思議とずっと私にくっついていました。
ハイビスカスの一種だと思いますが、綺麗なので写真に収めました。
【以下、友人のお店で。】
これは『粟(あわ)』です。
現代人で食べている人はほとんどいないはずですが、健康食品感覚で売っています。
≪私はどうしても粟を見ると、以前飼っていた鳥(インコや文鳥)を思い出してしまいます。≫
本日の目的。『地鶏の産みたて卵』ゲットです。
≪非籠飼:カゴで飼育していない。=野原で放し飼い≫
放し飼いされている地鶏の卵をご主人の奥さんが毎日拾ってきます。
≪殻が凄く分厚くて割れにくく、たぶんですが、有精卵の可能性も十分にあるので温めていたら孵化するかも。≫
こちらのお店のご主人。私の十年来の友人です。
ちょうどお昼になったので、ご主人が作った爌肉飯(豚肉の角煮飯)をご馳走になりました。