ゲストハウス・プリ / Guest House Puli

日月潭、廬山温泉、合歓山(登山)等へ向かう拠点になる町≪埔里≫で生活する日本人オーナーの個人日記。

布農族(原住民)の人たちが住む部落へ行って来ました。【後編】

2024年09月18日 | 日記



【武界・法治村内】
お土産屋さん
法治村部落には、正直’食堂’が非常に少ないです。
私たちが訪れた日は、平日だったので余計に食事ができる場所が少なくて、色々と探した結果こちらの土産物屋さんで猪肉のソーセージと糯米をいただきました。
私は何度も訪れているお店なので、お店の人が私の事を覚えていたみたいです。





原住民部落と言っても、大昔の様に民族衣装を普段から来ている人がいる訳ではなく、普通に現代人の恰好をしています。
私がいつも大笑いしながら見ているのが、現在でも受け継がれている東部等で行われている ’ 豊年祭 ’ 等のイベントで踊っている人たちの恰好です。
観光客向けに民族衣装を纏って踊っているのはわかりますが、 ’ 靴 ’ 何とかなりませんかね? 
アディダス、ナイキ、ニューバランス、アシックス.............
運動靴が動きやすいのは理解できますが、私いつもどこの靴のメーカーが人気があるのか気になって仕方ないですよ。
皆で同じ靴にしたり、せめて色を揃えるとかしてほしいなと個人的には思います。



村の外れには雨の後に何か所かの小さな滝が臨時で出現します。

この法治村部落を抜けて、更に山奥にある ’ 日本人村跡地 ’ を目指します。


このトンネルは狭いので、車が一台ずつ順番に通り抜ける様にしています。


【以下、日本人村があった場所の現在の様子】

以下、上記写真拡大。↓ ↓ ↓ ↓ ↓

この写真の場所ですが、川の底に ’ 日本人村 ’ が沈んでいます。
’ 吊り橋の橋桁 ’ が川から突き出しているのが見えます。
日本統治時代、日本の鹿島建設の人たちが中心となって武界法治村内に武界水庫(ダム)を建設しました。
彼らは、こちらの日本人村で生活をし、建設現場へ通っていたそうです。
私の友人(故、山根氏)は、当時こちらの日本人村で警察官として派出所に勤務していました。
当時上からの命令で、この辺りの事を書面にまとめる様に言付かって’まとめた資料’があります。
私も一冊頂いたので、宿の本棚に並べてあります。(興味のある人は閲覧可能ですよ。)。


学校、警察署、神社等もあります。




興味深いのは、上の写真にも写っていますが、 ’ 吊り橋の橋桁 ’ が川から突き出している部分です。





以前山根さんから直接聞いたのですが、この ’ 吊り橋の橋桁 ’ の五十メートルぐらい下に’日本人村’が沈んでいると言っていました。

この辺りの川は何度も氾濫して、住民たちは余儀なく移住を繰り返してきました。
現在では、ここから更に下流になる場所の’萬豊部落’と言う場所で落ち着いています。

山根さん、良い人だったなあ。



私に会う為に埔里にわざわざ遊びに来てくれた事もありました。懐かしい思い出です。






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日月潭萬人泳渡

2024年09月16日 | 日記

昨日は、早朝から日月潭の水泳イベントが行われました。
今年で十一回目になり、今回の参加者は二万人を越えました。
私の宿も数か月前から宿泊の予約を受けていて、イベント前夜は満室でした。



私も二十年ぐらい前に一度だけ参加した事がありますが、その時の参加人数は一万六千人ぐらいでした。
正直言うと、このイベントは速度を競うものではありません。
参加者が一斉に泳ぎ出すので、スタート地点は大渋滞で思う様に泳げません。
どちらかと言うと、皆で仲良く浮かびながらゆっくり進みましょう!みたいな雰囲気です。

泳ぐ距離は三キロちょっと。五十メートルおきぐらいに監視員がいるのと、
参加者全員が’水難救助浮き具’を体に結びつけながら泳がなければなりませんので安全して参加できますね。
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布農族(原住民)の人たちが住む部落へ行って来ました。【前編】

2024年09月14日 | 日記

【武界・法治村】
上記写真の場所は、法治村と言う布農族の人たちが住む部落です。
日本統治時代には、このエリアに多数存在していた原住民部落の中でも中心的な大き目の部落でした。
日本人のお医者さんが常駐していた診療所や警察署(派出所)もあり、原住民の人たちの居住区を束ねる役所もこの場所にありました。
私の住む埔里の町から交通手段が準備できれば三~四十分ほどで行く事ができる部落です。
途中、山を越える(長いトンネル)事になるのですが、このトンネルの入り口付近とトンネルを抜けた場所の空気が明らかに違う事にいつも驚かされます。
不思議な事に、トンネルの入り口が雨でも抜けた場所が晴れていたりすることもあります。
いつも別世界へ来る様な気がして、通過する度にけっこう楽しみにしています。



道端には原住民アートみたいなものも所々見ることができます。


ちょっと(実際には非常に)ヤバイのが道端で轢かれていました。
台湾の毒蛇の中でも最強の毒を持つ『雨傘節(日本名:雨傘蛇)』です。
コブラ科アマガサヘビ属に分類される毒ヘビで、コブラと同じ神経毒なので噛まれたら本当にヤバイやつです。
私は今ままでにホタル見物の時に数回見た事がありますが、この蛇自体は性格が非常に穏やかなので刺激しない限り噛まれるということがありません。
まあ、見かけても焦らない事が大事ですね。



日本統治時代に日本人医師が駐在していた診療所跡。現在は倉庫みたいになっています。
当時ここの診療所を起点に、山々の原住民部落へ出張医として活躍されていた日本人医師の娘さんが私の宿のお客さんです。



布農族の子供たちが通っている小学校。
こんなグラウンドで走り回れるなんて最高ですよね。


【今回、私が客人をこちらの部落へお連れした目的の一つ】



こちらの部落を空中から撮影する事と、以前存在していた日本人村の跡を空中から撮影する事です。


続きは、次回のブログ更新でご案内しますね。











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passion fruit 中国語で「百香果」。

2024年09月11日 | 日記




passion fruit
中国語で「百香果」。
台湾全土の収穫量90%が埔里で栽培されています。
大部分の地元民(私も)は、ナイフやスプーン等も使わずに食べます。
手に取ってから食べ終わる迄の時間は1分もかかりません。 私なら一つを三十秒も有れば十分食べ終わります。
そう言えば、「果実が酸っぱくなるのと、甘いのとの原因を知っている人」は台湾の果物通ですよ。
コメント (2)
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