【松岡地区/標高2300m】
主に1950年代、国民党(中国から移住して来た人たち)政府、軍人関連の人たちのための居住区として準備された『眷村』と呼ばれていたエリアが今でも台湾中に点在しています。この『博望新村』は、国民党の歴史上、切り離せない’眷村’の一つです。
中国本土から蒋介石率いる国民党が台湾に渡って来た後も、雲南省で何年にも渡ってゲリラ戦を引き続き繰り広げていた’国民党の残党’を後にこの『博望新村』を準備して移住させました。今では只の辺境の土地にある小さな集落ですが、台湾の歴史に興味のある人には是非訪れていただきたい場所です。私の住んでいるプリからはバスを利用すると1時間ほどで行く事ができます。
標高がかなりあるので、霧が出易く天候も非常に変り易いです。確かに雲南省の天候に似ているような気もします。(ps:私も以前雲南省を二ヶ月間かけて旅行をした事があります)
(暫く道沿いに下ると清境地区の屋台街があります。)
この屋台街では’雲南料理’も食べる事ができます。彼らの末裔が受け継いでいるようです。
主に1950年代、国民党(中国から移住して来た人たち)政府、軍人関連の人たちのための居住区として準備された『眷村』と呼ばれていたエリアが今でも台湾中に点在しています。この『博望新村』は、国民党の歴史上、切り離せない’眷村’の一つです。
中国本土から蒋介石率いる国民党が台湾に渡って来た後も、雲南省で何年にも渡ってゲリラ戦を引き続き繰り広げていた’国民党の残党’を後にこの『博望新村』を準備して移住させました。今では只の辺境の土地にある小さな集落ですが、台湾の歴史に興味のある人には是非訪れていただきたい場所です。私の住んでいるプリからはバスを利用すると1時間ほどで行く事ができます。
標高がかなりあるので、霧が出易く天候も非常に変り易いです。確かに雲南省の天候に似ているような気もします。(ps:私も以前雲南省を二ヶ月間かけて旅行をした事があります)
(暫く道沿いに下ると清境地区の屋台街があります。)
この屋台街では’雲南料理’も食べる事ができます。彼らの末裔が受け継いでいるようです。