828)ドコサヘキサエン酸と膠芽腫:脂肪酸結合タンパク質7(FABP7)とペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γ(PPARγ)の関与

図:ホスホリパーゼA2(PLA2)によって細胞膜から切り離されたアラキドン酸(AA)は細胞質内で脂肪酸結合タンパク質7(FABP7)と結合して細胞質内を移動し(①)、シクロオキシゲナーゼ-2(COX-2)によってプロスタグランジンA2(PGE2)に変換され(②)、PGE2はがん細胞の増植・転移を促進し、細胞死に抵抗性にする(③)。一方、ドコサヘキサエン酸(DHA)はPLA2によって細胞膜から遊離したあとFABP7と結合し(④)、細胞核内に移動し(⑤)、ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γ(PPARγ)と結合し(⑥)、遺伝子の転写調節領域に結合して遺伝子発現を誘導する(⑦)。その結果、がん細胞の増殖・転移を抑制し、細胞死を誘導する(⑧)。がん細胞の増殖や細胞死に対する作用は、細胞膜中のDHAとAAの比率に依存することになる。

828)ドコサヘキサエン酸と膠芽腫:脂肪酸結合タンパク質7(FABP7)とペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γ(PPARγ)の関与

【膠芽腫は増殖が早く再発しやすい】
膠芽腫は神経細胞(ニューロン)と神経膠細胞(グリア細胞)の両方の細胞を作り出している神経幹細胞に遺伝子変異が蓄積してがん化した腫瘍です。神経幹細胞は側脳室の壁の部分の脳室下帯に存在し、成人になっても新たなニューロン(神経細胞)とグリア細胞(神経膠細胞)を作り出しています。
成人の脳の脳室下帯に存在する神経幹細胞は長期間存在し、増殖活性を持っています。したがって、神経幹細胞には細胞分裂時のDNA複製エラーが蓄積します。神経幹細胞に遺伝子変異が蓄積するとがん幹細胞になって、脳内を移動して離れた場所に膠芽腫を形成するのです。

膠芽腫は増殖活性が高く、進行が早く、ヒトの悪性腫瘍の中で最も予後不良の腫瘍と言われています。
手術や放射線治療や抗がん剤治療などが行われますが、このような集学的治療をおこなっても平均生存期間は12~15カ月程度であり,5年生存率は5%以下と言われています。
膠芽腫は周囲の脳組織にしみ込むように広がっていくのが特徴で、腫瘍と正常脳との境界が不鮮明となり、そのため手術によって腫瘍を完全に摘出することは極めて困難です。
したがって、手術でできるだけ摘出した後に放射線療法と抗がん剤治療が行われます。しかし、放射線治療や抗がん剤治療によって生き残るがん細胞がいるため、再発しやすいということです。
このような「放射線治療や抗がん剤治療によって生き残るがん細胞」として「がん幹細胞」の存在が重要と考えられています

【膠芽腫は脳室下帯の神経幹細胞から発生する】
前述のように、膠芽腫は神経細胞とグリア細胞の両方の細胞を作り出している神経幹細胞に遺伝子変異が蓄積してがん化した腫瘍です。
哺乳類の成体の脳では、神経幹細胞の大部分は側脳室の壁の脳室下帯(subventricular zone)内に見られます。側脳室(lateral ventricle)とは、左右の大脳半球の内部に対称性に存在する一対の空間(脳室)で、脈絡叢で作られた脳脊髄液を含みます。(下図)

図:脳室は脳の内部にある空所で、脳脊髄液を含んでいる。

脳室下帯の部分では神経新生が生涯続いています
脳室壁に沿って存在する脳室下帯は、胎生期にはニューロンの産生に寄与し、脳形成に重要な役割を果たします。
皮質形成期を終えた脳室下帯には、アストロサイト様の神経幹細胞が定着し、成体脳内でニューロンを産生し続ける特殊な領域となります。
脳室下帯で産生されたニューロンは、他の部分へ長距離を移動し、介在ニューロンに分化して、神経回路に編入されます。
また、脳傷害時には、脳室下帯の新生ニューロンの一部が傷害部に向かって移動し、神経回路の再生に寄与すると考えられています。
霊長類の発達した大脳皮質の形成に、脳室下帯が重要な役割を果たしています。

図:脳室下帯は4つの層(層I〜IV)に分けられる。 上衣層(層I)は、上衣細胞の薄い単層によって、脳室下帯を心室の内腔から分離する。 上衣細胞の後には、主に星状細胞および上衣の突起を含む低細胞層(層II)が続く。層IIIには、アストロサイト様神経幹細胞と神経芽細胞が含まれ、続いて有髄軸索とオリゴデンドロサイト(希突起膠細胞)を含む移行ゾーン(層IV)が続く。 その後、脳実質が始まり、実質は主にニューロン(神経細胞)とグリア細胞で構成されている。(参考:Cancers 2019, 11(4), 448)

成人の脳の脳室下帯に存在する神経幹細胞は長期間存在し、増殖活性を持っています。そこで、この神経幹細胞に遺伝子変異が蓄積するとがん幹細胞になって、脳内を移動して離れた場所に膠芽腫を形成するということです(下図)

図: 成人の脳の脳室下帯(①)では、上衣細胞に続いて神経幹細胞(②)が存在する。 神経幹細胞に幾つかの遺伝子変異(③)が起こり、腫瘍形成性の変異した神経幹細胞に変化する(④)。変異した神経幹細胞は他の脳領域に長距離移動でき、さらに遺伝子変異が蓄積することによってがん幹細胞(⑤)になり、成熟したがん細胞を生成しがん組織(膠芽腫)を形成する(⑥)

【膠芽腫は増殖が早く再発しやすい】
膠芽腫は増殖活性が高く、進行が早く、ヒトの悪性腫瘍の中で最も予後不良の腫瘍と言われています。
手術や放射線治療や抗がん剤治療などが行われますが、このような集学的治療を行っても平均生存期間は12~14カ月程度であり,治療成績はここ30年以上、ほとんど改善がないと言われています。
膠芽腫は周囲の脳組織にしみ込むように広がっていくのが特徴で、腫瘍と正常脳との境界が不鮮明となり、そのため手術によって腫瘍を完全に摘出することは極めて困難です。したがって、手術でできるだけ摘出した後に放射線療法と抗がん剤治療が行われます。
しかし、放射線治療や抗がん剤治療によって生き残るがん細胞がいるため、再発しやすいということです。
このような「放射線治療や抗がん剤治療によって生き残るがん細胞」として「がん幹細胞」の存在が重要と考えられています

膠芽腫幹様細胞のマーカーの一つに脂肪酸結合タンパク質7(FABP7)が知られています。FABP7の発現量が多いほど予後不良であることが明らかになっています。しかし、ドコサヘキサエン酸を多く摂取するとFABP7依存性に増殖や遊走が抑制されることが報告されています。
この現象を理解するためには、DHAの転写制御、ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γ(PPARγ)、脂肪酸結合タンパク質をまず理解する必要があります。

【遺伝子発現を調節する核内受容体とリガンド】
DNAの遺伝情報は、まずRNAポリメラーゼによってメッセンジャーRNA(mRNA)転写され、さらにmRNAからリボソームでタンパク質に翻訳されます。
DNAにはプロモーターエンハンサーといった転写を制御する領域があり、この領域に結合して遺伝子の転写を促進したり抑制したりするタンパク質を転写因子と言います。転写因子は単独で機能する場合もありますが、他のタンパク質と複合体を形成して転写活性を実行する場合もあります。
このようにして、遺伝子(DNA)の情報がメッセンジャーRNAに転写され、さらにタンパク質が合成されることによって細胞の構造や機能に変化が生じる過程を「遺伝子発現」と言います。
転写因子というのは遺伝子発現を制御する機能を持つタンパク質です

図:細胞の遺伝情報は核の中の染色体に記録されている(①)。遺伝子の本体はデオキシリボ核酸(DNA)で、一つの細胞には46個の染色体があり、合計で約30億塩基対の塩基配列情報がDNAに記録されている(②)。遺伝子DNAがメッセンジャーRNA(mRNA)に転写されてタンパク質が作られるためには、RNAポリメラーゼや転写因子などの転写を促進する複数の因子が遺伝子の転写調節領域に結合する必要がある(③)。mRNAはリボソームでタンパク質に翻訳されてタンパク質が生成される(④)。このようにして遺伝子情報からmRNAとタンパク質が合成されて細胞の構造や機能に変化が生じる過程を「遺伝子発現」という(⑤)。

ホルモン(甲状腺ホルモンやステロイドホルモンなど)や脂溶性ビタミン(ビタミンAやビタミンD)や体内で生成される生理活性物質(脂肪酸やプロスタグランジンなど)によって遺伝子発現が調節される場合の転写因子として「核内受容体」というタンパク質があります。
核内受容体というのは、細胞核にあって、ホルモンなどが結合することでDNAの転写を調節している受容体タンパク質です。核内受容体はリガンドが結合すると、構造の変化を起こして転写因子としての活性を持ちます。リガンド(ligand)というのは、特定の受容体(レセプター)に特異的に結合する物質のことです。

核内受容体群は,1つの原初遺伝子から分子進化した遺伝子スーパーファミリーを形成しており,そのメンバーはヒトゲノム解読の結果,48種存在すると推定されています。
ステロイドホルモンやビタミンAやビタミンDが特定の遺伝子の発現を調節できるのは、これらが特定の核内受容体への結合を介して、そのリガンド依存的な転写制御を発揮するからです。
体内の様々な生理活性物質がリガンドとして特定の受容体に結合することによって遺伝子発現が調節されています。また、単なる栄養素と思われていた脂肪酸や、胆汁酸などの代謝産物も核内受容体に結合し、遺伝子転写を制御していることが明らかになっています。
リガンドと同じ働きをする薬をアゴニスト(agonist)、リガンドの働きを阻害する薬をアンタゴニスト(antagonist)と言います。つまり、核内受容体のアゴニストやアンタゴニストは特定の遺伝子の発現を調節する薬になります。

図:核内受容体にリガンドが結合すると受容体の構造に変化が起こり、核内に移行して遺伝子の転写調節領域に結合し、転写を調節する。

【糖や脂質の代謝に関与するペルオキシソーム増殖因子活性化受容体】
ペルオキシソーム(Peroxisome)は酵母から哺乳動物までのほぼ全ての真核細胞が持つ直径0.1〜2マイクロメートルの単層の膜で囲まれた球状の細胞小器官です。哺乳類の細胞では1個の細胞に数百から数千個が存在し、多様な物質の酸化反応を行っています。
ペルオキシソームでは、脂肪酸のベータ酸化、コレステロールや胆汁酸の合成、アミノ酸やプリン体の代謝などが行われています。

ペルオキシソーム増殖因子と呼ばれるペルオキシソームを増やす作用がある物質が古くから多数見つかっています。これらの物質がどのようにしてペルオキシソームを増やすのかという研究の結果、ペルオキシソーム増殖因子が結合する核内受容体が見つかり、「ペルオキシソーム増殖因子で活性化される受容体」という意味で「ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(Peroxisome proliferator-activated receptor:PPAR)」という長い名前になっています。

このようにペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(PPAR)は細胞内のペルオキシソームの増生を誘導する受容体として発見されましたが、その後の研究で、糖質や脂質やタンパク質などの物質代謝や細胞分化に密接に関連している転写因子群であることが明らかになりました。脂質や糖質の代謝を促進するので、PPARを活性化する物質は高脂血症や糖尿病の治療薬として臨床で使用されています。
歴史的には、フィブラートのような抗高脂血症薬やインスリン抵抗性を改善するチアゾリジン系の抗糖尿病薬は作用機序が不明なまま臨床的有効性が認められて使用されていましたが、これらの薬が細胞のペルオキシソームの数を増やすことが見つかり、その後にPPARを活性化することによって薬効を示すことが明らかになりました。
さらに、PPARの活性化はがん細胞の増殖抑制やアポトーシスや分化の誘導作用などの抗がん作用を示すことが明らかになっています。PPARの活性化剤は糖尿病や高脂血症の治療薬として多くの種類が販売されているので、これらをがんの治療に応用する研究が行われています。

【PPARには3つのサブタイプがある】
ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(PPAR)には3種類のサブタイプがあります。主に肝臓や心臓や腎臓や消化管の細胞にあるアルファ型(PPARα)と、脂肪細胞に主にみられるガンマ型(PPARγ)、多くの組織で発現し脂肪酸燃焼とインスリン感受性を高めるデルタ型(PPARδ)です。

PPARαは大量のATPを必要とし脂肪酸酸化の盛んな臓器(肝臓・心臓・腎臓・消化管など)に多く存在します。PPARαは脂肪酸のβ酸化や細胞内外での脂質輸送に関与する多くの遺伝子の発現を誘導するので、高脂血症改善薬のターゲットになっており、フェノフィブラート、ベザフィブラート、クロフィブラートなどのいわゆるフィブラート系の薬剤が高脂血症治療薬として使用されています。

PPARγは脂肪組織でインスリン感受性を高めるアディポネクチン遺伝子の発現を促進し、インスリン抵抗性を高める炎症性サイトカインのTNF-αの産生を抑制する作用があります。これらのインスリン抵抗性を改善する作用によって糖尿病を治療する効果を発揮します。薬としてはピオグリタゾンが使用されています。

PPARδは多くの組織で発現し、リノール酸やリノレン酸やアラキドン酸などの多価不飽和脂肪酸やアラキドン酸由来物質などが内因性のリガンドとなっています。インスリン抵抗性の改善や脂肪酸のβ酸化の亢進などの作用があります。

以上のようにPPARは物質代謝やエネルギー産生に関与しており、摂食後はPPAR-γが作用して効率的に体内に脂肪を蓄え、空腹時はPPAR-αの作用により脂肪がエネルギーに変換され消費されます。これらのPPARの作用に異常が起こると糖尿病や高脂血症や肥満を引き起こします。一般的に、糖尿病はPPAR-γ、高脂血症はPPARα、肥満はPPARδが深く関与しています。

PPARはレチノイドX受容体(RXR)とヘテロダイマー(ヘテロ二量体)を形成して遺伝子のペルオキシソーム増殖因子応答配列に結合します。リガンドが結合していない状態ではPPAR-RXRヘテロダイマーに核内受容体コリプレッサーが結合して転写活性が抑制されています。コリプレッサー(co-repressor)というのは、核内受容体に結合してその転写活性を抑制する因子です。

PPARとRXRにそれぞれのリガンドが結合するとPPAR-RXRヘテロダイマーからコリプレッサーが分離し、転写活性を促進するコアクチベーター(co-activator)が結合します。コアクチベーターはヒストンアセチル化を促進する作用があり、DNAとヒストンの結合を緩めて、他の転写因子やRNAポリメラーゼが標的遺伝子のプロモーター領域に結合しやすくなり、転写が開始されます。このようにPPAR の活性化から遺伝子発現まで様々な因子が複雑に関与しています。

図:ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(PPAR)とレチノイドX受容体(RXR)はヘテロダイマー(PPAR-RXR)を形成して、コリプレッサーが結合してDNA結合は阻止されている。それぞれの受容体にリガンドが結合すると受容体の構造に変化が生じてコリプレッサーが離れ、コアクチベーターが結合して、標的遺伝子のDNAのペルオキシソーム増殖因子応答配列(AGGTCAの塩基配列が1塩基をはさんで同方向に並んだAGGTCA-n-AGGTCA のダイレクトリピート構造)に結合して転写を亢進する。

【ドコサヘキサエン酸はPPARγのアゴニスト】
ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γ(PPARγ)は細胞の生存に重要な役割を果たしており、これはがん治療の標的となる可能性があります。実際に、PPARγの活性化によってがん細胞の増殖や転移が抑制される効果が、培養がん細胞や動物に移植した腫瘍を使った実験で報告されています
PPARγのアゴニストとしてチアゾリジン系抗糖尿病薬のロシグリタゾンやピオグリタゾンを使うことはがん治療に有効です。しかし、チアゾリジン系抗糖尿病薬には心臓障害や発がん性など安易に使用できない副作用があります。

ドコサヘキサエン酸(DHA)がPPARγのリガンドになり、しかもPPARγの発現を亢進することが明らかになっています。例えば、マウスに肺がんを移植した実験系で、DHAがPPARγの発現と活性を亢進し、炎症反応を促進するNF-κB経路を抑制し、NF-κBを介した抗アポトーシス因子(Bcl-2やBcl-XL)細胞外マトリックス分解酵素の発現を抑制することが示されています。その結果、肺がん細胞のアポトーシスを促進し、転移を抑制しました。(下記の論文)

DHA/EPA-Enriched Phosphatidylcholine Suppresses Tumor Growth and Metastasis via Activating Peroxisome Proliferator-Activated Receptor γ in Lewis Lung Cancer Mice.(DHA / EPAに富むホスファチジルコリンは、ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γの活性化を介してルイス肺がんマウスの腫瘍の成長と転移を抑制する)J Agric Food Chem. 2021 Jan 20;69(2):676-685.

ドコサヘキサエン酸(DHA)とエイコサペンタエン酸(EPA)によるがん細胞のアポトーシス誘導はPPARγの活性を阻害するPPARγアンタゴニストによって阻害されることから、DHAとEPAの抗腫瘍効果がPPARγの活性化を介することが明らかになっています。また、この効果はEPAよりDHAの方が強いことが示されています。(下記の論文)

Docosahexaenoic Acid Induces Growth Suppression on Epithelial Ovarian Cancer Cells More Effectively than Eicosapentaenoic Acid.(ドコサヘキサエン酸はエイコサペンタエン酸より、より効果的に上皮性卵巣がん細胞の増殖を抑制する)Nutr Cancer. 2016;68(2):320-7.

【がん幹細胞では脂肪酸結合タンパク質の発現が増えている】
膠芽腫のがん幹細胞に選択的に発現量が増えているタンパク質はがん幹細胞のマーカーとなります。このような膠芽腫幹細胞のマーカーの一つに脂肪酸結合タンパク質7があります。
細胞内において、炭素数12個以上の長鎖脂肪酸は不溶性であり、長鎖脂肪酸が細胞内を移動するためにはこれに結合して可溶化し、生理活性を発揮させる分子が必要となります。その役割を担っているのが脂肪酸結合タンパク質(Fatty Acid Binding Protein :FABP)です。FABP分子ファミリーには12種類に及ぶ分子種が同定されており、脂肪酸の細胞内取り込み・輸送・代謝を調節し、シグナル伝達の制御や遺伝子転写の制御など様々な細胞機能に関わっています。(下図)

図:脂肪酸結合タンパク質(FABP)は細胞内で脂肪酸の輸送に関わる。脂肪酸はミトコンドリアとペルオキシソームではβ酸化によって分解されてエネルギー(ATP)を産生し、細胞質内でシグナル伝達に関与し、余分なものは脂肪滴に貯蔵される。脂肪酸はFABPによって核内に輸送され、ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γ(PPARγ)のリガンドとして遺伝子転写を制御する。

脂肪酸結合タンパク質7(Fatty Acid Binding Protein 7:FABP7)は脳組織に発現する脂肪酸結合タンパク質(FABP)です。特に神経幹細胞に多く発現しており、膠芽腫でもがん幹細胞に多く発現しています。
脂肪酸の輸送と貯蔵の制御はがん細胞の生存を促進する可能性があります。実際に、がん細胞では脂肪酸結合タンパク質(FABP)の発現が亢進しており、FABPの発現が多いほど、がん細胞の増殖や転移が促進され、患者の予後が不良であることが明らかになっています。

たとえば、脳腫瘍の膠芽腫では脂肪酸結合タンパク質7(FABP7)の発現が亢進しています。特にがん幹細胞にFABP7の発現量が高いことが示されています。FABP7は膠芽腫にがん幹細胞のマーカーとして使用されています。以下の様な報告があります。

FABP7 expression in glioblastomas: relation to prognosis, invasion and EGFR status.(神経膠芽腫における FABP7 発現: 予後、浸潤および EGFR 状態との関係)J Neurooncol. 2007 Sep;84(3):245-8

この報告では123例の膠芽腫においてFABP7の発現を検討しています。123例中91例でFABP7の発現を認め、細胞質のみの発現が69例、細胞質と核の両方で発現が認められたのは22例でした。FABP7の発現が認めない症例の生存期間の平均が21.5ヶ月に対して、FABP7の発現が認められた症例の生存期間の平均は15.7ヶ月で、FABP7の発現は生存期間の短縮と関連していました。
FABP7の細胞核での発現は、上皮成長因子受容体(EGFR)の増幅と浸潤性の亢進と関連していました。
つまり、FABP7の発現、特にFABP7の細胞核での発現は、膠芽腫細胞のEGFR増幅と浸潤亢進と間者の予後不良と関連している可能性が示されました。
最近の論文では以下のような報告があります。

Identification of FABP7 as a Potential Biomarker for Predicting Prognosis and Antiangiogenic Drug Efficacy of Glioma(神経膠腫の予後および血管新生阻害薬の有効性を予測するための潜在的なバイオマーカーとしての FABP7 の同定)Dis Markers. 2022; 2022: 2091791.

細胞内脂質代謝を調節する脂肪酸結合タンパク質 7(Fatty acid binding protein 7:FABP7) は、神経系腫瘍で高度に発現しています。この研究では、FABP7 発現と血管新生阻害薬の有効性、および神経膠腫患者の予後との関係を検討しました。
FABP7 は神経膠腫サンプルで高度に発現しており、FABP7 の発現が高いほど悪性度が高く、患者の予後が悪いことが示されました。FABP7 が神経膠腫患者の転帰を独立して予測することが示されました。FABP7の発現が高い神経膠腫患では、血管新生阻害剤のアパチニブ治療後の生存率が低いことが示されました。
以上の結果から、FABP7 の高発現は、神経膠腫の血管新生を促進し、神経膠腫患者の予後不良と関連していることが示されました。FABP7 は、神経膠腫患者の独立した予後予測因子として役立つ可能性があります。

【ドコサヘキサエン酸は脂肪酸結合タンパク質7と結合して核内に移動する】
アラキドン酸とドコサヘキサエン酸(DHA)は、がん細胞において相反する役割を果たしていると考えられています。アラキドン酸はプロスタグランジンE2などのオメガ6系の化学伝達物質を産生することによって、炎症を増悪し、がん細胞の増殖や浸潤や転移を促進します。一方、DHAはプロテクチンやレゾルビンなどの抗炎症性の化学伝達物質を生成し、炎症を収束し、がん細胞の増殖を抑制します

図:オメガ6系多価不飽和脂肪酸のアラキドン酸はプロスタグランジンE2やロイコトリエンなど炎症性メディエーターを産生して炎症や組織のダメージを悪化させ、がん細胞の増殖を促進する作用を持つ。一方、オメガ3系多価不飽和脂肪酸であるEPA(エイコサペンタエン酸)とDHA(ドコサヘキサエン酸)は代謝されて抗炎症作用を示す多様な脂質メディエーター(レゾルビン、プロテクチンなど)を産生することによって、慢性炎症や組織のダメージを軽減する効果や、がん細胞の増殖を抑える効果を発揮する。

膠芽腫は治療後の再発が多く、極めて予後不良の脳腫瘍です。
成人の脳はアラキドン酸とDHAが非常に豊富です。健康な成人の脳では、多価不飽和脂肪酸におけるオメガ6系とオメガ3系のバランスが厳密に制御されており、DHAレベルは総脂質と総リン脂質の両方でアラキドン酸 レベルを超えています。
しかし、ヒト膠芽腫組織では、アラキドン酸のレベルは健康な脳組織と同様のままですが、DHAレベルは50%程度減少し、DHA:アラキドン酸の比率は大幅に低下しています。(下記の文献)

The fatty acid composition of human gliomas differs from that found in nonmalignant brain tissue.(ヒト神経膠腫の脂肪酸組成は、正常な脳組織に見られるものとは異なる)Lipids. 1996 Dec;31(12):1283-8.

膠芽腫細胞へのDHAの補給は細胞増殖と移動を阻害し、アポトーシスを誘導します。さらにDHAは膠芽腫細胞の放射線感受性を高めることが報告されています。
脳の脂肪酸結合タンパク質のFABP7は、通常は胎児の脳の発生中に神経幹細胞で発現され、膠芽腫の幹細胞でも発現が亢進しています。FABP7は膠芽腫が周囲組織に浸潤している部分で発現が亢進しており、FABP7の発現は膠芽腫細胞の遊走・浸潤の増加と相関することが報告されています。

ラットの脳に膠芽腫細胞を移植する実験モデルで、ドコサヘキサンエン酸(DHA)が豊富な食餌を与えたラットは、対照食のラットと比較して、膠芽腫細胞中のDHAが増加し、DHAとアラキドン酸の比率が増加しました。がん細胞内でのDHAの増加はFABP7に依存して膠芽腫の増殖を抑制しました。
以下の様な報告があります。

FABP7 Facilitates Uptake of Docosahexaenoic Acid in Glioblastoma Neural Stem-like Cells.(FABP7 は神経膠芽腫の神経幹様細胞におけるドコサヘキサエン酸の取り込みを促進する)Nutrients. 2021 Aug; 13(8): 2664.

【要旨】
膠芽腫は悪性度の高い予後不良の腫瘍である。神経幹様がん細胞は、薬剤耐性を促進し、細胞の不均一性を維持することにより、膠芽腫の予後不良に寄与している。
膠芽腫神経幹様細胞は、オメガ6系多価不飽和脂肪酸のアラキドン酸および オメガ3系多価不飽和脂肪酸のドコサヘキサエン酸 (DHA) に結合する脳脂肪酸結合タンパク質 (brain fatty acid-binding protein :FABP7) の発現が亢進している。
脳組織と同様に、膠芽腫組織にはアラキドン酸と DHA が豊富に含まれている。しかし、成人の脳組織と比較して、膠芽腫組織の DHA レベルはかなり低下している。
したがって、膠芽腫、特に膠芽腫神経幹細胞の DHA 含有量を増やすことは、治療上の価値がある可能性がある。
ここでは、腫瘍塊培養として成長した患者由来の膠芽腫神経幹様細胞の脂肪酸組成を調べる。また、FABP7遺伝子のノックダウンのある場合と無い場合において、膠芽腫神経幹様細胞の脂肪酸プロファイルに対するアラキドン酸とDHAの効果を検討した。
DHA投与は、膠芽腫神経幹様細胞の DHAの量とDHA:アラキドン酸比を増加させ、FABP7 がDHAの取り込みを促進した。また、DHAの取り込みが増加すると、膠芽腫神経幹様細胞の移動が阻害された

膠芽腫の神経幹様細胞は放射線および化学療法に対する耐性を示し、それによって腫瘍を再増殖させます。膠芽腫幹様細胞は脂質代謝が亢進しており、脂肪酸結合タンパク質 (FABP7)、脂肪酸輸送体 CD36、アシルCoA結合タンパク質 (ACBP)などの脂質代謝の重要な要素は全て、膠芽腫神経幹様細胞で高度に発現していることが報告されており、脂質代謝の重要性が強調されています。

成人の脳は、脂質、特に長鎖多価不飽和脂肪酸が非常に豊富です。脳内の主な 2 種類の 長鎖多価不飽和脂肪酸は、ω-6 のアラキドン酸と ω-3 のドコサヘキサエン酸 (DHA) です
DHA とアラキドン酸 は、がんにおいて相反する役割を果たしていると考えられています。アラキドン酸は、プロスタグランジン E2 (PGE2) などの ω-6 シリーズのエイコサノイドの前駆体であり、炎症、がん細胞の増殖および浸潤を刺激します。
対照的に、DHA はプロテクチンとレゾルビンの前駆体であり、炎症を解消し、がん細胞の増殖を抑制します

FABP7依存性」というのは、FABP7遺伝子が欠損したラットではDHAによる増殖抑制が認められなかったからです。つまり、「DHAによる膠芽腫幹様細胞の増殖・遊走の阻害は、FABP7発現に依存する」ということです。
膠芽腫においてFABP7の発現は、増殖や浸潤や遊走を促進するので、予後不良のマーカーとなっています。しかし、ドコサヘキサエン酸(DHA)を多く摂取すると、このFABP7の発現が多いほど、増殖や遊走や浸潤が抑えられるということです。DHA の取り込みが膠芽腫 神経幹様細胞の移動の阻害につながるのは FABP7 が存在する場合のみであることを示しています。

以上の事実から、ドコサヘキサエン酸(DHA)を多く摂取することは、膠芽腫の増殖と遊走・浸潤を抑制できることになります。ただし、この抑制作用は、脂肪酸結合タンパク質に対するDHAとアラキドン酸の比率に依存します。DHAの摂取量が多くてもアラキドン酸の摂取量が多ければ、DHAによるFABP7依存性の増殖抑制効果は得られないといえます
オメガ6系多価不飽和脂肪酸(リノール酸、アラキドン酸)の摂取を減らし、DHAを1日5g程度摂取する食事は膠芽腫の増殖や再発の抑制に有効と思います。(トップの図)

【培養した微細藻類由来DHAが注目されている】
がんや認知症や循環器疾患の予防や治療にDHAやEPAが有効であることは確立しています。従って、DHAやEPAの多い脂の乗った魚を多く食べることが推奨されています。
しかし、魚のメチル水銀やマイクロプラスチックなど海洋汚染に由来する有害物質の魚への蓄積の問題は、魚食を安易に推奨できないレベルまで深刻になっています。
そこで、海洋でDHAとEPAを作っている微細藻類を培養して、培養した微細藻類からDHAとEPAを取り出せば、汚染物質がフリーのDHA/EPAを製造できます。(下図)

図:オメガ3系多価不飽和脂肪酸のエイコサペンタエン酸(EPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)は微細藻類が合成している(①)。プランクトン(②)が微細藻類を食べ、小型魚(③)がプランクトンを食べ、大型魚(④)が小型魚を食べるという食物連鎖によって、魚油にEPAやDHAが蓄積している。人間は魚油からDHAとEPAを摂取している(⑤)。環境中の水銀(⑥)が魚に取り込まれてメチル水銀になって魚に蓄積する(⑦)。DHAとEPAを産生している微細藻類をタンク培養して油を抽出すると(⑧)、汚染物質がフリーで、植物由来のDHA/EPAが製造できる(⑨)。

最近の多くの研究で、がん治療におけるドコサヘキサエン酸(DHA)の有効性が明らかになっています。植物油に含まれるαリノレン酸は人間の体内ではDHAにはほとんど変換されません。抗がん作用はエイコサペンタエン酸(EPA)よりドコサヘキサエン酸(DHA)の方が強いことが報告されています。
がん治療には1日3から5グラムのDHAの摂取が有効であることが多くの研究で示されています
。通常の魚油の場合、DHA含有量は10%から20%程度です。1日5グラムのDHAを摂取するには25gから50gの魚油の摂取が必要になります。
そこで、微細藻類の中でもDHA含有量が極めて多いシゾキトリウム(Schizochytrium sp.をタンク培養して製造したDHA(フランス製)を原料にした「微細藻類由来オイル(DHA含有量51%)」を製造してがん治療に使用しています。閉鎖環境での培養のため、汚染の心配がありません。しかも、植物由来なので、菜食主義者(ベジタリアン、ヴィーガン)も摂取できます。

詳細は以下のサイトで紹介しています。

http://www.f-gtc.or.jp/DHA/DHA-51.html

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