がんの予防や治療における漢方治療の存在意義を考察しています。がん治療に役立つ情報も紹介しています。
「漢方がん治療」を考える
787) 牛乳・乳製品は健康に良いのか悪いのか
図:乳製品(牛乳、ヨーグルト、チーズなど)は栄養価が高く、インスリン様成長因子-1(IGF-1)やmTORC1(哺乳類ラパマイシン標的蛋白質複合体1)を活性化し(①)、体の発育・成長を促進する(②)。IGF-1/mTORC1シグナル伝達系はがん細胞の増殖を促進し(③)、老化を促進して寿命を短縮する作用もある(④)。乳製品は健康作用と不健康作用の二面性に注意が必要な食品と言える。
787) 牛乳・乳製品は健康に良いのか悪いのか
【栄養価と健康作用は関連しない】
最近の報道によると、「牛乳やバターなどの乳製品の原料となる生乳が、この年末年始に大量に余り、廃棄される可能性が出ているため、『大量廃棄を防ぐため、年末年始に牛乳をいつもより一杯多く飲み、料理に乳製品を活用するなど、国民の協力をお願いする』と、岸田首相が異例の呼びかけをおこなった」 そうです。
政府のこの要請に文句を言う気はありませんが、ただ、この報道を聞いたとき、日頃からがんの予防や治療を行なっている立場からは、「牛乳は一部のがんの発生や増殖を促進する」「牛乳は老化を促進し、寿命を短縮する」という医学的情報を提供しておかなくても良いのかなと思いました。
牛乳は栄養価の高い食品です。しかし、栄養価と健康作用は関連しません。
少なくとも、先進国における多くの生活習慣病は栄養過多が原因になっています。
肥満、糖尿病、高脂血症、痛風、いくつかの悪性腫瘍(いわゆる欧米型のがん)、動脈硬化、虚血性心疾患、高血圧など先進国において主要な死因になっている病気の多くは栄養過多の食事が原因になっています。
前立腺がんや卵巣がんなどある種のがんの発生率は乳製品の消費の増加と関連していることも指摘されています。
「せっかく、みんなで牛乳を飲んで酪農家の人に協力しようという機運が高まっているのに水を差すようなことを言うな!」と言われるかもしれませんが、がんの研究者としては、一応、事実を整理しておくべきだと思いました。
結論から言うと「牛乳・乳製品は健康に良いのか悪いのか」に関する臨床試験や疫学研究の結果は「多くのテーマでコンセンサスが得られていない」「ケースバイケースである」ということです。
例えば、卵巣がんや前立腺がんでは乳製品はがんを促進するという報告が多いのですが、乳がんや大腸がんでは乳製品はがん予防効果があるという報告が多くあります。
したがって、患者数が多い乳がんや大腸がんでメリットがあるので、卵巣がんや前立腺がんではデメリットがあっても、がん全体の発生率や死亡率で乳製品の明らかな悪影響は検出できません。研究によっては「乳製品はがんに良い」という結論になります。しかし、がんの種類によっては「少なくとも発病したら牛乳や乳製品は摂取しない方が良い」と言える根拠はあるということも知っておく必要があります。
【牛乳や乳製品は卵巣がん患者の生存率を低下する】
最近の報告に以下のような論文があります。中国医科大学のシェンジン(瀋陽)病院(Shengjing Hospital of China Medical University)からの報告です。
Pre-diagnosis Dairy Product Intake and Ovarian Cancer Mortality: Results From the Ovarian Cancer Follow-Up Study.(診断前の乳製品摂取量と卵巣がんの死亡率:卵巣がん追跡調査の結果)Front Nutr. 2021 Oct 29;8:750801.
【要旨】
背景:乳製品の消費は、卵巣がんの発生率と関連している。しかし、卵巣がん死亡率への影響については限られた証拠しか無い。
方法:診断前の乳製品摂取量と卵巣がん死亡率との関連は、2015年から2020年の間に上皮性卵巣がんと診断された女性の病院ベースのコホート(n = 853)を含む卵巣がん追跡調査で調査された。卵巣がんの診断前の食事に関する情報は、検証済みの食品頻度質問票を使用して収集され、死亡は死亡診断書によって2021年3月31日まで確認された。 Cox比例ハザードモデルを使用して調整済みハザード比(HR)と95%信頼区間(CI)を推定した。
結果:追跡期間中央値37.2か月(四分位範囲:24.7-50.2か月)の間に合計130人の女性が死亡した。最高から最低の三分位摂取量(摂取量の多い上位3分の1と摂取量の少ない下位3分の1)の比較は、診断前の乳製品の摂取量が卵巣がん総死亡率と関連していることを示した(HR = 2.03、95%CI = 1.21-3.40、p = 0.06)。
さらに、生存期間の短縮は、乳製品からのタンパク質(HR = 2.09、95%CI = 1.25-3.49、p<0.05)、脂肪(HR = 2.16、95%CI = 1.30-3.61、p<0.05)、およびカルシウム(HR = 2.03、95%CI = 1.21-3.4、p = 0.06)の摂取量と関連していた。
結論:卵巣がん診断前の乳製品からのタンパク質、脂肪、カルシウムの摂取は、卵巣がん患者の死亡率の上昇と関連していた。
以下の報告は米国のエール大学(Yale University)の疫学の研究者とオーストラリアの婦人科の研究グループからの報告です。糖質の多い食事が卵巣がんの死亡を増やすことを報告しています。
Pre-diagnosis diet and survival after a diagnosis of ovarian cancer(診断前の食事と卵巣がんの診断後の生存)Br J Cancer. 2017 Jun 6;116(12):1627-1637.
【要旨】
背景: 研究の数が限られ、その結果が一致していないため、食事と卵巣がん診断後の生存との関係は不明である。
方法: 2002年から2005年の間に浸潤性上皮性卵巣がんと診断されたオーストラリア人女性の人口ベースのコホート(n = 811)において、診断前の食事と全生存期間との関連を調べた。食事は検証済みの食事頻度質問票によって測定された。死亡は、2014年8月31日まで、医療記録によって確認された。診断年齢、腫瘍の病期、グレードとサブタイプ、残存病変、喫煙状態、肥満度指数、身体活動、結婚状況、およびエネルギー摂取量を調整し、Cox比例ハザード回帰分析を実施した。
結果: 摂取量の少ない下位4分の1のグループと摂取量の多い上位4分の1のグループを比較する方法で、食物繊維(ハザード比= 0.69、95%CI:0.53-0.90、P値= 0.002)の摂取は生存率の改善と関連していた。
緑色葉野菜(ハザード比 = 0.79、95%CI:0.62-0.99)、魚(ハザード比 = 0.74、95%CI:0.57-0.95)、単価不飽和脂肪と比較した多価不飽和脂肪酸(ハザード比 = 0.76、95%CI:0.59-0.98)の摂取量も卵巣がん患者の生存の改善に関連していた。 一方、グリセミック指数が高いほど生存率が低下した(ハザード比 = 1.28、95%CI:1.01-1.65、P = 0.03)。
結論: 診断前の食事内容と卵巣がん患者の死亡率との間に観察された関連性は、卵巣がん診断後の食事の内容によって生存率に影響する可能性を示唆している。
グリセミック指数(glycemic index)とは、食品がどれほど血糖値を上げやすいかを示す指標です。食品中に含まれる炭水化物が消化されてブドウ糖(グルコース)に変化する速さを、ブドウ糖を摂取した場合を100として相対値で表します。糖質として同じ分量を摂取しても、素材が異なると血糖値への影響は異なるという考えに基づいた指数です。
グリセミック指数の値(GI値)が高い食品は食後の血糖値の上昇が大きくインスリンの分泌量が多くなり、GI値が低い食品は血糖値の上昇が小さいのでインスリンの分泌も少なくて済みます。
インスリンはがん細胞の増殖を促進するので、GI値の高い食品はがん細胞の発生や増殖や転移を促進することになります。がん予防で精製度の低い穀物が推奨されるのは、精製度の低い穀物ほどGI値が低く、インスリンの分泌が少なくできるからです。
上記の2つの疫学研究の結果は、診断前の食事内容で乳製品と糖質の多い食事が卵巣がん患者の死亡リスクを高めるということを示しています。
卵巣がんの診断後に乳製品と糖質の多い食事を減らした場合の影響については不明ですが、このような食事が卵巣がんの悪化に関連していることは、卵巣がん診断後も乳製品やグリッセミック指数の高い糖質の多い食事を続けていると、卵巣がんの進行を促進し、生存率を低下させる可能性を示唆しています。
つまり、『卵巣がん患者は、糖質と牛乳・乳製品の組合せ(シリアルと牛乳、パン食と牛乳、ピザ、チーズバーガー、チーズケーキ、チーズパスタなど)は生存率を低下させる可能性があるので、食べない方が良い』と言えると思います。
ここで強調したいのは、牛乳や乳製品による発がん促進効果が弱いものだとしても、高糖質の食品と組み合わさると、相乗効果で発がん促進効果が増強される可能性です。これは逆にいうと、乳製品を多く摂取しても、一緒に食べる食材によっては、乳製品のマイナス作用を打ち消すことができるということです。つまり、乳製品だけをターゲットに議論しても意味がない可能性もあります。
【乳製品は前立腺がんを促進する】
多くの疫学研究は乳製品の摂取量が多いほど前立腺がんの発症や死亡を増やすことを報告しています。
47,781人を対象にした米国の「the Health Profesional Follow-up Study」では、1日2回以上牛乳を飲む人は、進行性の前立腺がんを発症するリスクが1.6倍になることが報告されています。(Cancer Res. 58(22):5117-22. 1998)
同じく米国の2万人以上の医師を対象に11年間追跡調査した「the Physicians Health Study」では、1日2.5回以上の乳製品の摂取は、1日1回以下の摂取に比べて、前立腺がんの発生率が1.34倍になるという結果が得られています。(Am J Clin Nutr. 74(4):549-54. 2001)
さらに、40カ国の前立腺がんの発生率と牛乳や乳乳製品の消費量の関係を検討した研究では、牛乳・乳製品の消費量と前立腺がんの発生との間に強い正の相関があるという結果が得られています。(Int J Cancer. 98(2):262-7. 2002)
一人当たりの牛乳・乳製品の消費量と前立腺がんの発生率および死亡数が正の相関を示していることが、いろんな研究で示されています。
197人の前立腺がん患者を対象にしたイタリアのケース・コントロール研究では、乳製品の摂取が多い上位20%は摂取量が少ない下位20%に比べて、前立腺がんの発生リスクが2倍以上に高くなることが報告されています。(Prostate. 70(10):1054-65. 2010)
牛乳が前立腺がんの進展を促進する可能性を示唆する報告もあります。
1986年から2006年に診断された3918人の前立腺がんの男性を対象にして2008年まで追跡調査した結果が報告されています。
追跡期間中に298例で転移が見つかり、229例が前立腺がんによって死亡しています。診断後の牛乳や乳製品の摂取量と死亡との間に関連は認められていません。しかし、牛乳を多く摂取する上位20%は摂取量の少ない下位20%に比べてがんの進行が2.15倍になることが示されています。しかし、低脂肪の牛乳の場合は、むしろ多く摂取する方ががんの進行リスクが0.62に低下する結果が得られています。(Cancer Epidemiol Biomarkers Prev. 21(3):428-36. 2012 )
14万人余りを平均8.7年間追跡したヨーロッパで行われた前向きコホート研究では、1日当たりの牛乳タンパク質の摂取量が35g増えると前立腺がんの発症率が32%増えるという報告もあります。(Br J Cancer. 98(9):1574-81. 2008 )
この研究では、牛乳からのカルシウムの摂取と前立腺がんの発生との間には正の相関がありましたが、他の食品からのカルシウムの摂取量とは関連が無かったため、カルシウムが前立腺がんの発生を促進する可能性は否定的になっています。最近の考えでは、牛乳中のタンパク質の関与が指摘されています。
ただし、乳製品の種類(牛乳、低脂肪牛乳、ヨーグルト、チーズなど)の違いによって前立腺がんに対する影響が異なる可能性が指摘されていますが、そこまで細かく解析した報告がないので、現時点では不明です。
アラスカ原住民のイヌイットの人々には前立腺がんがほとんど見られないと言われており、その理由として、イヌイットの人たちは魚油のDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)が多いからとか、穀物(糖質)をほとんど食べない(気候の関係で農耕ができない)からと言われていますが、乳製品を全く摂取しない(酪農ができない)からだという意見もあります。(実際は、これらの全ての相乗効果と考える方が合理的です)
牛乳や乳製品が多いと大腸がんと乳がんの発生が少ないという報告があります。したがって、牛乳や乳製品の発がんや増殖に対する効果はがんの種類によって異なると思われます。しかし、卵巣がんと前立腺がんの患者さんは、牛乳や乳製品はあまり摂取しない方が良いと言えるだけのエビデンスはあると思います。
【牛乳と発酵乳製品は健康に対する影響が異なる】
乳製品の健康作用に関する疫学研究の結果が一致しない原因の一つは、非発酵性乳製品と発酵性乳製品で、栄養成分の構成と、健康に対する作用が大きく異なるからです。
がんの予防や治療の領域では、一般的に牛乳はがんに対してマイナス要因が多いが、ヨーグルトは腸内環境を良くして免疫力を高めるなどメリットが多いという意見が多いようです。
以下の様な報告があります。
Pasteurized non-fermented cow's milk but not fermented milk is a promoter of mTORC1-driven aging and increased mortality(低温殺菌された非発酵牛乳はmTORC1による老化と死亡率の増加を促進するが、発酵乳は促進しない)Ageing Res Rev. 2021 May;67:101270.
【要旨】
伝統的に牛乳消費量が多い国であるスウェーデンでの最近の疫学研究は、非発酵低温殺菌ミルクの摂取が用量依存的にすべての原因による死亡率を増加させることを明らかにしている。
対照的に、疫学および臨床研究の多くは、発酵乳製品、特にヨーグルトの有益な健康への影響を報告している。
このレビューの目的は、mTORC1(哺乳類ラパマイシン標的タンパク質複合体1)シグナル伝達系への影響の観点から、非発酵乳とヨーグルトの摂取に関連する潜在的な分子老化メカニズムを考察することである。
非発酵低温殺菌牛乳は、インスリン分泌促進作用のある分枝鎖アミノ酸の高いバイオアベイラビリティ、豊富なラクトース(乳糖:グルコース+ガラクトースの二糖類)、およびエクソソームのマイクロRNAにより、mTORC1シグナル伝達経路を活性化し、その結果、寿命を縮め、すべての原因による死亡率を高める。
対照的に、発酵関連乳酸菌は分岐鎖アミノ酸を代謝し、ガラクトースとmTORC1を活性化するマイクロRNAを含む牛乳中のエクソソームを分解する。
牛乳の低温殺菌と冷蔵の導入は、mTORC1を相乗的に活性化する牛乳の分岐鎖アミノ酸、ガラクトース、および生物活性マイクロRNAを分解する有益な牛乳発酵細菌の作用を阻害する結果になった。
すなわち、発酵していない低温殺菌牛乳を持続的に大量に消費することは、老化を促進するmTORC1シグナル伝達系を活性化し、老化とすべての原因による死亡の潜在的な危険因子となっている。
スーパーで牛乳を購入するとき、普通の牛乳より「低温殺菌牛乳」の方が健康に良さそうに思いますが、そうとも限らないという報告です。
アミノ酸のうち側鎖に枝分かれした炭素鎖をもつバリン・ロイシン・イソロイシンを分枝鎖アミノ酸(BCAA)と言います。このうちロイシンは、mTORC1を活性化(リン酸化)し、タンパク質合成を促進します。
エクソソーム(Exosome) は、ほとんどの細胞で分泌される直径 50 nm 〜150 nm 程度の膜小胞で、生体内では唾液、血液、尿、羊水、 悪性腹水等の体液中で観察されます。ヒトやウシなどの広範な動物の乳中にもエクソソームが存在し、タンパク質やマイクロRNAなどを内包し、細胞へ取り込まれることによって様々な作用を発揮しています。 mTORC1を活性化するマイクロRNAも含むということです。
エクソソームに含まれるマイクロRNAや分岐鎖アミノ酸などが発酵によって分解されることが非発酵乳製品と発酵乳製品の薬理作用や健康作用の違いになるという指摘です。mTORC1の活性化作用はがん細胞の増殖を促進し、老化を促進し、寿命を短縮します。
【牛乳・乳製品には成長を促進する成分が多く含まれる】
牛乳は、良質のタンパク質とビタミンやミネラルなど栄養素が豊富です。子牛を育てるために必要な栄養素だけでなく、成長を促進する成分や生体防御に関与する成分なども含まれています。したがって、子供の成長や健康増進に最も役立つ食品であることは間違いありません。
しかし、がん予防の立場からは、「成長に役立つ」という牛乳の効果が、がん細胞の発生や増殖を促進する可能性が懸念されます。成長を促進する作用は、成長が終了した後は、細胞の老化とがん化を促進するからです。
図: mTORC1(哺乳類ラパマイシン標的タンパク質複合体1)は成長ホルモンやインスリンやインスリン様成長因子-1(IGF-1)など様々な成長因子や過剰な栄養によって活性化され(①)、細胞の増殖や体の成長を促進する役割を担っている(②)。成長が終了したあともmTORC1の働きが過剰に続くと、細胞や組織の老化が促進される(③)。成長は「プログラムされた正常機能」であるが、老化は「成長の延長(過剰機能)」であり、成長終了後はmTORC1の活性は老化と発がんを促進する方向に作用する(④)。mTORC1を活性化して屈強な体を作るときは、寿命を犠牲にし、発がんリスクを高める可能性がある。カロリー制限はmTORC1の活性を抑制することによって、老化速度を遅くし、寿命延長の効果を発揮する。
疫学的研究では牛乳や乳製品にはある種のがんに対してがん予防効果があり、特に低脂肪のミルクはがんを促進するというはっきりしたデータは得られていません。前述のように、前立腺がんでも、低脂肪の牛乳の場合は、むしろ多く摂取する方ががんの進行リスクを低下する可能性が報告されています。
しかし、ミルク(牛乳や人間の母乳など)というのは、生まれて間もない時期に与えられる食事であり、その中に成長を促進する成分や因子が含まれており、これらはがん細胞の増殖も促進するという点に注意しておく必要があります。
【牛乳はインスリン様成長因子-1(IGF-1)の産生を増やす】
ミルクを飲むと、インスリン様成長因子-1(Insulin-like Growth Factor-1: IGF-1)の産生量が増えることが多数の臨床試験で確認されています。成長ホルモンはIGF-1の作用によって体の成長や発育を促進します。牛乳を多く飲むと体格が良くなることは良く知られていますが、その作用機序として、牛乳タンパク質がインスリンやインスリン様成長因子-1(IGF-1)の分泌を高めるからです。
前立腺がんの発生率と血中のインスリン様成長因子-Iの濃度、あるいは牛乳の摂取量が正の相関を示すという研究結果が報告されています。
牛乳の摂取とインスリン様成長因子-Iの血中濃度に関する臨床試験(15件の横断研究と8件のランダム化比較対照試験)を総合的に検討した論文があります。
(Int J Food Sci Nutr. 7:330-40. 2009)
この論文の結論は「牛乳を多く摂取している人はIGF-Iの血中濃度が高い」、したがって「牛乳の摂取は血中のIGF-Iの濃度を高める可能性がある」ということです。
最近も以下のような論文があります。英国のオックスフォード大学のがん疫学ユニット(Cancer Epidemiology Unit)からの報告です。
Associations of circulating insulin-like growth factor-I with intake of dietary proteins and other macronutrients(循環インスリン様成長因子-Iと食事性タンパク質および他の主要栄養素の摂取との関連)Clin Nutr. 2021 Jul; 40(7): 4685–4693.
【要旨】
背景と目的:血中循環インスリン様成長因子-I(IGF-I)は、いくつかの種類のがんの発症リスクと関連している。食事性タンパク質の摂取、特に乳製品のタンパク質は、循環IGF-Iを増加させる可能性がある。しかし、タンパク質源の違い、他の主要栄養素、および食物繊維との関連は十分に検討されていない。
タンパク質と主要栄養素の摂取とそれらの供給源、食物繊維およびアルコールの摂取と血清IGF-I濃度との関連を調査することを目的とした。
方法:24時間の食事評価を完了し、調査開始時点で血清IGF-I濃度を測定した、UK Biobankからの合計11,815人の参加者を対象とした。多変量線形回帰を使用して、主要栄養素および食物繊維摂取量と循環IGF-I濃度との関連性を解析した。
結果:循環IGF-I濃度は、総タンパク質摂取量(エネルギー摂取量で2.5%当たり:0.56 nmol / L:95%信頼区間;0.47〜0.66)、乳タンパク質摂取量(1.20 nmol / L:95%信頼区間;0.90〜1.51)、ヨーグルトタンパク質摂取量(1.33 nmol / L:95%信頼区間;0.79〜1.86)と正の相関を認めた。しかし、チーズタンパク質摂取量(-0.07 nmol / L:95%信頼区間:-0.40〜0.25)とは関連は認めなかった。
IGF-I濃度は、食物繊維の摂取量(5 g /日あたりの摂取量増加につき:0.46 nmol / L:95%信頼区間;0.35〜0.57))および全粒穀物からのデンプン(摂取量上位5分の1(Q5)対摂取量下位5分の1(Q1):1.08 nmol / L:95%信頼区間;0.77〜1.39))とも正の相関が認められたが、アルコール消費量とは逆相関した(> 40 g /日vs <1 g /日:-1.36 nmol / L:95%信頼区間-1.00〜-1.71))。
結論:これらの結果は、乳タンパク質の供給源に応じてIGF-I濃度との関連が異なり、牛乳およびヨーグルトタンパク質の摂取量とは正の関連が認められたが、チーズタンパク質との関連は認めなかった。食物繊維と全粒穀物からのデンプンとIGF-Iとの正の関連性は、さらなる調査が必要である。
ドイツからも同様な結果が報告されています。
Association of dietary intake of milk and dairy products with blood concentrations of insulin-like growth factor 1 (IGF-1) in Bavarian adults(バイエルンの成人における牛乳および乳製品の食事摂取とインスリン様成長因子1(IGF-1)の血中濃度との関連)Eur J Nutr. 2020 Jun;59(4):1413-1420.
【要旨】
目的:血液中のIGF-1(インスリン様成長因子-1)濃度は、がんの発症リスクと関連しており、特に前立腺がん、乳がん、結腸直腸がんとの関連が強く指摘されている。観察研究および介入研究から、牛乳および乳製品の摂取がより高いIGF-1濃度と関連しているという証拠が示されているが、結果は常に一致しているわけでは無い。
この研究の目的は、第2回バイエルン食品消費調査(the Second Bavarian Food Consumption Survey)の参加者のデータから、乳製品摂取量と循環IGF-1濃度との関係を調べ、それによってドイツの人口における初めてデータを提供することである。
方法:18〜80歳の男性と女性526人を対象としたこの横断的研究では、これまでのほとんどの調査で採用された食物摂取頻度アンケートよりも詳細な手段で食品摂取量が評価された。
すなわち、採血日に近いランダムな日に行われた24時間の食事内容の3回の記録が行われた。循環IGF-1濃度は血液サンプルで測定された。多変量線形回帰モデルを使用して、乳製品摂取量とIGF-1濃度との関連を調べた。
結果:毎日の乳製品摂取量が400 g増えるごとに、IGF-1濃度が16.8 µg / L(95%信頼区間; 6.9〜26.7)上昇した。 1日あたりの牛乳摂取量の200gの増加ごとに、10.0 µg / L(95%信頼区間; 4.2〜15.8)のIGF-1濃度の上昇が認められた。対照的に、チーズまたはヨーグルトの摂取量とIGF-1濃度の間に関連性は観察されなかった。
結論:私たちの調査結果は、これまでのほとんどの調査と一致しており、乳製品と牛乳の摂取が血中IGF-1濃度の上昇に関連しているという仮説を支持している。
なかなかコンセンサスをまとめることはできませんが、牛乳を多く飲むと、血中IGF-1濃度が上昇するのは多くの国で再現性があるようです。
IGF-1濃度の上昇は乳児や子供や青年の成長と体力増強にプラスになりますが、中年以降のがんの発生と寿命短縮を促進する可能性があります。IGF-1と寿命短縮に関しては多くのエビデンスがあります。
【インスリン様成長因子-1(IGF-1)の血中濃度が低い人はがんが少なく寿命が長い】
寿命と発がんに関連する因子として、例えば、成長ホルモンやインスリン様成長因子-1(Insulin-like growth factor-1: IGF-1)があります。
体の成長を促進する成長ホルモンは肝臓に働きかけてインスリン様成長因子-1(IGF-1)を分泌させ、このIGF-1が標的組織の細胞分裂を刺激します。したがって、多くの臓器や組織の細胞にIGF-1の受容体があり、それらの細胞から発生するがん細胞の多くがIGF-1受容体を持っています。
成長ホルモンやその受容体やIGF-1のシグナル伝達系などに欠損のあるマウスでは、寿命が延び、がんの発生が少ないという報告があります。人間でも、IGF-1の低い人ほどがんによる死亡率が低いという報告や、IGF-1の低下しているほうが長寿であるという報告もあります。またIGF-1の働きを阻害するIGF-1結合蛋白の高い人のほうが長生きであるという報告もあります。
100歳以上の超長寿者では、成長ホルモンやインスリン/IGF-1シグナル伝達系の働きが低下するような遺伝子変異を持った人が多いという報告があります。
100歳以上まで生存した人(百寿者)の子孫と、比較的若く亡くなった人の子孫を比較すると、百寿者の子孫の方がIGF-1の血中濃度が低かったという報告もあります。以下のような報告があります。
Low circulating IGF-I bioactivity is associated with human longevity: findings in centenarians' offspring.(IGF-1の血中濃度の低値はヒトの長寿と関連している:百寿者の子孫の研究)Aging (Albany NY). 2012 Sep;4(9):580-9.
【要旨】
寿命の制御に関わる様々な加齢関連因子(IGF-1など)の研究において、百寿者の子孫は適したモデルになる。この研究の目的は、ヒトの寿命におけるインスリン様成長因子-1(IGF-1)の役割を検討することである。
我々は、革新的なIGF-I Kinase Receptor Activation (KIRA)アッセイ法を用いて血中のIGF-1活性を測定した。
対象は百寿者の子孫192名と、両親が比較的若く死亡した対照群80名で、両グループは年齢や性やBMIが同様であった。
両親が早死にした対照群に比べて、百寿者の子孫のIGF-1活性(p<0.01)、総IGF-1量(p<0.01)、IGF-1/IGFBP-3のモル比(p<0.001)は有意に低値を示した。
血清中のインスリン、グルコース、HOMA2-%B(膵臓β細胞機能)、HOMA2-%S(インスリン感受性)の値は両群で同様であった。
百寿者の子孫のIGF-1活性はインスリン感受性と逆相関を示した。
結論:1)百寿者の子孫は血中のIGF-1活性が対照群より低かった。2)百寿者の子孫のIGF-1活性はインスリン感受性と逆相関の関係を示した。これらの結果は、ヒトの加齢過程におけるIGF-1/インスリン系の関与を示唆している。
高齢者男性で、血中のIGF-1の濃度が高い人はがんを発生するリスクが高いという疫学研究の結果が米国から報告されています。この研究では、50歳以上の男性633人を対象に、IGF-1値を測定したのち18年間の追跡調査を行った結果、試験開始時にIGF-1値が100ng/mlを超えていた男性のがん死亡のリスクはIGF-1値が低かった男性のほぼ2倍であったということです。(J Clin Endocrinol Metab. 95(3):1054-1059. 2010年)
その他の研究でも、血清IGF-I濃度が高いほど、前立腺がん、乳がん、肺がん、大腸がん、膵臓がんの発生率が高くなることが示されています。つまり、高齢になってIGF-1が低い人は、寿命が伸び、がんの発生が抑制される可能性があります。そして、IGF-1の産生が低い体質や、IGF-1で誘導される細胞内シグナル伝達系の働きが弱い遺伝的素因を持った人は、長寿でがんが発生しにくいという可能性があります。
体を成長させる成長因子や増殖因子やホルモンなどは、若い人には若返り効果があるのですが、高齢になるとがんの発生を促進し、寿命を短くするようです。
したがって、IGF-1の血中濃度を高める牛乳や乳製品は子供や若い人にはメリットが大きいのですが、中年以降は老化と発がんを促進し、寿命を短縮すると考えるのが妥当です。
人間の場合、成長過程に必要な成長因子やホルモンは、がん年齢(中年以降)になるとがんを促進する方向で作用します。例えば、男性ホルモンも女性ホルモンも、それぞれ前立腺がんや乳がんの発生を促進し、様々な成長因子や増殖因子はがん細胞の発育を促進すます。したがって、乳幼児のときに有用な食品が、がん年齢の人々が摂取して問題ないのかという懸念があります。
【牛乳のアミノ酸組成はがん細胞の増殖促進作用が高い】
アミノ酸のうち、ロイシンががん細胞の増殖促進に重要な役割を担っていることが知られています。
ロイシンは必須アミノ酸のひとつで、イソロイシン、バリンとともに、その分子構造から分岐鎖アミノ酸類(Branched Chain Amino Acid :BCAA)に分類され、1日の必要量が必須アミノ酸9種中では最大のアミノ酸です。
ロイシンにはインスリン分泌促進作用があり、筋肉の成長・修復・強化を助ける効果があります。そのため、スポーツ選手によく利用されているアミノ酸です。
しかし、インスリンはがん細胞の発生や増殖を促進します。一般に、インスリンは血糖の上昇に応じて分泌され、糖質以外はインスリン分泌を高めないと言われていますが、ロイシンなど幾つかのアミノ酸にはインスリンの分泌を刺激し、さらに、がん細胞の増殖に重要なmTORC1の活性を高める作用があります。
ブドウ糖以外がインスリンの分泌を高める機序としては、インクレチンと呼ばれる消化管ホルモンの関与が考えられています。食物が消化管に入ってきたことを感知してホルモンを分泌する細胞が消化管に存在します。
インクレチンは、腸に食物が入ってきたり吸収されるのを感知して腸から分泌され、いろんな臓器に指令を出します。膵臓に働きかけてインスリンの分泌を促したり、脳に作用して食欲を抑えたり、胃に作用して胃から腸への食物の排出を抑制したりすることによって血糖を下げる効果を示します。
牛乳に含まれるタンパク質の多くはホエイプロテイン(約20%)とカゼイン(約80%)です。これらのタンパク質はインスリンやインスリン様成長因子の産生を刺激するようなアミノ酸組成になっていることが示唆されています。その理由は、牛乳には、子牛の成長を促進する必要があるからです。
肉のタンパク質にも、これらのアミノ酸が含まれていますが、その組成は牛乳タンパク質に比べると、インスリンやインスリン様成長因子の産生を刺激する作用は弱いことが報告されています。
牛乳タンパクのうち、ホエイプロテンはインスリンの分泌刺激が強く、カゼインはインスリン様成長因子の分泌刺激が強いことが報告されています(下表)。
図:牛乳タンパク質に含まれるホエイプロテインはインスリン分泌能が高く、カゼインはインスリン様成長因子-1(IGF-1)の分泌を亢進する作用が強い。(出典:Nutr Metab (Lond). 2012 Aug 14;9(1):74. )
カゼインは乳タンパク質の80%を占め、チーズに多く含まれています。カゼインががんの増殖を促進することが指摘されていますが、インスリン様成長因子の産生と関係しているかもしれません。チーズはがんには良くない可能性が示唆されます。
タンパク質も摂り過ぎるとがんを促進しますが、その種類も重要なのです。ロイシン、イソロイシン、バリンの分岐鎖アミノ酸の豊富な牛乳や乳製品はがん細胞の増殖を刺激する作用が強いと言えます。
あるいは、「牛乳タンパク質は、インスリンやIGF-1の分泌を刺激する活性を高めるような組成になっている」というのが正しいかもしれません。
牛乳のタンパク質のアミノ酸組成はバリン、ロイシン、イソロイシンといった分岐鎖アミノ酸が多く、mTORC1を活性化する作用が最も高いタンパク質と言われています。
牛乳の主なタンパク質である乳清タンパク質(ホエイプロテイン:whey protein)にはロイシンが14%、カゼインには10%含まれるています。
ホエイプロテイン(乳清タンパク質)は運動選手が筋肉をつけるためにサプリメントとしてエビデンスがあります。牛乳タンパク質は体力増強には好都合ですが、がんがある場合は、がん細胞の増殖を促進する可能性が高いので摂り過ぎには注意が必要です。
シグナルの大きさは、量ではなく速度(濃度の差)と言われています。ロイシンを多く摂取しても、吸収がゆっくりであればインスリン分泌を促進する作用は高くありません。量が少なくても、急速に上昇すれば、インスリンを分泌する反応が高まります。牛乳中のホエイプロテンはロイシンの含有量が多く、消化管内で簡単に加水分解されて、摂取後の血中ロイシン濃度は急速に上昇するので、インスリンの分泌を刺激し、mTORC1を活性化します。ヨーグルトも牛乳と同様にインスリンを高め、mTORC1を活性化します。 このような理由で、肉や魚のタンパク質に比べて、牛乳のタンパク質はがん細胞の増殖を刺激する作用が強いと言えます。
【ロイシンのmTORC1活性化作用】
ラパマイシン(Rapamycin)という薬があります。これは免疫抑制剤として臓器移植の際の拒絶反応を防ぐために使用される薬です。
ラパマイシンは1970年代にイースター島(モアイ像で有名な南太平洋の島)の土壌から発見された放線菌の一種が産生する有機化合物です。イースター島はポリネシア語で「ラパ・ヌイ(Rapa Nui)」と言い、この「ラパ」と「菌類が合成する抗生物質」を意味する接尾語の「マイシン」とを組み合わせて「ラパマイシン」と名付けられています。
ラパマイシンの薬効としては、免疫抑制作用の他に、抗がん作用や寿命延長効果が知られています。寿命延長作用については、生後600日のマウス(人間では60歳ほどに相当)にラパマイシンを投与すると、通常に比べてメスは平均で13%、オスは9%長生きしたという動物実験の結果が報告されています。
mTOR(mammalian target of rapamycin:哺乳類ラパマイシン標的蛋白質)はラパマイシンの標的分子として同定されたセリン・スレオニンキナーゼで、細胞の分裂や生存などの調節に中心的な役割を果たすと考えられています。
初め、酵母におけるラパマイシンの標的タンパク質が見出されてTOR(target of rapamycin)と命名され、後に哺乳類のホモログが見出されてmTORと命名されました。
mTORにはmTOR複合体1(mammalian target of rapamycin complex 1:mTORC1)とmTOR複合体2(mammalian target of rapamycin complex 2:mTOR2)の2種類があります。
インスリンやインスリン様成長因子やロイシンが刺激するのはmTORC1の方です。
mTORC1は、糖やアミノ酸などの栄養素の状況、エネルギー状態、成長因子(増殖因子)などによる情報を統合し、エネルギー産生や細胞分裂や生存などを調節しています。すなわち、細胞内の栄養やエネルギー環境の変動によって活性が制御され、シグナル伝達の下流に存在する様々なキナーゼ(タンパク質リン酸化酵素)などを介して、タンパク質の合成やエネルギー産生、細胞増殖など様々な細胞内の反応に関与しています。
mTORC1を活性化するシグナル伝達経路の代表は、インスリンやインスリン様成長因子などの成長因子の受容体から惹起されるPI3K-AKTシグナル伝達系です。
すなわち、細胞が増殖因子などで刺激を受けるとPI3キナーゼ(Phosphoinositide 3-kinase:PI3K)というリン酸化酵素が活性化され、これがAktというセリン・スレオニンリン酸化酵素をリン酸化して活性化します。
活性化したAktは、細胞内のシグナル伝達に関与する様々な蛋白質の活性を調節することによって細胞の増殖や生存(死)の調節を行います。このAktのターゲットの一つがmTORC1です。
Aktによってリン酸化(活性化)されたmTORC1はタンパク質や脂質の合成や細胞分裂や細胞死や血管新生やエネルギー産生などに作用してがん細胞の増殖を促進します。
この経路をPI3K/Akt/mTORC1経路と言い、がん細胞の増殖を促進するメカニズムとして極めて重要であることが知られています。
(下図)
図:栄養摂取やインスリン、インスリン様成長因子-1(IGF-1)などの増殖刺激が細胞に作用すると、PI3Kが活性化され、その下流に位置するAktの活性化、mTORC1の活性化と増殖シグナルが伝達される。mTORC1は栄養素の取込みやエネルギー産生、細胞分裂・増殖、細胞生存、抗がん剤抵抗性、血管新生などに関与し、mTORC1の活性化はがん細胞の発生や増殖や転移を促進する。
ロイシンにはインスリンの分泌を促進する作用が知られており、筋肉を増やす効果があります。そのため、スポーツ選手が筋肉を増やすためのサプリメントとしても利用されています。
さらに最近の研究で、ロイシンが直接mTORC1を活性化する機序が報告されています。つまり、アミノ酸の供給が増えれば、細胞が成長し分裂を刺激するということです。
タンパク質の摂り過ぎががんを促進するという理由とも関連しています。
牛乳に含まれるタンパク質にはロイシンが多く、牛乳のタンパク質は肉のタンパク質に比べてmTORC1を活性化する作用が強いことが明らかになっています。
牛乳がmTORC1を活性化することは、乳幼児期の成長を早める目的では有用ですが、青年期以降も飲み続けると、牛乳によるmTORC1の活性化は発がん促進につながると言えます。
牛乳タンパク質のアミノ酸組成は細胞の増殖を促進する作用がありますが、このような増殖促進作用は肉では弱いと言われています。
細胞は栄養が十分にある状態を感知すると、タンパク質の合成や細胞分裂を起こそうとします。mTORC1は細胞内の栄養素の供給状況やエネルギー量を総合的に判断するセンサーです。したがって、必須アミノ酸で最も必要量の多い分岐鎖アミノ酸のロイシンにmTORC1を直接活性化する作用があることは合理的と言えます。
図:mTORC1(哺乳類ラパマイシン標的蛋白質複合体-1)は成長因子(インスリン、インスリン様成長因子など)やグルコース(ブドウ糖)やアミノ酸(特にロイシン)によって活性化される。活性化されたmTORC1はシグナル伝達の下流に存在する様々なキナーゼ(タンパク質リン酸化酵素)などを介して、タンパク質合成や細胞分裂を促進し、その結果、老化と発がん過程やがん細胞の増殖を促進する。したがって、グリセミック負荷(ブドウ糖負荷)の高い高糖質食や牛乳・乳製品(特に牛乳タンパク質)や肉類は、最終的にはmTORC1を介するシグナル伝達系を刺激して老化やがんの発生や進展を促進する。がん細胞はグルコーストランスポーターやアミノ酸トランスポーターや様々な成長因子の受容体の発現量が増えていて、このような食品による増殖促進作用を受けやすい。
【ブドウ糖負荷(グリセミック負荷)+乳製品はがんを促進する】
「人類が農耕を始めてからがんが増えている」という意見があります。農耕が始まってから増えた食品が穀物と乳製品ということになっており、穀物(糖質)と乳製品の摂り過ぎががん患者を増やしている可能性を指摘する意見もあります。
特に、糖質によるグリセミック負荷(ブドウ糖負荷)と牛乳や乳製品の組合せ(シリアルと牛乳、パン食と牛乳、ピザ、チーズバーガーなど)が、発がんを促進するという意見があります。 牛乳に含まれるタンパク質には細胞の成長を促進するアミノ酸(ロイシンなど)が豊富であることが、がんの促進との観点から研究されています。
グリセミック負荷が高い食事はインスリン分泌を高め、その結果、PI3K/Akt/mTORC1シグナル伝達経路を活性化します。しかし、アミノ酸が不足しているとインスリンはmTORC1を十分に活性化できません。つまり、インスリンとアミノ酸(ロイシン)の両方のシグナル(ブドウ糖とアミノ酸が十分にあるというシグナル)が無いとmTORC1は十分に活性化できないのです。
したがって、がんの予防や治療の観点からは、ブドウ糖負荷+牛乳タンパク質の組合せは、がんを促進する可能性が高いといえます。このような食事としては、コーンフレークとミルク、パンとミルク、ピザ、チーズバーガーなどが代表です。
精製度の高い穀物と乳製品の組合せは現代社会では最もポピュラーな食事パターンです。牛乳というのは、単にエネルギーと栄養素を補給するだけでなく、体や細胞に働きかけて増殖を促進する作用があります。
牛乳の中には様々なホルモンや成長因子が含まれているのもその一つです。そして、牛乳に特徴的なタンパク質(カゼインや乳清タンパク質)はmTORC1系を活性化するようなアミノ酸組成を持っているのです。
前述のように肉や植物性タンパク質に比べて、牛乳タンパク質が最もインスリンやIGF-1の血中濃度を高めることが明らかになっています。インスリンとIGF-1はPI3K/Aktを介してmTORC1を活性化します。アミノ酸のロイシンはmTORC1を直接活性化します。
全ての哺乳類のミルクには、タンパク質1g当たり0.1gのロイシンが含まれています。しかし、ミルク中のタンパク質含量には差があり、ミルク中のタンパク質含量(したがって、ロイシンの量)の多い動物は新生時期の成長が早いと言われています。
ロイシンの含量は、ラットのミルクが11g/L、猫のミルクは8.9g/L、牛乳が3.3g/L、ヒトのミルクには0.9g/Lです。一方、新生時期に生まれた時の体重が2倍になるまでの期間は、ラットが4日、猫は10日、牛は40日、ヒトは180日です。
子牛が生まれてから最初の1年間の体重の増加は1日当たり0.7~0.8kg、人間の場合は1日に0.02kgで牛の40分の1程度だそうです。(Nutr Metab (Lond). 2012; 9: 74.)
ヒトのミルク(母乳)は牛乳に比べると、ロイシンによるmTORC1の活性化率は低いと言われています。実際、人間の場合、母乳よりも牛乳をベースにしたミルクの方が、哺乳後の血中のロイシン、インスリン、IGF-1の濃度が高いと言われています。
人間の場合、脳の発育に時間がかかるので、体の成長を抑えるようにミルクのmTORC1活性化作用が弱まっているという意見もあります。
肉のタンパク質にはこのような増殖を刺激するような作用は弱いのですが、赤身の肉は別の機序(酸化ストレスを高める)でがんを促進するので、推奨できません。タンパク質源としてがんの予防と治療の観点から適しているのは、大豆、ナッツ類(クルミなど)、魚介類、卵、鳥肉(脂の少ない部分)ということになります。野菜にもある程度(100g当たり1~数グラム)のタンパク質が含まれています。
【にきびのある人はがんになりやすい?】
にきびとは主に思春期・青年期に顔・胸・背中などの毛穴にできる吹き出物です。漢字では面皰(めんぽう)、医学用語では尋常性痤瘡(じんじょうせいざそう)または単に痤瘡(ざそう)と言います。
にきびは皮脂の分泌が増えて毛穴に皮脂と角質の混じり合った塊ができて詰まり、炎症を起こしたものです。したがって、皮脂腺の活動が盛んになることが原因です。皮脂腺は男性ホルモンのアンドロゲンやインスリン様成長因子-1(IGF-1)によって働きが亢進することが知られています。
糖質と肉や乳製品の摂取の多い西洋食がにきびの発生を促進することが知られています。このような食事はインスリンやインスリン様成長因子-1(IGF-1)の分泌を高め、インスリン/IGF-1シグナル伝達系の活性化が皮脂腺の活動を盛んにするためと考えられています。
インスリン/IGF-1はアンドロゲンの産生も高めます。インスリンは肝臓からの性ホルモン結合グロブリンの産生を抑制し、IGF-1はアンドロゲンの産生を刺激するからです。
活性化されたmTORC1はシグナル伝達の下流に存在する様々なキナーゼ(タンパク質リン酸化酵素)などを介してタンパク質や脂肪酸の合成や細胞分裂を促進し、その結果がん細胞の増殖を促進します。この機序は同時に皮脂腺の活動を盛んにする作用もあるため、にきびの発生を促進することになります。
したがって、グリセミック負荷(ブドウ糖負荷)の高い高糖質食や牛乳・乳製品(特に牛乳タンパク質)や肉類の多い食事は、にきびとがんの両方の発生と進展を促進することになるため、にきびの多い人は発がんのリスクが高いということになります。
日本ではまだそれほど多くはありませんが、欧米の先進国ではにきび(尋常性痤瘡)は思春期・青年期で79~95%にみられ、25歳以上では40~54%、中年女性で12%、中年男性で3%に見られるということです。
しかし、旧石器時代と同様の食生活を続けているパプア・ニューギニアのキタヴァ(Kitava)島の1200人(15~25歳の300人が含まれる)やパラグアイの狩猟採集民族115 人(15~25歳が15人含まれる)の調査では、にきびは誰にも見つからなかったということです。(Arch Dermatol. 138(12):1584-90. 2002年)
エスキモーのイヌイットの人は昔ながらの食事をしている間はにきびが見られませんでしたが、乳製品や高糖質・高タンパク質の米国式の食事が入ってきてイヌイットの人々にもにきびが増えていると言われています。同時に、がんや糖尿病や循環器疾患も増えています。
また、IGF-1の働きが欠損した遺伝疾患(Laron syndrome)の患者を思春期・青年期から長期間追跡調査した研究でも、にきびはほとんど認められなかったことから、にきびの発生にIGF-1の関与が強く示唆されています。(J Eur Acad Dermatol Venereol. 25(8):950-4. 2011年)
逆に、成長ホルモン/インスリン様成長因子-1シグナル伝達系が活性化している先端巨大症(Acromegaly)の患者には、脂漏症(seborrhea)やにきび、2型糖尿病、がんの発生率が高いことが知られています。
先端巨大症は末端肥大症などとも言い、成長ホルモン産生下垂体腺腫によって成長ホルモンが過剰に分泌されることによって、四肢末端の肥大、糖尿病、高血圧、高脂血症などの症状を示し、がんの発生率も高いことが知られています。
成長ホルモンは肝臓に働きかけてIGF-1の産生を亢進します。
IGF-1は脂肪酸の合成を促進するだけでなく、男性ホルモンのアンドロゲンとアンドロゲン受容体の産生を高める効果があります。男性ホルモンは皮脂腺の活動を促進してにきびの発生を促進します。
治療抵抗性のにきびに罹ったことのある人は、前立腺がんの発生率が高くなることも報告されています。(Int J Cancer. 121(12):2688-92. 2007年)
にきびと前立腺がんの間には、IGF-1と男性ホルモンという両者に共通の促進因子があるので、この結果は納得しやすいと思います。
にきびとがんとIGF-1の関連を示すエビデンスは以上の他にもかなり多数報告されています。にきびが青年期以降も長く続くような人はがんの発生や進展が促進される可能性が高いので、インスリンやインスリン様成長因子を減らすような食生活を実践することががん予防に有効です。
このような食事の基本は糖質と乳製品の摂取を少なくすることです。糖質制限でにきびが改善することは臨床試験でも証明されています。(Acta Derm Venereol. 2012 May;92(3):241-6)
さて、中年以降も牛乳を多く摂取してIGF-1/mTORC1シグナル伝達系を活性化し、体力と筋力の維持を優先するか、IGF-1/mTORC1シグナル伝達系を抑制してがんの予防や寿命を延ばすことを優先するかは、個人の価値観であり、どちらが良いとか悪いとかいう問題ではありません。
サルコペニア(筋力低下)やフレイル(虚弱)を防ぐ目的では、IGF-1/mTORC1シグナル伝達系を活性化することが有効です。しかし、がんの発生や寿命短縮のリスクが高くなるかもしれないというだけです。
「太く短く生きる」か「細く長く生きる」かのどちらを選ぶかは個人の自由です。生物は「太く長く生きる」ことができるようにはプログラムされていないようです。遺伝子は体の老化やがん発生を進めて古い個体(遺伝子の乗り物)を早く排除したいという目的(使命)を持っているためです。
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