がんの予防や治療における漢方治療の存在意義を考察しています。がん治療に役立つ情報も紹介しています。
「漢方がん治療」を考える
199)丹参の上皮-間葉移行抑制効果
図:がん細胞が周囲組織に浸潤したり他の臓器に転移する場合、がん組織(がん細胞の塊)からがん細胞が離れる必要がある。この時、がん細胞は上皮性細胞の性質から間葉系細胞の性質に変化し、これを上皮-間葉移行(epithelial-mesenchymal transition)という。丹参の主な薬効成分であるSalvianolic acid Bに上皮-間葉移行を防ぐ効果が報告されている。
199)丹参の上皮-間葉移行抑制効果
【上皮-間葉移行とは】
上皮-間葉移行(Epithelial-Mesenchymal Transition)とは上皮細胞が間葉系様細胞に形態変化する現象です。
上皮系細胞とは、細胞と細胞が接着しながら敷石状(シート状)に配列している細胞です。その敷石状の配列は内外や上下といった方向性を持っています。消化管や呼吸器や泌尿器などの粘膜の表面を被う粘膜上皮細胞、肝臓や膵臓や腎臓などの腺細胞、皮膚の表皮細胞などが上皮系細胞です。
一方、間葉系細胞は、上皮系細胞のような方向性のある敷石状の配列では無く、ネットワーク状あるいはびまん性に配列する性質を持った細胞で、結合組織のコラーゲン線維を作る線維芽細胞のような細胞です。間葉系細胞は、筋肉組織や結合組織や脂肪組織や骨組織などを構成します。
上皮系と間葉系の細胞は、細胞を接着する接着因子や、細胞骨格蛋白の種類が異なります。したがって、上皮-間葉移行では、上皮細胞が上皮細胞の性質を失い、間葉系細胞の性質を獲得することになります。
【がん細胞が転移・浸潤するときに上皮-間葉移行が起こる】
がんは上皮細胞が悪性化して無制限に増殖するようになった細胞です。元来、正常な上皮細胞は位置移動を行いません。一方、線維芽細胞のような間葉系細胞は位置を移動する運動能を持っているものもあります。
がん細胞は悪性度が高まるにつれ上皮様(epithelial)の状態から線維芽細胞様の間葉(mesenchymal)の状態(上皮-間葉移行)へ、さらにはアメーバー様(amoeboid)への状態(間葉-アメーバー様移行:mesenchymal-amoeboid transition)へ形態を変化させることにより浸潤運動能を獲得することが明らかになっています。
上皮-間葉移行では、上皮細胞相互間の接着に重要な役割を果たしているE-カドヘリンの発現量が減少し、塊を形成しているがん細胞が単細胞で遊走することが可能になります。さらに間葉-アメーバー様移行によって、がん細胞は周囲の結合組織の中を運動して離れた場所に移動することができます。
E-カドヘリンは上皮細胞の代表的な接着分子であり、細胞間接着に寄与しており、がんの悪性度とその発現が逆相関することが知られており、E-カドヘリンの減少は上皮-間葉移行の重要な指標になっています。
抗がん剤や放射線はがん細胞を死滅させる効果を治療に使用します。しかし、がん細胞の遺伝子に変異を引き起こして悪性度が強くなる可能性や、がん細胞の上皮-間葉移行を引き起こして転移や浸潤を促進する可能性が指摘されています。
培養細胞や動物を使った多くの実験で、抗がん剤治療や放射線治療によってがん細胞の上皮-間葉移行が誘導され、転移や浸潤が促進されることが示されています。
【丹参の上皮-間葉移行の阻害作用】
がん細胞の上皮-間葉移行を阻害することができれば、転移や浸潤を抑制できることになります。そのような効果を持った生薬としてタンジン(丹参:Radix Salviae Miltiorrhizae)があります。
タンジンは、シソ科のタンジンの根です。抗炎症作用や抗酸化作用を持っているので、炎症などの熱証を伴う血行障害の治療に適します。駆お血薬としての効果と同時に、補血と精神安定の効果も持ちます。中国では慢性肝炎や心筋梗塞や腎臓疾患の治療に使用されています。
タンジンに含まれる水可溶性成分のSalvianolic Acid Bが、上皮-間葉移行で重要な役割を持つTGFβ系のシグナル伝達を阻害することによって、上皮-間葉移行を阻害することが報告されています。(BMC Cell Biology 2010, 11:31)
この論文では、ダメージを受けた腎臓が線維化を起こすときに、TGF-βの作用によって上皮細胞が線維芽細胞様の細胞に上皮-間葉移行を行うことを示し、丹参に含まれるSalvianolic Acid BがこのTGF-βで誘導される上皮-間葉移行を阻害することによって腎臓の線維化を抑制する作用を報告しています。
TGF-βはがん細胞の上皮-間葉移行でも重要な働きをしているので、丹参のSalvianolic Acid Bががん細胞の上皮-間葉移行を阻害してがんの転移や浸潤を抑制する効果が推測できます。
中医薬のSongyou Yinという名称の煎じ薬は、肝臓がんを移植する動物実験で、がん細胞の増殖や転移を抑制する効果が報告されています。抗がん剤によって誘導される上皮-間葉移行を阻害して転移を抑制する効果も報告されています。
このSongyou Yinは、丹参( Salvia miltiorrhiza)、黄耆(Astragalus membranaceus )、枸杞(Lycium barbarum L.)、山査子( Crataegus pinnatifida)、 別甲(Trionyx sinensis Wiegmann)の5種類から構成されます。
(BMC Cancer 2010, 10:219)
前述のように、抗がん剤治療や放射線治療は、がん細胞の上皮-間葉移行を引き起こし、転移や浸潤を促進する可能性が報告されています。
したがって、抗がん剤治療や放射線治療中の漢方治療に丹参を多く使用することは、がん細胞の上皮-間葉移行の抑制による転移が浸潤の予防に役立つ可能性が示唆されます。
また、がんとの共存を目標とした漢方治療においても、転移や浸潤を抑制する効果は有用です。
丹参は、造血機能を高める補血作用や、血液循環を良くする作用、抗酸化作用などの効果もあるので、がん治療中や治療後の再発予防、進行がんの治療などにおいて有用な生薬と言えます。
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