がんの予防や治療における漢方治療の存在意義を考察しています。がん治療に役立つ情報も紹介しています。
「漢方がん治療」を考える
134) Adaptive Therapy (適応性のある治療):がんとの共存を目指す治療法
図:がん組織に抗がん剤耐性のがん細胞集団が存在しているとき、抗がん剤感受性のがん細胞は抗がん剤耐性のがん細胞の増殖を抑える働きをしている。強力にがん細胞を死滅させる従来の抗がん剤治療では、抗がん剤耐性のがん細胞の増殖をむしろ促進する結果となる。抗がん剤感受性のがん細胞を十分生き残らせるように抗がん剤の量と投与時期を調整するAdaptive Therapy(適応性のある治療)では、がん組織が安定化してより延命効果が得られる可能性がある
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134) Adaptive Therapy (適応性のある治療):がんとの共存を目指す治療法
現在行われている抗がん剤治療は「副作用が耐えられる最大量を投与して、がん細胞をできるだけ多く死滅させる」ことを基本方針としています。この方針は、抗がん剤が効きやすい白血病や悪性リンパ腫や精巣腫瘍など一部のがんや肉腫では成功しています。
しかし、多くのがんでは、患者が死なないレベルの最大投与量を投与しても、がんを全滅させることはできず、延命効果もそれほど高くないことが指摘されています。
強力な抗がん剤治療によって一時的に腫瘍を縮小させても、ほとんどの場合、抗がん剤に抵抗性をもったがん細胞が出現し、根治させることはできません。強い副作用で苦しんだにもかかわらず、せいぜい数ヶ月間の延命効果しか無いというのがこの治療法の現実です。
このような現行の抗がん剤治療のやり方に反対して、「がんの縮小ではなく、大きくしない」ことを目標にして、「がんとの共存」を目指す治療法が提唱され、一部の医師によって実施されてています。
「最大量の抗がん剤を投与して短期間にがんの縮小を目指す治療法」と、「強い副作用が出ないレベルの低用量の抗がん剤を継続的に投与してがんを大きくしないで共存を目指す治療法」のどちらが優れているかは、多くの研究や議論が行われていますが、まだ結論はでていません。
がんの医学雑誌として最も権威のある『Cancer Research』誌の最新号(6月1日号)に、後者の考え方を支持する論文が掲載されています。
タイトルは「Adaptive Therapy」で、日本語に訳すと「適応性のある治療」という意味です。著者は米国フロリダ州にあるモフィットがんセンター(Moffitt Cancer Center)のRobert A. Gatenby博士らです。Gatenby博士は数理腫瘍学(mathematical oncology) の専門家で、がんを動的に進化していくシステムとして捉えて考察しています。
まず、この論文の要旨の日本語訳を以下に示します。
Adaptive Therapy(適応性のある治療) [Cancer Res 2009;69(11):4894-903] |
【要旨(Abstract)】 全身に広がったがんを治療するために、数多くの有効な治療法が行われている。しかしながら多くの場合、腫瘍組織の縮小は一時的であり、いずれ抗がん剤に抵抗性のあるがん細胞が出現して、治療が困難になることが多い。 抗がん剤治療に抵抗性のあるがん細胞集団が出現する理由は、がん組織に存在するがん細胞の性質や微小環境にはすでに多様性(heterogeneity)があり、さらに抗がん剤の攻撃にがん細胞が適応するためにがん細胞の性質が変化するためである。 がん組織は高度にダイナミック(動的)なシステムにもかかわらず、抗がん剤治療に使う薬の投与量は固定した計算式にしたがって決められている。 この報告では、腫瘍組織の微小環境やがん細胞の性質(形質)や、がん治療に適応して起こる変化に対応しながら、治療薬の投与量や投与時期を変えていく適応性のある治療法(adaptive therapeutic approach)の有効性について検討した。 治療を受けていない腫瘍組織の中に抗がん剤に抵抗性(耐性)の性質をもったがん細胞が出現したとき、抗がん剤抵抗性のがん細胞集団は抗がん剤感受性のがん細胞集団よりも少ない数で存在することが、最初の数理的モデルで明らかになった。 耐性を獲得したがん細胞集団が小さいまま維持される理由は、薬剤に耐性のある細胞は、薬物を代謝する酵素や耐性に関与する細胞内分子を増やす必要があるため、耐性の性質を維持するためのコスト(エネルギー)が余分に必要になり、その分、自身を増殖させるためのエネルギーが不足しているためである。あるいは、がん組織における虚血や低酸素といったがん細胞の増殖を阻害する微小環境に適応するためのエネルギーも不足していて、虚血や低酸素のがん組織の中での増殖が抑えられる可能性もある。 このように、がん組織の中でのダーウィンの進化論的な環境適応においては、抗がん剤耐性のがん細胞よりも抗がん剤感受性のがん細胞の方が、がん組織の微小環境により適応しており、増殖しやすい状況にあり、抗がん剤耐性のがん細胞の数は少ない状態が維持される。 抗がん剤治療前に抗がん剤耐性のがん細胞が存在した場合、大量の抗がん剤を投与して抗がん剤感受性のがん細胞が多く死滅すると、抗がん剤耐性のがん細胞の増殖を阻止していた抑制力がなくなり、耐性のあるがん細胞が一気に増殖しだす。 そこで我々は、がん組織の中の性質の異なったがん細胞集団のバランスを安定化させるように、抗がん剤の投与量や投与時期を絶えず変更する(適応させる)治療法を代替案として提唱する。 この適応性のある治療法(adaptive therapy)の目標は、抗がん剤感受性のあるがん細胞をある程度残して、そのがん細胞集団に抗がん剤耐性(がん組織の微小環境においては適応力が弱い)のがん細胞の増殖を抑えさせ、がん組織を安定した状態に維持することである。 コンピューターを使ったシュミレーションでは、この治療法の方が、一度に大量の抗がん剤を投与する場合よりも、生存期間を延ばすことが示された。 この方法の有効性は動物実験によって確認された。 |
【主要な発見(Major Findings )】 抗がん剤治療の有無によるがん細胞集団の進化的変動(evolutionary dynamics)を数理的手法で解析した。 がん細胞の多様性やがん組織の微小環境によって、治療前に抗がん剤耐性のがん細胞は存在し、大量の抗がん剤投与によって、抗がん剤耐性のがん細胞の増殖が促進されることが、分析的解答と数学的シミュレーションによって示された。 「がんを治す治療戦略(treatment-for-cure strategy)」を「がんを安定化させる治療戦略(treatment-for-stability)」に変更する方が生存期間を最大限に延ばすことができるということが、この実験モデルから予想された。 特に、抗がん剤感受性のがん細胞集団を一定量維持して、正常の腫瘍組織の状態(抗がん剤による副作用がない状態)において抗がん剤耐性のがん細胞の増殖を抑えてがん組織自体を安定化することを目標にした抗がん剤の投与法の方が、より生存期間を延ばすことができることを、この実験モデルは示している。 マウスに卵巣がんを移植して抗がん剤のカルボプラチンを投与する動物実験は、このAdaptve Therapyが有効で、生存期間を延ばす効果があることを示した。 |
従来のがん治療の考え方は、がんを消滅あるいは縮小させるという発想しかありませんでした。小さくしないと延命はしないということが大原則になっていました。しかし、この考え方に抗がん剤治療の根本的な間違いがあるという指摘があります。がんの縮小が必ずしも延命につながらないからです。
最近は、がんの縮小を目指すのではなく、がんの増殖をくい止め、がんと共存しながら延命をはかるという戦略が提唱されています。
抗がん剤治療を行っていると次第に薬剤耐性を持ったがん細胞が増えて、いずれはどの抗がん剤にも効かないがん細胞集団になっていくということは、抗がん剤治療の宿命になっています。
薬剤耐性のメカニズムを研究し、薬剤耐性を克服する方法の開発が、抗がん剤治療の研究の重要なテーマとなっていますが、薬剤耐性を克服する有効な方法はまだありません。
現在の抗がん剤治療の主流の考え方は、大量の抗がん剤を投与して、がん細胞をできるだけ死滅させることです。この方法論によって、白血病や精巣腫瘍のような一部の悪性腫瘍は根治できます。
しかし、この方法は全てのがんに有効ではありません。多くの固形がんでは、大量の抗がん剤を投与しても、腫瘍の縮小は一時的であり、抵抗性をもったがん細胞がかえって急速に増えてしまい、生存期間を延ばす効果につながらないことが指摘されています。副作用によって治療の継続ができない場合も多くあります。
そこで、低用量の抗がん剤を投与しながら、がんを大きくしないという「休眠療法」が提唱され、一部の医師によって実践されています。この低用量の抗がん剤投与の有効性に対しては、がん専門医の多くは懐疑的です。
しかし、数学的解析とコンピューターシミュレーションによって、「大量の抗がん剤を投与して一時的ながん組織の縮小を目指すより、腫瘍の大きさを一定に保つことを目標に抗がん剤を投与した方がより生存期間が長い」という結果を示した論文が、がん研究で最も権威のある学術雑誌のCancer Researchに発表されたことは、今までの抗がん剤治療の常識を変えるインパクトがあります。
マウスに卵巣がんを移植した動物実験では、大量の抗がん剤を投与すると一旦は腫瘍が消滅しますが、数週間後には再発してマウスを死に至らしめます。一方、薬剤の量を減らし必要な時だけ投与することにより腫瘍を安定した状態に保つ治療法では、生存期間を延ばすことが示されています。
Gatenby博士は、 WIRED SCIENCEのインタビューの中で、Adaptive therapyの方法論を殺虫剤の散布法に例えて次のように説明しています。(記事はこちらへ)
『例えば害虫に対応するには、殺虫剤に耐性のある害虫が支配的勢力となるのを防ぐために、農地の4分の3に殺虫剤を撒き、残りの4分の1は放っておくという方法をとります。殺虫剤散布の後も、この区画では殺虫剤に耐性のない害虫が生き残り、やがて農地全体に広がっていくからです。 殺虫剤を農地全体に撒いてしまうのと同じようなことを、われわれは現在、がんに対してしています。害虫を1度に駆除したいのは誰しも同じですが、それができないのならば――襲来のたびに対応して、耐性を付けさせてしまっているのならば――別の戦略を試すべきです。これに代わる方法は、害虫が作物に被害を及ぼさない程度に数を減らす努力をしつつも、害虫が農地に居座り続ける事実を受け入れることです。これこそがまさに、私ががんについて言っていることです。』 |
Gatenby博士は、がん細胞は動的に進化していく多様性をもった細胞集団であり、それを強い抗がん剤で一気にたたきつぶそうとしても、結果として細胞集団の中に少数いる薬剤耐性のがん細胞が増えやすい環境を提供することになり、腫瘍の中に薬剤が効かないがん細胞の集団が増えて最悪の事態を招く可能性が高いといいます。
全身に広がったがん細胞を根絶させることはできないことは明らかで、強い抗がん剤治療は問題を悪化させているだけだと主張しています。
そして、腫瘍の大きさを一定に保つ(腫瘍の大きさの変動を+/-10%程度に維持する)ことを目標に抗がん剤を投与し、腫瘍を長期の膠着状態に持ち込む方がうまく行く可能性があると主張しています。
抗がん剤治療の大局的な目標は、腫瘍を安定した状態に保つことで、このことを念頭に置いて、薬剤やその投与量、投与の時期を絶えず変更する治療法(Adaptive therapy)を提唱しています。
ただし、Gatenby博士の理論が、ヒトのがんの多くに当てはまるかはまだ断定できません。
Gatenby博士の理論は、抗がん剤に耐性のある細胞は、その耐性メカニズムを維持するためにエネルギーを使っているため、自身を増殖させるためのエネルギーが不足しているために増殖速度が遅いという仮定に基づいています。がん組織における低酸素や虚血に対しても、抗がん剤耐性を維持するがん細胞の方が不利だと考えています。
したがって、抗がん剤感受性の「普通のがん細胞」を減らしすぎないことが、抗がん剤耐性のがん細胞を増やさないコツだと主張しています。
しかし、数年間かかって大きく成長する過程では、低酸素や虚血に対して強いがん細胞が生き残り、そのような抵抗性の高いがん細胞は、抗がん剤に対しても死ににくい場合が多いという意見もあります。これもダーウィンの進化論的な考えと一致します。
薬剤耐性を維持するためにエネルギーを余分に費やすことが、細胞増殖のハンディになっているというのはまだ仮定の話かもしれません。
マウスを使った棗物実験での検証では、Gatenby博士の理論を支持する結果が得られていますが、マウスの移植がんとヒトのがんでは性質も増殖条件もかなり違うことは、がんの研究者では常識になっています。
今後、ヒトのがんの抗がん剤治療での臨床試験の結果が出るまでは、まだ結論は出せないかもしれません。
がんの漢方治療においては、がんを大きくさせないことを目標に「がんとの共存」という観点から治療を行ないます。強い抗がん剤を使わなくても、漢方治療だけで、がんが安定化して延命効果が得られることも少なくありません。
体力と免疫力を高める滋養強壮薬と、抗炎症作用や抗がん作用をもった清熱解毒薬や抗がん生薬を組み合わせた漢方薬治療は、Gatenby博士の提唱するAdaptive therapyと共通するように思います。
がんの状態をみながら投与量を決めるという方法論も、体質や症状や病状に応じて処方を変えていく漢方治療と共通します。
実際に、免疫力を高める生薬と抗炎症・抗がん作用をもった生薬を組み合わせた漢方治療だけで、がんの増殖を長期間抑える症例を多く経験します。がん組織を無理に消そうとする強い抗がん剤治療よりも、がんを大きくしないようにコントロールしてがんと共存することを目指す漢方治療の方が延命効果が高い場合もあるように感じています。その理由はGatenby博士の理論で説明できるかもしれません。
病気の治療法には、原因を根絶させる方法と、病気を悪化しないようにコントロールする方法があります。
細菌やウイルスなどの病原菌による感染症の場合は、抗生物質や抗ウイルス剤によって病気の原因を根絶させることによって病気を治癒させることができます。
一方、糖尿病や高血圧や動脈硬化性疾患など慢性疾患は、病気そのものを根治させることは不可能であるため、薬によって症状が悪化しないようにコントロールする方法をとります。
抗がん剤治療は感染症に対する化学療法と同じ発想で始まり、白血病など一部の悪性腫瘍では成功しました。しかし、多くの悪性腫瘍では、むしろ慢性疾患の治療のように、全てを治そうとするのではなく、うまくコントロールして共存していこうというアプローチの方が適しているようです。つまり、がんは動脈硬化性疾患のように慢性疾患として対処する発想も必要かもしれません。
(文責:福田一典)
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