がんの予防や治療における漢方治療の存在意義を考察しています。がん治療に役立つ情報も紹介しています。
「漢方がん治療」を考える
179)低酸素・低栄養のがん細胞を死滅させる生薬成分
図:細胞で作られる蛋白質は、小胞体で修飾を受け、高次構造(折り畳み)を形成しながら成熟蛋白質となって細胞外へ搬出される。低酸素やグルコース不足が起こると、折り畳みに異常をきたした不良蛋白質が小胞体に蓄積する。これを小胞体ストレスという。がん細胞は小胞体ストレスを回避することによって、アポトーシス(細胞死)が起こらないようにしている。この小胞体ストレス応答を阻害するとがん細胞は死にやすくなる。
179)低酸素・低栄養のがん細胞を死滅させる生薬成分【低酸素・低栄養のがん細胞は抗がん剤や放射線治療が効きにくい】
正常細胞もがん細胞もエネルギー(ATP)の産生が止まれば死滅してしまいます。したがって全ての細胞は、食事から取り入れたブドウ糖や脂肪酸を分解して絶えずATPを産生しています。酸素が十分にあればミトコンドリアでのTCA回路で効率的なATP産生が行われ、酸素が無い状態では嫌気性解答系によってATPを産生することができます。
がん細胞は、栄養や酸素を多く取り込むために血管を増生しようとします(血管新生:angiogenesis)。したがって、血管の新生を阻害する薬(血管新生阻害剤)はがん細胞の増殖を抑える効果があり、がん治療に使われています。
しかし、がんの中には、血管が乏しいものも多くあります。このような血管に乏しいがんは栄養や酸素の供給が乏しいので増殖は遅いと言えます。しかし、血流が乏しいと抗がん剤も到達しにくいので抗がん剤が効きにくく、また低酸素の所には放射線が効きにくいので、抗がん剤や放射線治療で生き残り、再発の原因となることが指摘されています。
例えば、膵臓がんは抗がん剤治療が効きにくくて予後が悪いのですが、その理由の一つとして、血管が乏しいことが指摘されています。このようながん細胞では、低酸素・低栄養の状態でも死なないようにするメカニズムが存在することが明らかになっています。そのメカニズムの鍵となる分子が分子シャペロンGRP78という蛋白質です。そして、このGRP78を阻害すると、低酸素・低栄養のがん細胞が死滅することが明らかになっています。低酸素・低栄養のがん細胞を選択的に死滅させる生薬成分がいくつか報告されています。このような生薬を抗がん剤治療や放射線治療に併用すると、その抗腫瘍効果を高め、再発を抑制できる可能性があります。
【小胞体ストレスと分子シャペロン】
がん細胞は急速に増殖するため、酸素や栄養素の需要は高くなるのですが、血液の供給が追いつかない場合は、がん細胞は酸素や栄養素が不足しがちになります。しかし、がん細胞にこのような栄養飢餓の状態に対して、エネンルギー代謝を変え、栄養や酸素が不足した状態でも死なないで増殖を続けようとします。このような栄養飢餓に対する耐性のメカニズムの一つが『小胞体ストレス応答』です。この小胞体ストレス応答を阻害してやれば、がん細胞は死にやすくなります。
細胞内のリボソームで合成された蛋白質は、小胞体で修飾を受け、高次構造(折り畳み)を形成しながら成熟蛋白質となって細胞外へ搬出されます。正常な折り畳みがなされた蛋白質はゴルジ体へ送られますが、折り畳みに失敗した異常な蛋白質は小胞体にとどまります。このような正常な高次構造に折り畳まれなかった異常蛋白質が小胞体内に蓄積して、細胞への悪影響(=ストレス)が生じることを小胞体ストレス(ERストレス:Endoplasmic reticulum stress)と言います。(図参照)
小胞体ストレスは細胞の機能を妨げるため、細胞にはその障害を回避する仕組みが備わっています。この小胞体ストレスに対する細胞反応を小胞体ストレス応答 (unfold protein response: UPR) といいます。
小胞体ストレスの原因となる変性タンパク質は、遺伝子変異、ウイルス感染、炎症、有害化学物質、栄養飢餓、低酸素(虚血)などにより生じます。変性タンパク質は小胞体ストレスセンサー(IRE1alpha, ATF6, Perk など)によって感知され、小胞体ストレス応答を誘導します。小胞体ストレス応答は、蛋白質の産生量を低下させることで小胞体におけるタンパク質の折りたたみを軽減したり、分子シャペロンの量を増やすことで折りたたみ機能を向上させたり、変性タンパク質の除去効率をあげることで小胞体ストレスを取り除くよう働きます。
変性タンパク質が過剰に蓄積し、小胞体ストレスの強さが細胞の回避機能を越えると、細胞死(アポトーシス)が誘導されます。小胞体ストレスはアルツハイマー病などの神経変性疾患などさまざまな疾患の原因となると考えられています。
分子シャペロン (Molecular chaperone) とは、他の蛋白質分子が正しい折りたたみ(3次元構造)をして機能を獲得するのを助ける蛋白質の総称です。シャペロンとはフランス語で介添人のことで、社交界にデビューする若い婦人に付き添い、世話監督する人のことです。タンパク質が正常な3次構造と機能を獲得するのを助ける役割から、シャペロン(介添人)になぞらえた命名です。
分子シャペロンには多くの種類がありますが、小胞体ストレスが負荷されたときに特異的に発現が誘導される分子シャペロンの一つがGRP78です。GRP78とは78-kDa glucose-regulated proteinのことで、分子量が78000のグルコース制御性蛋白質という意味の蛋白質で、その発現量は小胞体ストレス応答 (unfold protein response: UPR)の指標となります。
【小胞体ストレス応答を阻害すると低酸素・低栄養のがん細胞は死滅する】
固形がんは生体内において低酸素・低栄養という環境に適応するための様々なストレスに対する耐性を獲得しています。その中でも小胞体 (ER) 内で分子シャペロンとして働くGRP78の発現亢進は、ストレス耐性において最も大きな役割を担っていることが明らかになっています。
すなわち、本来であれば、低酸素・低栄養の環境で、小胞体ストレスの増大によってがん細胞は死滅するのですが、がん細胞内ではGRP78の発現が亢進してERストレス応答が増強しているために死ななくなっていると考えられています。つまり、GRP78は、グルコース欠乏など細胞にストレスがかかった際に、細胞死を避けるために誘導されるたんぱく質と言えます。
したがって、GRP78の発現誘導などの小胞体ストレス応答を特異的に阻害する物質は、抗がん剤治療が困難な固形癌に対して、抗がん作用を発揮することが期待されています。また、抗がん剤の効き目(感受性)を高めることも報告されています。
以下のような報告があります。
(1)乳がんのステージII~IIIの腫瘍サンプルを分析したところ、グルコース制御性タンパク質78 (GRP78)が多く発現するがん細胞は、塩酸ドキソルビシン(アドリアマイシン)をベースにした治療に反応せず、再発しやすいことが報告されています。
塩酸ドキソルビシン治療前の127のサンプルでは、3分の2でGRP78の発現量が多く検出され、GRP78が陽性であれば、再発までの期間が短いことが示されました(ハザード比は1.78; P = 0.16)。
さらに、GRP78の濃度が高く、塩酸ドキソルビシン治療にタキサン系薬剤を追加していない場合は、再発リスクはさらに高くなっていました(ハザード比は3.00; P = 0.022)。つまり、この研究では、GRP78の発現量が多い乳がん細胞では、細胞死が回避されるため、再発の可能性が高くなることになることを示しています。(Cancer Res. 66: 7849-53,2006)
乳がんでは、GRP78の発現が高いとホルモン療法に対する感受性(効き目)が低下し、GRP78の発現を阻害するとホルモン感受性が高まることも報告されています。
その他、多くのがんでGRP78の発現が亢進しており、GRP78の発現量が多いがんは、抗がん剤が効きにくく、転移や再発しやすく、生存期間が短いことが報告されています。
(2)GRP78の発現を阻害すると、小胞体ストレスを誘導する微小管阻害剤に対する乳がん細胞の感受性を高めます。お茶に含まれるエピガロカテキンガレートはGRP78の発現を阻害して微小管阻害剤の効果を高めることが報告あれています。
タキサン系やビンブラスチンのような微小管を阻害する抗がん剤は多くのがんの治療に使用されていますが、耐性を獲得すると効果が弱くなります。
微小管阻害剤は小胞体ストレスを高めるため、GRP78発現などの小胞体ストレス応答が亢進し、そのためにがん細胞は死ににくくなって抗がん剤に抵抗性になります。緑茶成分のエピガロカテキンガレートは、GRP78の発現を阻害して、微小管阻害剤に対する乳がん細胞の感受性を高めました。小胞体ストレス応答を阻害する方法は微小管阻害剤による抗がん剤治療の効果を高めることが示されています。
(J. Cell and Mol Med. 13: 3888-3897, 2009)
(3)牛蒡子(ゴボウシ)に含まれるアルクチゲニン(arctigenin)は、がん細胞がグルコース不足の状態に耐えるために活性化されるAktという酵素の活性や、熱ショック蛋白の発現を阻止するメカニズムによって、栄養飢餓に対する耐性の獲得を阻止することが報告されています。
牛蒡子(ゴボウシ)はキク科のゴボウArctium lappa L. の果実(種子)です。牛蒡(ゴボウ)の根は食用に供されますが、種子は牛蒡子という生薬名で薬用に用いられます。
牛蒡子には解毒、解熱、消炎、排膿の作用があり、咽の痛い風邪、扁桃腺炎、化膿性の腫れ物、湿疹、麻疹、歯茎の腫れなどに応用されています。牛蒡子の配合される漢方処方には柴胡清肝湯(さいこせいかんとう)、消風散(しょうふうさん)、銀翹散(ぎんぎょうさん)などがありますが、これらは風邪や湿疹や慢性炎症やアトピー体質の治療に使われます。
牛蒡子には抗炎症作用や抗菌作用、抗腫瘍作用が報告されており、清熱解毒薬に分類されます。牛蒡子の抗炎症作用や抗腫瘍作用は、それに含まれるアルクチイン(arctiin)やアルクチゲニン(arctigenin)などのリグナン誘導体によるものと考えられています。
アルクチゲニンには様々ながんの増殖を抑制する効果があることが報告されています。がん細胞がグルコース不足の状態に耐えるために活性化されるAktという酵素を阻害することによって、栄養飢餓に対する耐性の獲得を阻止する効果があることが報告されています。
(Cancer Res. 66:1751-1757. 2006)
また、がん細胞を温熱処理したときに産生が高まってくる熱ショック蛋白の発現過程を、アルクチゲニンが抑制することが報告されています。熱ショック蛋白は文字通り熱というストレスによってつくられるタンパク質ですが、熱ショックばかりでなく他の様々な物理化学的ストレスによっても誘導されることから、ストレス蛋白質とも呼ばれています。熱ショック蛋白は傷ついた細胞を修復し、細胞をストレスから防御する作用をもっています。つまり、がん細胞を温熱療法で治療するときに、牛蒡子に含まれるアルクチゲニンは熱ショック蛋白の発現を抑えることによって、がん細胞が熱に対して耐性を獲得する過程を抑え、がん細胞の温熱療法に対する感受性を高め、死にやすくする効果があることを示しています。(Cell Stress Chaperones. 11: 154-161.2006)
膵臓がんを移植されたマウスの実験で、アルクチゲニンが生存期間を著明に延長させることが報告されています。
(ゴボウシの抗がん作用についてはこちらへ)
(4)枳実(キジツ)が、グルコース欠乏の膵臓がん細胞(PANC-1)細胞に、GRP78の活性を阻害することによって選択的な細胞傷害作用を示すことが報告されています。
435種類の生薬を探索した結果、枳実(きじつ)のメタノール抽出エキスがグルコース欠乏状態で培養した膵臓がん細胞(PANC-1)に対してアポトーシス誘導作用を示すことを報告しています。グルコースの欠乏が無い状態で培養した膵臓がん細胞に対しては、枳実エキスはアポトーシスを誘導しませんでした。作用機序としてグルコース欠乏によって誘導されるGRP78の発現を阻止する作用が示されています。すなわち、枳実に含まれる成分が、GRP78の発現を阻害することによって、グルコース欠乏状態の膵臓がん細胞に選択的にアポトーシスを誘導することが示されています。(Biosci Biotechnol Biochem, 73:2167-2171, 2009)
がんの中には動脈が乏しいのに、増殖し続けるがんもあります。たとえば、膵臓がんや胆管細胞がんなどは血管が乏しいのに、着実に増殖していきます。これは、これらのがん細胞が、栄養や酸素が不足した状態でも生存し、増殖を続けることができる性質をもっているからだと考えられます。したがって、栄養飢餓や低酸素(虚血)に対するがん細胞の耐性のメカニズムを阻害する成分を含む生薬(牛蒡子、茶、枳実など)は、このような血管に乏しいがんの増殖を抑える可能性も示唆されます。
抗がん剤治療や温熱療法や血管新生阻害剤を使うがん治療において、これらの生薬を含む漢方治療は試してみるみる価値はあるかもしれません。また、低酸素の状態でATP産生を行う嫌気性解糖系を阻害する半枝蓮(はんしれん)と併用すると、抗がん作用を増強できる可能性が示唆されます。(半枝蓮の嫌気性解糖系阻害作用については66話と69話を参照)
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