私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

オホクニの旅立ちの裳束は

2017-12-06 09:52:38 | 日記

 古事記を読んでいくと、時々、どんでもない珍しい当時の風習を知ることができます。民俗学者にはたまらない貴重な資料となっていることには間違いありません。
これからの数行に書かれている文もまたその一つではないかと思われます。当時の旅立ちの様子が次のように記しております。まず

                   “束裳立時<ヨソヒシ タタストキニ>” 

 と、「装束」ではないのです。辞書によりますと「装束」とは、特別な時に備えて身支度をする事ですが、それがここでは“束裳<ヨソヒシ>”となっております。この二つはどのような関係かは分からないのですが、兎に角、オホクニは遠い倭国まで出て行くのですから大変な身支度を整えて出発したものだと思われます。一人で出発したとも思えませんが、その辺りのことはないも説明がありませんが、もし書いてくれていてくれたなら、ものすごい古代研究の資料となるのですが・・・

 これからいよいよ倭の国に出発ししようとする時、オホクニはその妻「須勢理毘売]にわざわざ挨拶をして旅立っております。それは当時の風習うだったのでしょうが、大変珍しい別れをしていたのでしょうね。

 片方の手を馬の鞍に懸け、片足は馬の鐙に入れて別れの挨拶をしております、馬に乗ってではありません。