鈍色や翠色の服はどうも私には似合わないので、3度目にまた違う服を着ます。
”夜麻賀多爾<ヤマガタニ>麻岐斯<マキシ>阿多泥都岐<アタネズキ>”
此処にある「夜麻賀多爾<ヤマガタニ>麻岐斯<マキシ>」は「山県にまきし」ですが、これについてもまた少々横路へ
あの「仁徳天皇」に仕えていた黒姫が大后の嫉妬に恐れをなして吉備に帰ますが、その後を慕って天皇は行幸され、暫らくその地に滞在されます。1カ月かそれぐらいはいたのではと思いますが、その間に黒姫と一緒に生活をなされるのですが、その中にも
“夜麻賀多邇<ヤマガタニ>」麻礽流<マケル>阿袁那母<アオナモ>”
とあります。
普通なら、この「マキシ」と「マケル」は同じで、「蒔く」だと思われますが、宣長は、「マキシ」は「蒔きし」ではなく、「求(まぎ)し」だと。一方で「黒姫」の方の「マケル」は「蒔ける」だと説明があります。がどうでしょうかね???どうして、このように使い分けをわざわざ宣長はしたのでしょうか。
それについて私は次のように推量していますが、どうでしょうか。
この「マキシ」ものは「アタネズキ」です。これは「茜」の事で、種を植えて出来る野菜「菘<アオナ>」ではなく、自然に生えている茜ですから、それを「瀬須理毘売」と一緒に仲良く捜しに行って採ってきたと言う意味を表しているので、「求し」だと言っているのではないでしょうか?????????