ミカンか何かの種が庭にぽつんと芽を出しました。もう50年も前のことです。近所に立派な柚の木があり、毎年たわわにあの黄色の実を付けています。どうしてもその柚の実をこの小さなん木に受けさせてみたいと考え、早速、本屋で継ぎ木の仕方の本を求めました。その本に従って生まれて初めての接ぎ木とやらを試みました。運よくどうにかその接ぎ木が成長して、若芽が芽を吹きました。其の木が何年たったころからでしょうか??もう10年近くはたっていた頃ではないかと思うのですが。何とかは忘れた頃に・・と云う言葉の通り、ある年に数個の柚の実が、それも真黄色な実を付けます。それ以来もう4,50年は経過していると思うのですが未だに毎年たわわに実を付けております。それを毎年、今年もです。採ってきて。冬至の日の柚湯にしております。今年もその実を4つばかり湯船に入れて、私の冬至の楽しみにしました。
オホクニがスセリヒメに声高らかに歌い上げたのは
“許遠婆<コヲバ>”です。
色々と申し上げて来ましたが、私が言いたいのは「以上です。」と云い終っています。このたった「コヲバ」という3字の言葉は古事記の中で、他に沢山の歌がありますが、此処で歌われたのが最後です。オホクニの対沼河比売とこの対須勢理毘売戸の歌のやり取りの時しか使われていません。この3字の言葉はオホクニの女性に対する敬愛の情の細やかさが表れているのではないかと想像しておりますが???
さて、これだけ嫉妬心の強い妻に渾身をこめてオホクニは愛を歌いあげています。それに対する須勢理毘売は歌って答えます。