オホクニが、妻の嫉妬のため、出雲から逃げ出そうとしたのです。その妻に知られないように、こっそりと出て行くのが当たり前だと思うのですが、どうしてか分からないのですが、オホクニはその出発に先立って、須瀬理毘売に歌を歌って出発されようとします。「手を馬の鞍に宛てがい片足を鐙に掛けて。」と説明があります。完全に馬に乗ってからではないのです、将に、これから馬に乗ろうとしてからです。どうして、こんな時に、妻に向って偉そうに悠然と歌など歌ったのでしょうかね???オホクニの心は、此の時は、この美しい妻である毘売に、まだまだ、十分に愛着を感じていて、出来ることならそのんな倭国等には行きたくなかったのではないかと、それくらいこの美しい毘売を愛していたのだろうと想像がつきます。何か出発の挨拶をすれば、きっと妻はその嫉妬心を和らげ、もう少し私の立場を考えてくれるようになるのではと、大いに期待を込めて、わざと歌ったのではないでしょうかね???でも、この歌があったために、当時の旅の装束の一端を伺い知ることが出来き、風俗歴史を研究する者を喜ばす一文になったのです。
さて、その歌ですが、まず最初に、
“久路岐 美祁斯遠<クロキ ミケシヲ>”
とあります。
これは「黒き御衣」で「黒色の服を着て」と云う意味です。なお、この「黒き御衣」ですが、当時も、黒い衣裳は喪服で、大変縁起が悪い着物であり、普通だったら旅立ちの時には、そのような服装をしないのが当たり前でした。
これについて、宣長は「此処で言う黒は、鼠色か鈍色みたいな色だ」と、説明があります。そのような服を
“麻都夫佐爾 登理與曾比<マツブサニ トリヨソヒ>”
です。「ま具(つぶさ)に 取り装(よそ)ひ」、「私は落度なく立派に旅装束を整えております」と云う意味です。