私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

また「いじめ」で尊い命が。

2017-12-24 10:15:06 | 日記

 あなたは、屹度、物陰で私と別れたことを、あの山蔭に行って、そこに生えている「一本薄」の下辺りで、歎き悲しみ、啜り泣き、その涙は、たちまちに、朝霧になって、これから行く我が道を覆い隠してしまうでしょう。そのような

                   “和加久佐能<ワカクサノ>”

 若草のようななよなよしい「我妻よ」と、訴えかけているのです。

 どうです。それほどまでに私の事を深く愛してくれていたのかと云う思いは、スセリヒメでなくとも大いに感激して、その言葉一つ一つづつまでもで聞き洩ららさないようにしっかりと聞き、歓びの心が一杯に生まれることは洋の東西を問わず時代を超越して、人に与えられた神からの贈り物だと思われま。

 このように人が発する言葉は、美しかろうが何であろうが、その時々の人の心の深く入りこんで、何んらかの精神作用を起こさせる原因になるのは確かです。ある言葉は、人に生きる勇気を、また、その反対の言葉は生きる力を剥ぎ取る恐ろしい力に変えさせる力となることがるのです。

 またまた、今朝の新聞紙の一面に、「中2自殺」の記字です。どうしてこんなにも繰り返し繰り返し「いじめ」による自殺が起るのでしょうかね。ここでも言葉がその仲立ちをしていたようです。このオホクニがその妻スセルヒメに与えた言葉のように、積極的にこれからを生きる歓びを与えるようなやわらかな言葉でなく、生きる希望を失なわさせる「どぎつい???」言葉を平気で使い、相手を傷つけることができるのでしょうか。相手を死に至らせるのではと云う考えがなかったのでしょうかね。学校です。それがあってもなくてもその予防対策を、真剣にしかも真面目に講じられていなくてはならないはずです。それなのに、今回の事件でもも分かるように学校の対応の遅れがあったことには間違いありません。どうしても、学校側の責任は免れないと思われます。学校の責任は当然のことです。
 「なぜこの事件は起こったのか」
 その学校の指導の実態を細かく分析してみる必要があると思われます。今までにしていなくてはならないことがそのままに済まされているのが実態ではないでしょうか。それが是非知りたいものです。
 それにしても、もこうも沢山の命を奪うまでの心ない言葉が平気で生まれるのでしょうかね????そこらあたりも何か政治家辺りの言動にも見られるのではないでしょうかね。、まさか、貴之岩の今回の大相撲の影響ではないでしょうが、人を傷つけておいて、それが自分の生存権を確かなものにするとでも思って暮らしているのではないでしょうか。