「あなたは、私が倭に行っても、決して、泣かないと、今は強がって云うかも知れませんが、私の姿が此処から”伊那婆<イナバ>”去ってしまったならば」
と更に呼びかけます。余程、スサリヒメを愛していたのですね。その嘆き悲しむ様子まで歌にして妻によびかけているのです。
人里離れた山の中で一つ、ぽつんと突っ立って、風に揺られながら恨めしそうに咲いているあの“須須岐<ススキ>”「薄」のように
“宇那加夫斯<ウナカブシ>”
頭を下に傾けて悲しそうに
“那賀 那加佐麻久<ナガ ナカサマク>
泣くに決まっている。さらに・・・・。
そう須勢理毘売に歌いかけます。どうですこの辺りのオホクニの心境は????
なお、この”麻久<マク>”ですが、例によって宣長によると、
「麻久は牟<ム>と同意にて、麻志<マシ>で、下に語を続けて云う時に使われる言葉だ」と説明があります。