この後、古事記には、どうしてこのようなことがわざわざ書かれているのかと、いぶかしがるようなことが長々と記されておりますがそれは省略し、前に一度「吉備の美女」と題して書いてはいますが、応神天皇と吉備との関係が「日本書紀」にだけに記されておりますのでそちらをのぞいてみます。
応神天皇の二十二年の春三月十四日ことです。春爛漫の桜の満開の今とちょうど同じころです。天皇は難波の大隅の宮に居られます。高台に登って辺りの桜の風景でもご見学になられたのでしょうか???傍には愛妃の兄媛<エヒメ>が侍っております。その時です。何となく兄媛を見られたのでしょうか、
“時妃兄媛待之 望西以大嘆”
妃の兄媛が西の方を望みていたく嘆き悲しんでおりました。大変な美貌の妃です。その妃の大いに嘆き悲しむ顔を見て応神もいたく心を悩ませます。
"何爾嘆之甚也”
<ナンゾハ イマシガ ナゲクコトノ イタキ>
「どうしてそのようにあなたは嘆いておるのですか}
と尋ねます。美人の嘆き悲しむ憂いの顔は、何時の世にあっても、男性をしてその心に憂いを募らせるものだそうです。その例に応神も漏れなかったのでしょうか。それくらい兄媛の美貌だったということがこの言葉から知ることができるのです。
応神天皇の二十二年の春三月十四日ことです。春爛漫の桜の満開の今とちょうど同じころです。天皇は難波の大隅の宮に居られます。高台に登って辺りの桜の風景でもご見学になられたのでしょうか???傍には愛妃の兄媛<エヒメ>が侍っております。その時です。何となく兄媛を見られたのでしょうか、
“時妃兄媛待之 望西以大嘆”
妃の兄媛が西の方を望みていたく嘆き悲しんでおりました。大変な美貌の妃です。その妃の大いに嘆き悲しむ顔を見て応神もいたく心を悩ませます。
"何爾嘆之甚也”
<ナンゾハ イマシガ ナゲクコトノ イタキ>
「どうしてそのようにあなたは嘆いておるのですか}
と尋ねます。美人の嘆き悲しむ憂いの顔は、何時の世にあっても、男性をしてその心に憂いを募らせるものだそうです。その例に応神も漏れなかったのでしょうか。それくらい兄媛の美貌だったということがこの言葉から知ることができるのです。