私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

心ここにあらず。ただ兄媛のみ・・・・

2020-04-15 10:34:57 | 日記
 秋九月に “淡路島に狩りしたまひき”、それからのことを、書紀には、次のように記しております。

          “天皇 更自淡路転以幸吉備 遊于小豆島”

どう読むのでしょうか??
 「淡路島よりして転<ウツ>りて吉備に幸<イデマ>して 小豆島に遊<ミカリ>したまひき」
 と教科書には書かれております。これなら淡路島から吉備に行って、それから小豆島に行ったと読めるのですが???この私の読みは間違っているのでしょうか???
 本当は、どうしたわけか分からないのですが、これでは順序が逆になっているのではと思えます。本当は淡路島から小豆島へ渡り、最後に兄媛のいる吉備へが順路ではないかと思えますが・・・

 「そげえな こんめえこたあ どうでのえんじゃあ。」 要は、応神が一日でも早く兄媛に逢いたくて、でも、そんな心を皇后や代わり周りに仕えている人たちに代わりの知られたくないと思って、このような書き方にしたのではと推測していますが??古代の男性が特定の女性を恋しいと思う心は、その男性にとっては大変卑しい恥ずべきことだったのでしょうかね???
 あの忠見の
    “恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか”
 の心か???
 まあ兎も角、応神の心は早も吉備にあったことでしょう。心にあるのは兄媛だけです。小豆島も吉備もあったものではありません。そのようなはやる心がこのような表現になったのではとも考えられるのですが、どうでしょうかね???