私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「葉田葦守宮は高松城の近くにあったのでは???

2020-04-19 11:46:43 | 日記
いよいよ吉備に到着くします。そこが

             “葉田葦守宮”

 です、<ハダノアシモリノミヤ>です。
 「葉田」とは、<ハダ>、即ち、「秦」です。中国の秦が滅びて(BC206年)から多くの難民が我が国にやってきますが、それらの人々を多く受け入れた場所の一つに吉備の国があります。吉備にはそれを象徴する<ハタ>と呼ばれる場所が沢山あります。
 総社市秦を始め、岡山市幡多もそうです。その他に<ハタ>から派生したと考えられる「半田」「土田」「大多羅」など沢山の地名が残っており、それぞれの場所には弥生の高度な青銅器などの文明を持つ人々が暮らしただろう遺跡が沢山見られます。
 
   

 などです。これは岡山市高松地区にある高塚遺跡から出土したものです。この高塚遺跡の付近に「高松下土田<ツチダ>」という地名がありますが、応神の時代にはこの辺りが足守川の河口で、この近くに「吉備津」があり、日本書紀に書かれている「葉田葦守宮」というのはどうもこの付近ではないでしょうか。尚、「葦守」は、現在の「岡山市足守」だという人もいますが、地形的に見て、どうも、まだ、その遺跡は発見されてはいないのですが、私はそのように推定しております。