「白水郎子紀行」???
なんと読むのでしょうかね。調べてみると
<アマノコノシルベ>
と読むのだそうです。ちょっとした変人のようなお人というか「我こそが!!!」という鼻柱の随分と高いお人だとも言い伝えられておるのだそうです???
この人の江戸の初期の「旅日記」です。
吉備津神社に詣でています。
「この社は人皇第七代皇霊天皇第三皇子、吉備津彦の命・・・十二代の帝仁徳の草創にして、五社の神を殿建給ふ。本宮は孝霊天皇。内宮は開化天皇、新宮は垂神天皇、吉備津媛の岩山の神社、本殿は吉備津彦命・・・・」
と。
この五社のうち内宮・新宮・岩山の神社に祀られている神の名前が今一般に言い伝えられている神の名前とは異なっています。ちなみに、今は普通「内宮」は吉備津彦の妃"百田弓矢比売命、「新宮」は吉備武彦命、「岩山神社」は建日方別をお祀りしているといわれているのですが??
どこからこの違いが出てきたのでしょうかね???
多分、岡西惟中は、その時の吉備津神社の社司に案内されて吉備津神社を見学していますので、その人から聞いたのでしょうからその時代はそのように信じられていたのでしょうかね??_
これも吉備津神社の不思議なものの一つです。
あまり面白くも何でもないことですが、これも吉備津神社に伝わる昔物語の一つですので書いておきました。よかったら読んでみてくださいね。
なんと読むのでしょうかね。調べてみると
<アマノコノシルベ>
と読むのだそうです。ちょっとした変人のようなお人というか「我こそが!!!」という鼻柱の随分と高いお人だとも言い伝えられておるのだそうです???
この人の江戸の初期の「旅日記」です。
吉備津神社に詣でています。
「この社は人皇第七代皇霊天皇第三皇子、吉備津彦の命・・・十二代の帝仁徳の草創にして、五社の神を殿建給ふ。本宮は孝霊天皇。内宮は開化天皇、新宮は垂神天皇、吉備津媛の岩山の神社、本殿は吉備津彦命・・・・」
と。
この五社のうち内宮・新宮・岩山の神社に祀られている神の名前が今一般に言い伝えられている神の名前とは異なっています。ちなみに、今は普通「内宮」は吉備津彦の妃"百田弓矢比売命、「新宮」は吉備武彦命、「岩山神社」は建日方別をお祀りしているといわれているのですが??
どこからこの違いが出てきたのでしょうかね???
多分、岡西惟中は、その時の吉備津神社の社司に案内されて吉備津神社を見学していますので、その人から聞いたのでしょうからその時代はそのように信じられていたのでしょうかね??_
これも吉備津神社の不思議なものの一つです。
あまり面白くも何でもないことですが、これも吉備津神社に伝わる昔物語の一つですので書いておきました。よかったら読んでみてくださいね。