私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

こうして、今、私は美しいあなたに・・・

2020-02-19 12:01:30 | 日記
      「 宇多陀気邇<ウタダケニ>」
 ジンムはその思いを大きな声で目の前の乙女に真剣に歌いかけます。この意味ですが、これもまた先生にです。曰く

  “このような盛大なる宴会が催され、宴会が盛り上がった将にその時”

と。「うた」は「宴<ウタゲ>」で、「たけなわになる」で、「宴会がいよいよ進んで盛りになる」という意味だと!!!!!
 そんな時に
     
          “牟迦比袁流迦母。伊蘇比袁流迦母<ムカヒヲルカモ。イソヒヲルカモ>”

 「あなたと向かい合ことよ。寄り添うようにしていることよ。大変うれしいことでですよ。」という意味です。

 以上が、ジンムが近淡海国に旅の途中で出会った美しい乙女「矢河枝比売<ヤカハエヒメ>」に求婚するときに歌ったうたです。何回かに分けて細切れにして説明したのでおわかりにくかったと思われますので、明日はこれを通して書いてみます。
 



「あなたが好きです。」と単刀直入に言えばいいものを????

2020-02-17 09:55:42 | 日記
 応神はその美しい近淡海<アフミ>の乙女に対して
 「あなたは大変美しいお方です。是非、私の妻になってください。」
 と単刀直入に言えばいいものを、上代の男性は、女性に対して愛の思いを告げるには、まず、歌を歌って相手に伝えるのが礼儀だったのでしょうか、この場合にも、長々と口に出して即興でその思いを歌にして相手に伝えております。
 歌が歌えない男性は女性には、決して、もてないのです。。鉄幹ではないのですが、「妻をめとらば才長けて・・」の大変な教養の持ち主でなくてはだめなのでした。その証明がこのジンムの歌に表れているのです。「よくもここまで」と思うほどの、これでもか、これでもか、というぐらい、ああでもない、こうでもない、とあまりその女性の美しさとは関係ないようなことを歌に読み込んで、その思いを口にしながら、これだけ深くあなたのことを思っているのですよ、と歌にして訴えかけています。

 それがこの時のジンムの歌です。果して何のために歌っているのかわからないような「姿勢がどうの、歯がどうの、黛がどうの」と前歌がしきりと続きます。そして、その歌もほとんど終わってやっと本音が口からほとばしります。それが

          ”迦母賀登・・・・・迦久母賀登・・・・・”

です。<カモガト・・・カクモガト・・>。「とにも・・・かくにも・・・」「どうこういっても、とにかく」です。
 
 それからままたもや難解語句が並びます。それが

   “宇多陀気邇<ウタダケニ>”  

 です。さて、これをあなたならどう解釈されますか???        
  






今日も新聞記事から・・・越中舟橋とは

2020-02-15 10:32:56 | 日記
 わたしは幾度となく自慢話を書いていますが、今日も又です。まずはこの写真を

   

 今朝の朝日新聞の「耕論」の中に富山県舟橋村長の話が出ていましたが、誰も「舟橋」なんて字に目を留めないのが普通ですが、私には大変懐かしい感じのする「舟橋」です。
 私は享和年間に出版された渕上旭江の「北陸奇勝」という大変珍しい本を持っておりますが、その中にこの「舟橋」の絵が出ています。私の住む所にも「舟橋」という地名が残っており(高松城水攻めの付近)なんだか全くの赤の他人とは思えず、その村長さんということで目に留まり、読ませていただきました。この人の土地に対する愛着の深さをしみじみと感じながら、舟橋という地名と一緒になって地方の政治とはとも、改めて考えさせ頂きました。
 彼の言葉である

“面積3.47平方キロメートルの日本一小さな村です。私はこの村で生まれ、細い農道に至るまで自転車で走ったことのがない道はありません。”

 に、いたく心を寄せながら、書かれているまだ見ぬ舟橋を、この旭江の絵と比べながら、思い馳せております。

 このような何の変哲もないようなものばかりにしきりと目が行き、しがない一日をどうにか暮らしておる、どうしようもない老人のひとりごとです。お笑い下さい。

眉の美しさにぞっこんの・・・

2020-02-14 10:39:37 | 日記
 ジンムは、余程、矢河枝比売の眉の美しさに見とれたのでしょうか、更に続けて

      “美都具理能 曾能那迦都邇袁 加夫都久 麻肥邇波阿弖受”

と高らかに詠うのです。
     <ミツグリノ ソノナカツニヲ カブツク マヒニハアテズ>
 丁度、栗の実のように真中の実のような赤らけくもなく、それかといってニグロ、即ち、焦げ茶色でもなく何とも言えなない美しい眉が、「カブツク」額に引っ付くように長く伸びてです。ここまでは何となく解釈できるのですが、次の<マヒニハアテズ>ですが、これもまたまた、何のことやらさっぱりです。これを先生は、「マヒ」カンカン照りの太陽の日だと。「そんな激しい日の光ではなく、和やかなる日に乾かして」という意味になるとあります。
 ここまでが、次を歌うための序なのだとか。

 まあ、それはそうとして、まことに読みずらい歌です。こんな歌をじっと聞いている女性も、お酒を注ごうにもそのタイミングがなく、じっとその場にいなくてはなりませんもの、大変だったのではないかと想像できます。

 その時の天皇とそれを聞いている比売達の顔付きをご想像しながらお読みいただくと、大変面白いと思われますが?????

さて、”波都邇波 波陀阿可良気美。・・・”を

2020-02-12 09:39:04 | 日記
 ジンムは目の前の「乙女」にか、それとも「大御饗<オホミアエ>」にか、大いに気をよくして歌うのです。

 なお、この時代には、あの源氏物語にあるようなまことに優美なる男女のやり取りは、まだ、日本の文化の中にはなかったのです。まだ文字がなかったのですから、するとどうしても、当時は男女の間に生じる落花流水の恋慕の情は言葉なくしては相手の心の奥深くにまで伝わることができなかったのです。そのための手段が「歌」であったのです。それ故、古事記の記述にもその各所にほとんど歌が挿入と言いましょうか詠われているのです。そう考えると、「声よき人」が、日本の上代社会では、一番女性に持てた時代なのです。

 さて、それはそうとして、ジンムは声よき人だったのでしょう、更に、歌います。

       “波都邇波 波陀阿可良気美。志波邇波 邇具漏岐由恵”
      <ハツニハ ハダアカラケミ シハニハ ニグロキユエ>

 何のことかさっぱりこれも分かりません。そこでまた先生です。
 <ハツニハ>は「初土は」堀初めの上部の土です。<ハダアカラケミ>は「膚(はだ)が赤らけみ」で、色が赤っぽい、いささか赤みを帯びているという意味です。眉墨ですから本来は黒色ですが、その黒色も真っ黒でなく赤みが若干混ざった色だという意味です。
 次の<シハニハ>ですが、<シハ>は「終わり」で、12月のことを<シハス>というのと同じだとあり、「最後に掘り挙げた土は」です。その色が<ニグロ>です。茶系統の黒っぽい色をしているといういみです。戦前などにインド人「ニグロのkuronbo」と呼んでいましたが・・
 「あなたのその眉の赤からず黒からずの大変美しいことよ。」
 と、褒めちぎります。
 最初に、その持つ歯の美しさ、次には眉の色の美しさ。それだけではジンムは終わってはいません。次なる歌が、続いて、口からほとばしり飛び出します。

        “美都具理能 曾能那迦都邇袁 加夫都久 麻肥邇波阿弖受”