―本物の愛情に支えられて―
■父のなみだ
大阪大学で「教育方法学」の授業をさせてもらっています。「いじめ問題」を取り上げた時のことでした。学生たちのいじめにかかわる体験や意見を書いてもらったのです。いじめを受けて辛かった体験を心を開いて書いてくれた学生が何人もいました。
今だからこそ書けるようになったんだね、本当によく書いてくれました。よく乗り越えてきたなあと胸がキュッとなりました。
ある女学生の体験です。
◇ ◆ ◇
両親の仕事の都合で中学校を転校しました。その半年間は、私にとって一生忘れられない体験になった。人生の中で初めて「いじめ」というものを味わったからです。
毎日のように「死ぬ」ことを考えました。毎日のようにたくさんの涙を流しました。毎日のように、教科書やいろんな物をこわされ、捨てられ、汚されました。
仕事がかなり大変そうな両親に相談することもできなかった。
髪の毛を切られ、制服の上にペンキで落書きされ、男の子や女の子たちに囲まれてなぐられました。先生も見て見ぬふりをしていた。
両親が私の顔を見て初めて「いじめられている」ことに気づいたのです。
父親は泣きました。生まれてから初めて見た父親の涙、死ぬほど辛かった。
その時に、父親のためにも強くなろうと心に決めました。それからもいっぱい辛いことがあったが、私は一度もにげず、いじめに立ち向かった。そして、今は大切な友達ができ幸せな毎日を送っています。
■母は仕事を休み
もう一人の女学生の体験。
◇ ◆ ◇
私は中学二年生のときにいじめを受けました。始めはクラスの男子から広がっていくと、全クラス(男子)に「きもい」「死ね」「ブス」と言われ続けてきました。
毎日、学校が辛かった。ほんとうにつらかった。席替えとかグループ活動とかが大嫌いだった。
九月の席替えの日、どうしても学校に行きたくなくて、母に「学校に行きたくない」と初めて言った。
母は「よかよ、どがんしたね(いいよ、どうしたの)」と優しく言ってくれました。そのとたん、涙がとめどなく溢れて、一日かけて全てを母に話しました。母は仕事を休んで話を聴いてくれたのです。
そしたら、母が「そがん人には言わせとき、あなたは上から見てたらよかと。だって、あんたはそがん悪口言われる子じゃなかもん。とっても、いい子やもん」と言ってくれました。
その言葉を聞いた次の日から、不思議なことに以前より楽に生きれるようになったのです。
でも、いじめはなくならず、私は、私が変わらんと学校が嫌いなまま中学校が終わってしまうと思って、中三になってからはずっと笑顔で過ごすようにしました。
始めは正直言って、うその笑顔だったけど、それで友達が増えてきたら、ほんとうの笑顔になりました。
他のクラスの男子からはまだいじめられていましたが、そういう時には私と同じクラスの男子たちが「やめろよ、こいついいやつだよ」と言ってくれました。だからへっちゃらでした。お母さんと三年一組のみんなのおかげ!
ああ、ほんとうによく越えてきたよねえ、生まれて初めて見たお父さんの涙や、一日仕事を休んで心から話を聴いてくださったお母さんの、それこそ本物の愛情に支えられて「死にたい」ほどのいじめを乗り越えてきたのです。
私は、その親御さんにたよりをしたためました。「先生、母も喜びます」と美しい笑顔の娘でした。
(とさ・いくこ 中泉尾小学校教育専門員・大阪大学講師)