講師をしている大学で、受講生の男子学生が「先生に聞いてほしい話がある」と言ってきたのです。昼食でも一緒にとりながら話そうか、と声をかけました。恥ずかしそうに、ためらいながら、とつとつと胸の中から言葉を吐き出すように語り始めました。
いじめを受けて苦しんできたのです。いえ、辛かったのに加害者にもなってきた、と言います。そんな自分が許せなくて「ぼくなんかに、先生になる資格はあるでしょうか…」と。誠実な学生でした。
翌日、便りが届きました。
「今日は、いろいろと話を聞いてくださり、本当にありがとうございました。いじめの話は、今まで誰にも話したこともなかったですし、話すことができずにいました。というのも、いろいろされてきたことが本当に嫌だったことと、自分が今度は加害者になって、みんなと一緒になっていじめてしまったことに対するうしろめたさ、恥ずかしさから言い出せなかったのです。しかし、言い出せないが故に、とても辛くもありました。
誰かに言いたかった、誰かに相談したかったです。
ずっとそのことで悩み続けていたとき、先生と出会いました。先生の講義を聞いていると、子どもたちと向き合い、悩み、葛藤しながらやってこられたということが、ひしひしと伝わってきて、自分が素直になれました。
そして、今日時間をとって話を聞いていただけて、とても楽になりました。話を聞いてもらえるだけで、気持ちが楽になると言いますが、本当に楽になりました。
先生がかけてくださった言葉の一つひとつがとても優しくて心に残っています。先生が言われた通り、ぼくは一種のストレスの発散対象だったのかもしれません。
小学校の頃、無視や悪口ですんでいたのが、中学校になってもっとひどくなりました。物を隠され、水をかけられ、制服のセーターが黒板消しではたかれ汚されたりもしました、真っ白になるまで…。その時は言葉を失いました。親がこれ見たら何て思うやろ…と思うと、なんとも言えない気持ちになったのを昨日のことのように覚えています。…(中略)…この三年間ほど辛いものはなかったと思います。学校へ行く足が重く、学校へ行くのが本当に辛かったです。保健室へ仮病をつかって逃げ込みましたが、親にバレて叱られ、ぼくの逃げ場はなくなってしまいました。
なのに、いじめの対象がぼくじゃなくなった時、ぼくもいじめに混ざってしまったことを今すごく後悔していて、こんなぼくは教師になる資格があるのか、いえ、なったとしても何と子どもたちに言えばいいのか…とずっと悩んできました。
しかし、今日、先生が「そういうことを悩んできたことが誠実だ、その経験はきっと役に立ち、あなたを先生にしてくれる」と言ってもらえて胸のつっかえが取れました。
ぼくは、すばらしい教師にはなれないかもしれません。しかし、先生のように生徒と向き合い、生徒をしっかりみて、一緒に悩んであげられる教師になりたいです。
今日話を聞いていただき、ぼくはこのままでいいんだと思えましたし、自分をもっと大切にしたいと思いました。本当に助けていただきました…」
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本当に誠実に生きている青年です。昼食を食べながら話を聴き、少しばかり声をかけただけなのに「助けてもらえた」「自分を大切にしたい」と言ってくれるのです。
しかし今、子どもたちも青年たちも、「心から話を聴いて」ということを切実に願っているのだと改めて実感したことでした。
こんな青年が未来の教育に夢をみて、いい教師になりたいと学んでいるのです。退職後のバトンを安心して手渡せるなあと思ったことでした。
(とさ・いくこ 中泉尾小学校教育専門員・大阪大学講師)