学生たちに「なぜ先生になろうと思ったの」と尋ねると、多くの学生が、あこがれの先生を持っていたと言うのです。教師という仕事のこわさと同時に、すばらしさも改めて感じています。
■心豊かな教室づくり
一番心に残っている先生は、六年生の男の担任です。教室に昔ながらのおもちゃを置いてくれました。他にも先生が持って来た熱帯魚も飼っていました。私の地域は農家が多いので、生徒がよく家から花を持って来て、教室に飾ってありました。なんだか豊かな教室でした。その先生は「なんでもノート」を作ってくれ、毎日自由にいろんな事を書いて提出しました。日記や手紙なんかも書いたので、悩み事をきいてほしいとうちあけられもしました。私が教師になった時、めざす学級、めざす先生だとはっきり言えます。
■輪ゴム鉄砲を誉められ
五年の時に、僕自身学級崩壊の原因の一人になり、授業も全く出ていませんでした。授業中、気に入らないことがあれば、急に友人と教室を飛び出し、それを追いかけてくる先生から逃げるといった日々でした。
ある時、僕は「輪ゴム鉄砲」を作ったのですが、担任はそれを見ると誉めもせず「危ない」の一点張りで、取り上げられました。 ところが、六年の先生は「お前、これ自分で作ったんか、よう考えて作ったなあ!僕にも教えてくれよ!今度大学へ講義をしに行くからとびきりいいのを作ってくれ」と言ってくれました。僕はうれしくてうれしくてたまりませんでした。少しでも視点を変えれば、見えてくるところが違うように思います。この先生のおかげで、僕は、教師をめざすようになりました。
■母のように仲間のように
この先生のおかげで今の自分の充実した人生があると言っても過言ではない先生、その人は、小学三年から六年生までの4年間、音楽を教えてくださった人です。私は、人付き合いが苦手で、友達もおらず、ずっと一人でした。生きている意味がわからなくなっていた時もありました。そんな私に先生は、合唱をしてみないかと声を掛けてくださり、私に歌うことの楽しさを身体で教えてくださり、私に生きがいを与えてくださったのです。その先生は、時には母親のように、いや母親以上に優しく接してくださり、厳しくちゃんと叱ってもくださいます。時には仲間のように一つの音楽を創り上げるために一緒に同じ視線に立ってくださるのです。この先生のような先生になりたいと思い、教職課程をとりました。
■自主性を後押し
高校二年生の時の社会科の先生、生徒の自主性を大切にし、現代社会の授業では、グループに分かれて政治、産業技術、文化を調査考察し、学年全体の前で発表するという活動をしました。この先生は、生徒自らの課題意識から学習を深めさせるやり方で、それは自分にとって大きな経験になりました。学校行事では、文化祭、修学旅行、フィリピンラサール高校との交流の運営や実行に自分がかかわる中で、生徒が主役になれるような活動を創るために様々なバックアップをしてくださったのです。加えて、現代史の授業は、核兵器の問題、十五年戦争の歴史、労働問題などを学んでいく中で、自分の思想形成に大きな影響をうけました。
■本気で怒られて
中学一年の時、いじめをして怒られた。その時に人を見下すことの意味、両面的に相手をとらえること、人として生きることなど、道徳的な面で怒られた。そのことによって、自分が嫌いな相手とは無理にかかわらず、気にせず過ごすことを学んだ。自分は、儒教が好きで、今もいろいろなことを学んでいる。あの先生の説教から今の勉強につながっている。
私も、小学校四年生の時の先生にあこがれたのです。美しい字を書き、本の楽しさ、絵のおもしろさを教わりました。仲良し四人組で先生宅を訪問もしました。その時、私たちを一人前として扱ってくださって、はっとするほど感動したのを鮮明に覚えています。結婚式にはふるさと徳島から大阪まで来て出席してくださったのです。
きびしい教育現場ですが、教師という仕事は、やはりかけがえのない仕事なのです。
(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)