昨日は地元連合自治会の市民体育祭。今年は各競技の準備係要員としての参加となった。
7時、朝の冷え込みの残る中、第5中学校グラウンドに集合した。開会の時間にはかなり暖かくなり、さらに日中は日差しが強くなり日焼けしてしまうほどに。準備係は結構忙しく予想以上にたいへんな仕事で、終了後はぐったりと疲れてしまい、夕べは早めに就寝となった。
ところでその開会式だが、この市民体育祭でも何年も前から、司会者が君が代が流れる中、日の丸掲揚に向かうように呼びかけるようになった。私は日の丸も君が代もイヤなので、昨日は係りのテント脇で平均台に腰掛けながらやり過ごしていたが、大方の人はキチンと掲揚台に向かっていた。
おそらくそうする人たちは何も考えることなく、司会者の言葉に促されてただ日の丸掲揚を眺めていただけなのだろう。そう、何も考えない、言われるからそうするだけ、みんながそうするから同じようにするだけ…といった感じだ。
でも、そうやってかつての日本は戦争に突入していった。しかしその背景には今とは大きな違いがあった。それは国民の自由がなかった時代だったということだ。しかし現在、私たちの自由は日本国憲法で保障されている。保障されているといってもそれは常なるたたかいで勝ちとっていかないとすぐに壊されるようなものだけども、一応は保障されている。
今はかつての時代のように、自己の意志に反する強制と束縛からは自由な存在なのに、どうして人々は再び日の丸・君が代を崇める行動に参加していくのだろうか…。
市民体育祭には日の丸の旗以外にも市民の健康を謳った旗が掲げられる。これだけでいいじゃないかと思う。市民体育祭の目的は親睦、世代間交流、健康増進と実行委員長も挨拶されていた。このどこに日の丸・君が代が必要なのかと思う。
ところでこの市民体育祭、自治会行事とはいえ、会場は吹田市立第5中学校のグラウンドを借りて行われ、多くの先生たちや中学生にも協力していただいている。そして学校現場はあの橋下知事・大阪維新の会が強行した日の丸・君が代条例の現場であり、今、争点となっている教育基本条例の現場にもなる場所だ。
市民体育祭に参加していた中学の先生たちはいかなる気持と姿勢でこの開会式に臨んだのだろうか。主催者にそのことを気にしてくれる人はいたのだろうか?
日の丸・君が代強制と直結する教育基本条例に対する議論が大阪の教職員や父母の間で広がりつつあるが、しかし、このようにおそらく少なくない地域で多くの市民が参加する市民体育祭会場で日の丸・君が代が何の疑問も抱かれることなくスイスイと崇められる状況が出来ているということに対してこれからどのように向き合えばいいのだろうか。