昨日は午後から阿倍野市民学習センターで行われた「慰安婦」問題に関する映画と講演の集い(大阪AALA主催)に参加した。
映画は『ガイサンシー(蓋山西)とその姉妹たち』(班忠義監督)。日本軍が中国山西省の進圭村という貧しい村で地元の1人の若き女性と幾人かの幼き少女たちに対して行った性暴力について、取材し告発したドキュメントである。
「ガイサンシー」とは山西省一の美人を意味する言葉で彼女の本名は侯冬娥(コウトウガ)という。「ガイサンシー」は日本兵たちの要求に対して幾度となく年下の少女たちを身を挺して守ろうとした。そして後に村人たちは容姿だけではない彼女の生きざまをそう呼ぶようになったという。監督は10年間にわたって取材を行い、今なお苦しみ続ける被害者たちに、日本兵たちに強いられた恐怖の体験を語ってもらった。
戦後半世紀以上にわたって差別や貧困、病気に苦しみ続け、誰にも語ることのなかった過去と初めて向き合い語るその言葉はずっしりと重い問いかけである。一方、いまは好好爺となった加害者のはずの元日本兵がインタビューに答えるその内容のなんと軽いことであったか。
映画について詳しいことはコチラから
講演は、長年国会の場で「慰安婦」問題を追及してきた元参議院議員も吉川春子さんが「『慰安婦』問題を通して戦争責任を問う」と題して講演された。
冒頭、「今回の沖縄の少女の事件は一般には暴行事件と言われているがあれは正確には強姦事件なんです。国家公安委員長もそう明言している。強姦事件は親告罪になっているので米兵は釈放されたが、でもなぜ明確な犯罪にならないのか。これは明らかに女性への差別です」との指摘に、なるほどと深くうなずく。
講演は、①「慰安婦」問題がなぜ広範な世論にならないのか、②「慰安婦」制度に関する日本政府の責任と対応、③日本共産党の取り組み、④野党共同の取り組み、⑤日本は国際機関、外国からどう見られているか、そして最後に、⑥このまま放置すればこれからも平和と人権が犯され続けていく、との内容で最近出版された本の中身も紹介しながら進められた。
講演の中で特に印象に残ったこと――。
①については、
・民主的陣営の男性の中に依然として「男の性の問題だから」という思いがある。
・死んでゆく兵士や父、祖父の恥をさらすのかという意見がある。
・加害責任と向き合うことのむずかしさ。
・天皇が戦争責任をとらないのになぜ我々に責任があるのか、という中で戦後が過ぎてきた。
②については、
・日本は戦前から強制労働禁止条約(1930年)を批准しているのに…。
・日本では「慰安婦」といっているが国連では「性奴隷」、慰安所は「レイプセンター」と表現している。これが世界標準だ。
・アジア女性基金のお粗末な結果。
・度重なる国連人権委員会の勧告無視をする日本。
・「拉致問題」も大事だが、こっちの拉致問題はどうなるのか。
・「慰安婦」たちの要求はお金ではない。何よりも日本の謝罪である。
③については、
・「慰安婦問題解決促進法」を野党共同でこれまで7回国会に提出した。審議にこぎつけたのが2回で、あとはすべて拒否された。
・いまこそチャンス。民主党にも〝靖国派〟がいるが、参議院では可決が可能な状態にある。国民の声でこれを後押しを。
④については、
・欧米諸国から次々と日本政府に対して決議があげられており、このままでは日本は信頼されなくなるし、孤立していく。
⑤については、
・戦争のあるところ、女性に対する性犯罪がある。
・いまこそ、憲法9条、そして18条の力を発揮するとき。
講演の中で突然、小社刊の写真集『私の従軍中国戦線』(村瀬守保著)を手に「ここに写っている慰安婦たちの写真を使って国会で追及してきました」と話されたので、あわてて写真を撮った。
吉川春子さんの最新刊。「慰安婦」問題を追及してきた歩みが綴られている。(かもがわ出版刊)