昨夜は「ハルモニの話を聞こう!」(主催:「慰安婦」問題の解決を求める北摂ネットワーク、茨木市福祉文化会館)に話を聞きに行った。8月3日に予定している「慰安婦」問題シンポの宣伝チラシ配布を兼ねての参加で、会場には若い人の姿も見られ120人余りが2人のハルモニの証言に聞きいった。
イ・ヨンス(李容洙)ハルモニは1928年生まれ。15歳の時、台湾に連行され新竹特攻部隊の慰安所で終戦までいた。1992年、日本軍「慰安婦」被害者であることを名乗り出て以後、日本に頻繁に訪れ各地で証言をおこなってきた。2007年の米下院議会の聴聞会で証言、決議案採択に尽力、その後も世界各地で証言を行っている。
キル・ウォノク(吉元玉)ハルモニも1928年の平壌生まれ。11歳の時にだまされて日本軍性奴隷に。12歳の時、性病に罹り、「慰安婦」として使えないとされ一旦返され、治癒後再び中国に連行された。1945年16歳で帰国するが、南北分断で故郷に帰れないままに一人で暮らしその後養子を迎え、1998年70歳を超えた時、テレビで水曜集会のことを知り被害者であることを申告した。2003年から韓国挺身隊問題対策協議会が運営する被害者シェルター「ウルチプ」で暮らしている。この間、EU議会で証言するなど世界各国の若者たちに積極的に平和を説いてまわっている。
「日本の若い人たちがこれから幸せに暮らすためにも、今生きる日本の人たちが解決の力になってほしい。私は日本が謝罪するまで100年、200年でも生き続ける」(イ・ヨンス)、「日本は、これ以上引きずらないで早く真実を明らかにしなさい。私が死んでも真実は消えず、いつかは明らかにされるだろう。私たちの子孫に引き継がせたくはない」(キル・ウォノク)。証言を聞きながら、ほとんど時間が残されていない被害者たちがまさに命を賭けて世界に語りかけ、問いかけている姿を前にして、これほどまでに被害者たちを苦しめ続ける日本という国はいったい何なのか、そういう国を支え続けている私たち一人ひとりとは何なのかと自問しつつ、やれることは小さいが、この問題が私たち日本人自身の問題なのだと理解する人たちをもっともっと増やさねばならないのだとあらためて思った。
会場には北摂各市議会の議員たちの姿も多く見られ、宝塚市議からは「日本軍『慰安婦』問題に対して、政府の誠実な対応を求める意見書」を議会が採択した経験について報告が行われた。集会は最後に、このような意見書採択をはじめとする活動や署名活動などで大きく声を広げていくことの大切さを訴えるアピールを確認して終わった。