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真田丸を歩いて来た!

2017年02月19日 | 丸ちゃんの私的時間
好天に恵まれた今日の大阪。なかなか行けなかった真田丸現地を訪ね歩いて来た。9時前に家を出て吹田から玉造駅へ。いつも歩く道を辿って、三光神社へ向かう。何度目かの幸村像と真田の抜け穴を見て、大阪大空襲で壊れた石の鳥居と新しく作られた鳥居という二重の鳥居をくぐって神社境内へ上がる。同じ目的か、いくつかの集団もあり、なかなか賑やかだった。

神社隣の小高い丘に上がって陸軍真田山墓地へと向かう。ここも何度か来たが、やはり膨大な数の墓標に圧倒される。この墓標の数の何百何千倍もの命が明治以来の戦争で亡くなったということを想像してみる。

墓地から民家の間を西に抜けて、真田丸の核心部らしき場所へと向かう。この辺りには、真田丸の一角を占めていたお寺がいまも残っている。その一つが心眼寺。



寺の北側には堀跡が残り、今は道路になっている。寺の向かいの明星学園前には真田丸碑も最近建てられ、校舎にはこんな感じの壁画も描かれていた。


さて真田山エリアはこんなことで終わって、次は天王寺エリアヘと向かう。これまで歩いたこともない街中を楽しみながら一心寺をめざす。途中に創価学会エリアと呼んでもいいような場所を通ったのは発見だった。一心寺は今日が何の日か知らないが、とても大勢の人で溢れていた。若い人も多く、いつの間にか日本人はこんなに信心深くなったのかと思ったりもしたのだが。さて一心寺には真田幸村関係では、夏の陣で激闘の末に亡くなった徳川の武将本多忠朝の墓がある。言い伝えでは、戦いの前に酒を飲みすぎて失敗したそうで、今は酒封じ祈願の場所として、禁酒をしたい人たちが訪れてるそうだ。
いよいよ今日のクライマックスの場所、幸村が討ち死にした場所へと向かう。一心寺のすぐ向かいの安居神社がそこだ。夏の陣の最終段階、家康の首を討ち損ねた幸村が逃れて来たこの神社の松の下で、徳川の松平忠直隊の足軽頭西尾久作が、精魂尽き果てていた幸村から「お前が私の首を取れ」と言われて討ち取ったと伝えられている。NHK大河ではこの最後のシーンは、佐助に介錯をさせたことになっていたが、がこれには諸説いろいろあるそうだ。



さて天王寺エリアの最後は、茶臼山だ。冬の陣では徳川家康の本陣となり、夏の陣では真田幸村の陣となった小高い丘。上に登って、今は高層ビル街が広がる街並みを消して、ここから真田丸や大阪城が見渡せたことをちょっと想像してみた。


こうやって日常から飛び出し、歴史の世界に身を浸してみるのもなかなか楽しいものだと思った1日だった。
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