何げない日常を書き留めいとおしむ
///ふるさとの母生きよ///
90歳になる母が闘病している。私などと違って、なかなか精神的にも肉体的にも強い人で、100歳までは死なないと思っていた。知らせを聞いて、ふるさと徳島へ急いだ。鳴門大橋から激しく巻いている渦が見える。「大寒の渦の慟哭 母生きよ」ふるさとの俳人、橋本夢道の句が思わず口をつく。病院へ駆けつけ「母さん、来たよ」と言うと、目も開けず「うれしい」と言う。
自分の口で食べ、おいしいと感じ、自分の行きたいところへ自分の足で行く、目を上げて空を見て美しいと感じ、陽射しの温もりに心を休める。このごく普通の日常がままならぬ日が来るんだ。母が生きていてくれるだけで、自分と死との間に突っ立てができていたようで、70歳近くにもなって、いまだに死との距離が遠かった。
今改めて、何げない日常の大切さをしみじみ噛みしめている日々だ。私はその日々のいとなみを言葉にして書き留めている。
▲今朝の温度計はマイナス。氷がはっている。近所の公園で毎日しているラジオ体操に夫と出かけて行く。気の合う近所の人たちとしゃべり、笑いながらウォーキング。池に飛んでくる鷺の飛翔する姿をじいっと眺めていた。背中に乗せてほしいな。
▲今日は朝から白菜の漬物とたくあんのカレー漬けを作る(冷蔵庫には、柚子大根、かぶらの酢漬、ナスの辛子漬、きゅうりのキューちゃん漬けも並んでいる)。自分の手で料理をするのは楽しいし、気分転換になる。
▲午前中、家にいる時は、9時から1時間は文献の学習にあてている。今はヴィゴツキーの『思考と言語』と格闘中。背すじが伸びる。
▲今日は、寝屋川へ学童保育関係の講演に行く。少し準備不足で、話があちこちいく場面もあり、慣れにまかせず、やはりもっときちんと準備がいる。反省。
▲帰りに大好きな古本屋に寄る。縄文人のことを書いた本と「黄檗の書」稿集の本を安く手に入れる。わくわく。山ほどの本を家にどんどん貯めて、さてどうするんや?!
▲台湾が原発を廃止するのニュースが飛び込んでくる。なんと日本の福島のあの事故を見て決断したというではないか。当の日本では、原発再開、ホンモノの知性とは何か。
▲3月にひかえている書道展の作品をあらためて書き直す。毎回の作品展で、自分の人生史を絵と書でかいて表現してきた。今回は、父の人生を書いている。玉砕の戦地から、命からがら生きて帰って来た父…。あの父ありて我ここにありと筆に力をこめた。
▲若い先生から涙の電話。学級通信に書いた記事に親からのクレーム。もう出す自信がないと言う。しかし、よく聞くと、それは親自身の子育て不安のSOSだ。それを若い先生にぶつけているのよ、大丈夫。
▲久々に大学へ。「ワー先生、久しぶり!また小さくなったなあ」と抱いてくれる。若い男性がだ!「先生が若かったら結婚したいわ」「ハハハ私もや、相思相愛やなあ」。かわいい大学生だ。
▲左手が時々しびれる。頚椎がおかしいらしい。絵や書をかいても原稿書いても何時間でも下に向いてやってしまう。それに神経を使っても首や肩が凝る。病気らしい病気もせず、おかげで元気にきたが、そろそろ身体がゆっくりしろと発信しているのだろうと思うけど、またついつい…。
▲友人が入院したという知らせ。すぐに絵手紙ふうにしてお見舞いのハガキを送る。人は、発信しなければつながらないと常に思っているので、結構まめに筆をもったり電話も入れている。
▲大阪の「チャレンジテスト」。これは大変だ!子どもの悲鳴が聞こえる。1回のテストで内申書が決まる。先日のテストでは欠席者が続出した。教師の説明が悪いと攻撃の声もあったが、出るべくして出た問題。現場の声をていねいに聴きとってほしい。子どもを泣かせるな!
喜んだり不安になったり考え込んだり、いろいろある日々だが、この先の人生を考えると、今日が一番若い日、日常の生活の中にもある、ちょっとすてきな話に心あたためて今日という一日を大切にと思う。「母よ生きよ」と願いながら…。
(とさ・いくこ和歌山大学講師)