9月3日(土)
休日出勤の日となる。
この間ずっと続けていた原稿整理を午前中に終え、うまくいきますようにと祈りを込めて著者氏に提案文書と一緒に送信する。
午後は天満のPLP会館で『轟音-その後-』の映画上映と著者の講演会。主催者の堀越氏に挨拶をし、著者の古久保健・久代さんご夫妻に6年ぶりの再会となる。お元気そうで何より。映画は6年前に一度観ていたが、忘れていたシーンも多くあった。学生たちが作った作品だが、なかなか優れたドキュメンタリー映画で、ぜひMBSなどテレビ局の深夜放送枠でも放送してもらいたいレベルだと思う。
古久保健さんは1934年生まれの御年88歳。父親に抱かれたことがない。なぜなら健さんが生まれた時、父親は中国の山西省で戦死していたからだ。25歳という若い死だった。後に戦死の様子を聞かされたそうで、最後の言葉は「水を・・・」だった。健さんが小学2年生、8歳の時に日本の戦闘機の攻撃を受けたB29が地元の龍神村の山中に墜落したその瞬間から健さんの物語は始まる・・・。
この戦争が終わって77年。ついに日本の政権運営者たちは「核共有」「敵基地攻撃」などの言葉を吐くようになってしまった。それは敗戦から平和へ向かった当時とは真逆の姿だ。彼らは親から継承するべき大切なものをどんどん棄てて忘れてきてしまったのだろう。戦争を知る人がいなくなり、その記憶や体験を継承することができなくなった時、この国は再び戦争に突き進んでいくのだろうか。今回、本と映画で健さんの反戦平和の語り部としての姿に改めて触れ、決してそうさせてはならないと強く思った。