最近放置してあったtwitterをいじり始めて知った、
『本日は奈良大学 文化財学科の植野浩三教授、小山田宏一教授の最終講義が行われました。』
というニュース。
植野先生が最後の授業ということは…退官、ですね。
ええええ?!
わたし、卒論の担当教官として植野先生にご指導受けたものですから。
あんまりびっくりして、勢いで千田先生のツイートにコメント書いてしまったのだけど。
小山田宏一教授とおふたかたで(記事に)出ていたのに、
どちらの先生に卒論の担当教官をしていただいたのかを
書いてなかった!!(呆)
ツイッター慣れてないんで、手探りで使っているので往々にしてこういう間違いあると思う。
アホな書き込みになってて申し訳ないです。
あれって、消したり、書き直したりできないんですよね。
ううう、ブログの方が扱い易いなあ。
それはともかく、ツイッターやってなかったら見つけなかった情報なので、有り難い。
そういえば数年前に酒井龍一先生が退官されたのも、結構後になってから知ったし。
ちょっと離れていたけど、奈良大のホームページをくまなく見て回ったら、
お馴染みの先生の名前がたくさん消えていて、えええ~なのでした。
いやいや、考えてもみたまえ。
私は栄えある(?)奈良大学通信教育部一期生入学組であり(←えばるようなことではない)
卒業したのは第三回目においてであったが(コッホン、そこんとこは深く追求しないように)
それゆえに卒業してから実に12年も経っている(!)
※2009年3月卒業だからね。
12年といえば、学齢に達した子が高校を卒業するくらいの年月ではないかっ!
となれば、その間になにがあろうと驚かないくらいの紆余曲折があったことでしょう。
嗚呼、私奈良大を卒業してから何してたんだろ?
未履修だった学芸員過程を修了し、
奈良検定に手を出して2級→1級→ソムリエ級に合格し、
今は無き(?)お寺検定3級&2級に一発合格して、
神社検定を苦節ウン年にして3級だけ合格したという。
それだけ。
その間に続けて来たのは『奈良検定お勉強日記』というメルマガだけだけど、
これまた過去問をコツコツ解くという方式に飽きて、方向性不明の内容に改変中だし。
嗚呼、私が大学に入ったのは平成でしたが、今は令和。
時代は変わったのね。
生まれたの、昭和だし。
昭和生まれにおける明治なんて、スゴイ大昔の感じだったけど。
令和生まれにおける、昭和なんて、どんな太古の昔なんだろう。
ケータイも、スマホも、インスタも、ツイッターもない時代なんて。
考えられないよねえ、全く。
令和元年(2019)の年末に久しぶりに第一の母校・法政大学を靖国参拝帰りに間近で拝んだけど、
市谷校舎のあまりのキレイさにびっくりして、どこの大学?!状態に驚いた。
いつも上京して中央線に乗ってても『電車か~らみるだけ♪』(by Yuming)の
外堀に面した市谷校舎。靖国神社と法政の間の富士見坂を歩いて、
変わりまくっている光景に唖然としましたっけ。
スクーリングやら、図書館やらで通った奈良大の道もずいぶん変わったんだろうなあ。
いつも大抵徒歩で高の原の駅から学校に向かっていたけど、
今行ったら迷わずにたどり着けるかなあ(不安)
一昨年行ったときはタクシーで行ったから行けたけど。
母校は遠くなりにけり。
老兵はただ消えるのみ。
『本日は奈良大学 文化財学科の植野浩三教授、小山田宏一教授の最終講義が行われました。』
というニュース。
植野先生が最後の授業ということは…退官、ですね。
ええええ?!
わたし、卒論の担当教官として植野先生にご指導受けたものですから。
あんまりびっくりして、勢いで千田先生のツイートにコメント書いてしまったのだけど。
小山田宏一教授とおふたかたで(記事に)出ていたのに、
どちらの先生に卒論の担当教官をしていただいたのかを
書いてなかった!!(呆)
ツイッター慣れてないんで、手探りで使っているので往々にしてこういう間違いあると思う。
アホな書き込みになってて申し訳ないです。
あれって、消したり、書き直したりできないんですよね。
ううう、ブログの方が扱い易いなあ。
それはともかく、ツイッターやってなかったら見つけなかった情報なので、有り難い。
そういえば数年前に酒井龍一先生が退官されたのも、結構後になってから知ったし。
ちょっと離れていたけど、奈良大のホームページをくまなく見て回ったら、
お馴染みの先生の名前がたくさん消えていて、えええ~なのでした。
いやいや、考えてもみたまえ。
私は栄えある(?)奈良大学通信教育部一期生入学組であり(←えばるようなことではない)
卒業したのは第三回目においてであったが(コッホン、そこんとこは深く追求しないように)
それゆえに卒業してから実に12年も経っている(!)
※2009年3月卒業だからね。
12年といえば、学齢に達した子が高校を卒業するくらいの年月ではないかっ!
となれば、その間になにがあろうと驚かないくらいの紆余曲折があったことでしょう。
嗚呼、私奈良大を卒業してから何してたんだろ?
未履修だった学芸員過程を修了し、
奈良検定に手を出して2級→1級→ソムリエ級に合格し、
今は無き(?)お寺検定3級&2級に一発合格して、
神社検定を苦節ウン年にして3級だけ合格したという。
それだけ。
その間に続けて来たのは『奈良検定お勉強日記』というメルマガだけだけど、
これまた過去問をコツコツ解くという方式に飽きて、方向性不明の内容に改変中だし。
嗚呼、私が大学に入ったのは平成でしたが、今は令和。
時代は変わったのね。
生まれたの、昭和だし。
昭和生まれにおける明治なんて、スゴイ大昔の感じだったけど。
令和生まれにおける、昭和なんて、どんな太古の昔なんだろう。
ケータイも、スマホも、インスタも、ツイッターもない時代なんて。
考えられないよねえ、全く。
令和元年(2019)の年末に久しぶりに第一の母校・法政大学を靖国参拝帰りに間近で拝んだけど、
市谷校舎のあまりのキレイさにびっくりして、どこの大学?!状態に驚いた。
いつも上京して中央線に乗ってても『電車か~らみるだけ♪』(by Yuming)の
外堀に面した市谷校舎。靖国神社と法政の間の富士見坂を歩いて、
変わりまくっている光景に唖然としましたっけ。
スクーリングやら、図書館やらで通った奈良大の道もずいぶん変わったんだろうなあ。
いつも大抵徒歩で高の原の駅から学校に向かっていたけど、
今行ったら迷わずにたどり着けるかなあ(不安)
一昨年行ったときはタクシーで行ったから行けたけど。
母校は遠くなりにけり。
老兵はただ消えるのみ。