てことで。
宣言通り、閉幕間近の奈良博へ、法隆寺展を見に行ってきました。
始発に乗って出かけたのですが、奈良に着いたのは9時過ぎ。
私は朝イチ9時半入場のチケットを購入していたのですが、
あと少しで開館するって時間だったので、
とんでもない数の人が並んでいるかと思いきや、
開始10分前ほどで前から数えて30人くらいの位置。
例年正倉院展で七時から並んでるのと同じあたり(警備室の隣)に並べて、
あらら、こんなに少なくていいの?
検温と入手済みチケットの確認を事前に行い、入館の際には手指の消毒。
そののちにチケットもぎりだの、年パスへのはんこ押しだのを行います。
ここしばらくの展覧会は東新館から入って、それから西新館へと移動する形式が多かったですが、
今回は西新館の展示室からの順路というのは前もって知っていたので、スムーズに入館。
こっちから入っていくのって以前にも会った気がするけど、なんだったか思い出せない。
(覚えている方は教えて下さいませ)
むかし昔、大昔の正倉院展。現在の西新館しかない時代には、
今回の展示のように、西新館のスロープを登って会場に入るという順路でした。
(帰りは、狭い、階段を降りてくるというものでした。足の悪い方はエレベータあり)
なんか懐かしいなあ、とか一人で感慨にふけり。
正面に見えている聖徳太子像(のスクリーン)を遠目で眺め。
左手にあった写真撮影スポットをパチリ。
正倉院展の時は、足早に見て回るのですが、今回は人数限定というのが判っているし、
しかも平日だったためか、入館してくる人もわりと少ないし、ゆったりめ。
シャカリキになることはないようです。
第一章は聖徳太子と仏法興隆。
まずは聖徳太子と二王子像。
一万円札で有名な。あのお顔の聖徳太子と、
左右に山背大兄王と殖栗王のお二方を従えたお姿。
おお、これぞ、聖徳太子、って感じの図です。
柄香炉や、硯といったお宝とともに、五綴鉢という穴の開いた鉢がありまして。
僧侶が托鉢に出る時に持っている鉄の鉢なのですが、現在も穴が開いた部分があり、
底には接ぎあてがしてあって、五回つくろっても使えということらしいです。
昔の僧に許された数少ない自分の持ち物ということで。大切に使っていたのですね。
そして小さな金銅仏たち。
この時代の仏像の笑みは本当に素敵。
ミステリアス。
入口付近の曲がり角が若干混雑していましたが、
空くまでは他の展示品を見ていれば、いつかは空きます。
まだ次の回の人はまだ入ってきていませんので、いずれは空きますって。
入館する人は、いつもよりずっとずっと少ないのだから。
第二章は法隆寺の創建。
法隆寺のお宝情報を記した法隆寺伽藍縁起幷流記資財帳。
法隆寺印。鵤寺倉印。
若草伽藍の瓦に、曼荼羅かと思う四騎獅子狩文錦。
一度は見たことがあるものと、初めてのものと。
トーハクの法隆寺館からは灌頂幡もお出ましでした。
普段は法隆寺館の高い吹き抜けからつるされているのですが、
久しぶりの奈良はどうでしょうか。
でも斑鳩じゃないから、奈良とはいえ、来たことないか(笑)
日本最古の印刷物だという陀羅尼経を納めた百萬塔。
たくさんのお経を書くのではなく印刷して、
塔を模して作った小塔の中に入れるという画期的な方法で納められたお経。
凄いねー。圧倒されます。
これ、
奈良大学でも一基所有しているんですのよ。
さすが、奈良大!
第三章は法隆寺東院とその宝物
いわゆる「夢殿」とその周りのお堂のお宝を集めたもので、
蓮池図屏風は時節柄、美しかったなあ。くすんでいても美しさはかわりません。
あとは、この部屋、なにげにスゴイものが並んでいましたよ。
夢違観音さまや、聖徳太子坐像(伝七歳像)など。
ええ?こんなすごいものも、ここ来ちゃったの?!とビックリ。
門外不出だと思っているようなものまで揃えちゃっている奈良博。
あんびりばぼ~。
あと、珍しく人がずっと居座って動かない箇所がありまして。
御軸に絵が描かれているものだったので、何をそんなに熱心に見てんだろ、
と思ったら、聖徳太子絵伝でした。
聖徳太子の生涯を絵で描いたものですが、これがやっかいなものでして。
右上から左へ、下へ読んでいくような、マンガのような流れがあるのでは「なく」、
あちこち飛んでいるのです、時系列のエピソードが。
一幅の中に、上から下へ順を追って描かれているのではなく、
場面が右上、真ん中、下、左上のような不規則な動きをしている。
その順番ごとに絵の場所を追っていこうとすると、
本物を見て、解説板を読んで、次の番号を探して、実物を見て…。
するってーと、探して、見る、探して、見るという行動が入るので時間がかかると。
以前、トーハクで高精細のデジタル紙芝居方式で絵伝を見ましたが、
ここで大きな絵を観たら、順番を追うだけでも大変。
なんでこんな飛び飛びの場所に、バラバラに絵を描くねん!(苦笑)
しかし。自分がその前に来たら、確かに、順を追って見てしまうので、進みませんね、先へ。
第四章は聖徳太子と仏の姿。
聖徳太子は観音菩薩の生まれ変わりとされ、太子自身が信仰の対象となっていく平安時代。
太子二歳像(まるまるとした体形の袴だけ着けた姿のアレ)や、
聖徳太子立像(孝養像:柄香炉をてにして立つ、みずら姿の太子像)がおわす空間。
をいをい、本当に法隆寺の中身丸ごとやってきたかのようだわい。
そして、今回の
展覧会の顔としてあちこちに出ている、豪華な冠をかぶる聖徳太子像。
X線をかけてみたところ、胎内に観音様がおられて、その観音様のお顔が、
聖徳太子の口元に重なることから、聖徳太子の言葉は観音様の言葉という…ことの表現方法らしい。
はあ~。西新館をぐるっと心行くまで堪能していたら、すでに二時間たっていました(笑)
9時半入館して、11時半を回っていましたが、まだまだ東新館もあるのよー。
さあ、次行くよ次ぃ―。
と元気に東新館に足を踏み入れたら、正面にどどーんと門。お寺の門・風の建物。
いつもならば、あいさつ文とかが掲げられている正面のスペースに、
法隆寺のある一角の門とおぼしきものが建ててあり(もちろん移築じゃなくて、大道具ですけど)
唖然としていたら、右手には金堂内部のホトケの姿が写真表示されていて…。
いつも薄暗い中におわす仏のフォーメーションが、いやにくっきりハッキリ移されていて。
ゾゾゾっ背筋がブルブルしました。
そうです。この空間は、金堂の内陣がお引越ししてきたかのような空間となっていたのです。
いつもは、金網越しで、薄暗い堂宇の中を、のぞき込むように見ていたのに、
目の前にかなりクリアに、なんの障害物もなく、
金堂内部が目の前に展開されていたのは初めでだったので。
そりゃお寺の人ならば見ている光景でしょうが、一般拝観者としては見たことがない景色。
嗚呼!!
分った、何故いつもとは違う方向から会場を作って、
最後にこの部屋に入るようになっていたのは、
この感動を味わうためだったのだ!
ここ、まさに法隆寺金堂の中身が引っ越してきたかのような荘厳さでした。
壁には、焼失してしまった金堂壁画が焼ける前、壁を飾っている状態で、並べられ、
四天王寺像や、玉虫厨子(!)、伝六観音と、法隆寺からっぽになってんじゃないか?
と思う程のホトケさまが集結。
え?ええ?えええーと叫びたくなるのを必死のこらえ。
もっとびっくりしたことに、室の中央、
奥には薬師如来坐像がひっそりと座っておいででした。
しかも、いつもの台座ではなく。奈良博が用意した、真新しいお座席にちょこんと座っておられ。
ええ?!薬師さんと目が合うよ、ここだと。
えええええ、いいのか?
いいのか?(確認しましたよ)
これが内覧会を見たかたの感想である「低い所に降りてきて下さった薬師様」なのか?
そして、薬師如来像といえば、光背の裏に刻まれた光背裏銘文。
この像が造られた経緯を記したもので。
用明天皇が病気になった時、寺と薬師像を作ることを発願されたが、果たされぬまま崩御。
そのご遺志をのちの推古天皇と聖徳太子が受けついだ、というもの。
それが目の前でかぶりつきで、見られる。
ガラスケースの中におられるとはいえ、肉眼で見られる。
これを眼福というのでしょう。
あげく、五重塔からもお出ましが。
五重塔の内部で、遥かな時をこえて、お釈迦様の入滅に際して、
慟哭する僧のみなさまにもおでましいただきました。
ある人は歯を食いしばり、ある人は大きく口を開けて、
嘆き、悲しみ、わめき、
そんな姿をのぞき込むのではなく、目の前で見られる。
ああ、本当に実際に見に来た甲斐がありました。
なんということでしょう。
法隆寺がここに展開されているかのような作りに驚き。
仏像がメインのトーハクで見る展覧会は、最終展示室がいつも趣向を凝らした、
荘厳な空間になっているので、それを思い出しました。
うおおおおお、奈良博頑張った!(←上から目線やで)
そう思ったら、もうこの空間から出られません(笑)
帰る気になれない(笑)
一度回った後で、二度三度とグルグルしましたよ、マジで。
そして、薬師如来さんの周りから離れられなくなり、
前から横から後ろから。
そして後方からしゃがみこんで、普段は見えないアングルからの裳掛けの裏側の
光沢のない銅像の裏を観たり。(殆ど変態です)
なのに。なのに。
こんなに目の前にあるのに、薬師像を背中から見ない人のなんと多いことか!
これ、普段は見られないんですよ?
後ろから見てみませんか?
ほぼ、正面からの見学で去っていく人を呼び止めて、後ろに回らせたい衝撃にかられる私。
もちろん本なんかでは見られますが、肉眼で見られるなんて老い先短いこの人生。
この先何回あるか、いや、無いかもしれないんだから!
もう、行きつ戻りつ、薬師さんの周りをウロウロしていました。
アイドルの周りをうろつく怪しい人と変わりありません。
ああ、なんとでも言ってくれー。
こんな機会、もう生きている間にないってば!
(いや、ある。トーハクがあるじゃないか!行け!トーハクも)
そして、一つすごいことに気が付きました。
薬師さんの向かって右側から見た時の、右手の縵網相(まんもうそう)が物凄いこと。
救いを求める人を漏らさずすくうため、指の間に水かきのようなものがあって、
カエルの手状態になっていることをいいますが。
そのマンモウソウが本当にすごい、キッチリ、くっきり、ハッキリ、出ているのデス!
正面から見ていたのでは判らないこと。
そして、もっとビックリしたことは。
薬師さんの指、手も足も、爪が伸びている!!
仏像の造形に、爪を現すものは結構ありますが、
その爪がかなり伸びた状態になっているのは、
見た記憶が無いので、気が付いた時にはびっくりしましたの。
図録でも正面から見た左手の指の爪で確認できますが、
(指の腹をこちら側に向けているので、爪は奥側ですが、指よりも爪が飛び出しています)
実際に見た時は、正面右手から見た手と足の指の爪が、本当に伸びているのです!
ええええーん。(つд⊂)
これが見られただけでも、本当に来てよかった(号泣)
お堂の中で、暗い中、奥の高い台座に腰かけておられる薬師さんの、
手足の指の爪が、伸び放題(っていっていいのか?)になっているなんて、
これを観なくちゃ知らなかったことだからして。
これが見られただけでも、今日来た価値はある。
絶対にある。
しかし、時間は無情にも過ぎるのが早い。
御名残り惜しいですが、薬師さんをぐるぐるっと回って、
最後にいたしました。
はあ、満腹だ。(実際にはすごい空腹だったのだけど)
こんなにも満たされたなんて、一度しか体験できないなんてもったいない。
こうなったら、東京も行くか?(行けるのか?)
西新館の会場を出たら1時を回っておりました(笑)>そりゃ腹も減るわい。
展覧会グッズを見て買って、アンケートを書いて、奈良博を出たら、二時を回っておりました。
どっひゃーん。
実に滞在時間四時間半!
私の奈良博での最長不倒記録かもしれない。
行ってよかったです!
できれば、トーハクにも行きたい!
行けますように(拝)