猛暑の終わりで電池切れな昨今。
そうだ、充電だ充電!
ということで奈良へ行ってきました(謎)
正倉院展前の時期ですが、
奈良博の「忍性」と、
奈良県立美術館の「富本憲吉 憧れのうぶすな」が
そろそろ会期終盤なので慌てて。
朝4時に起きて、始発で奈良へ!
ええ、普段は目覚ましがないと起きられませんが、
奈良へ行くとなれば寝起きもよいのです。
まずは奈良博へ。
忍性展なので、正倉院展とは比べ物にならないくらいガラガラ(失礼な)
快適な空間でこころゆくまで、あれこれ見て回りましたよ。
この人は鎌倉時代の奈良出身のボンさん。
奈良に生まれ、鎌倉の時代に活躍した人です。
実は忍性さんはお墓が三か所もある。
自分が出家したお寺(大和郡山の額安寺)と、
自分が敬愛する行基菩薩の墓所(生駒の竹林寺)と、
自分の終焉の地(鎌倉の極楽寺)。
そのどれにも自分の遺骨を納めるようにと遺言したのですが、
なんでそんなことになったかというのがこの展覧会を見たら、
ああ、なるほどね~というのがわかるようになっています。
そんな中で一番楽しみにしていたは「忍性の骨壺」(笑)
いやー、この骨壺ってのが、三か所全部が揃うのは史上初めてなんですもの。
その中でも、竹林寺出土のものと、額安寺のものは瓜二つで。
それが同じ空間に並べられていたってのはちょっと興奮ものでした。
その流れで、午後は講演会があるというのでそれを聴講。
忍性さんは行基菩薩が大好きで、
それゆえに自分の墓は行基さんの近くに作って!と無茶振りしたけど。
それを弟子は「はいはい」ときちんと聞いてくれた。
忍性さんは行基さんが好きで好きで大好きで、たまらかったように、
忍性さんの弟子たちも忍性さんが大好きだったようで、
墓を三つ「も」作れとのお達しも守り、そのうえ
なんと忍性の墓には、「おそばで眠りたい」と願った9人分の
骨壺(骨蔵器)が寄り添っていたんだそうで。
忍性さんも行基さんに負けず劣らず、弟子やその他の人
(パンピーも尼僧もいたそうな)に愛されていたようです。
狭い墓の中にゴロゴロとたくさんの骨蔵器。
賑やかそうなお墓だな(笑)
そりゃ寂しくなさそうだ。
奈良検定の勉強で知りえた知識ではよくわからなかった三つの墓の謎も
するりと解けたし、今回は大収穫でした。
その流れで(?)次は奈良美へ。
今回は「富本憲吉 憧れのうぶすな」が出もの。
富本憲吉の作品は、安堵町の富本の実家跡を利用して作られた
富本憲吉記念館に行ったときに結構ゆっくり&たくさん見たけど。
それ以来ぶりかな。
富本といえば、「羊歯」「金」「カラフル」なイメージがあったのですが、
今回の展示品は繰り返し繰り返し
「曲がる道」(謎)
の題材をもとに作った作品が数多く出品されていて、
本当にこの題材気に入ったんだな~って思いました。
私は個人的に富本の作品では、カラフルやポップな連続模様よりも、
白磁や青磁の面取りしたような丸みを持った角のある多角形タイプの焼き物が好き。
(→
こういうものね)
憲吉記念館で見た、コーヒーカップに一目ぼれして以来、
ああいうもの欲しい!!!って思っちゃったもんだから。
(→
ちょっと違うけど、これに似たタイプのものでした)
今回はそういう出品が少なかったのがちょっと残念。
それと、出品数が思ったよりも少なかった。
二階の展示室だけで終了で「あれ?これだけ?」って思ってしまったのは、
前回来た時には時間が足りなくなるほどの展示量があった
「藤城清治 光のメルヘン展」を見てたからですかね。
そうですねきっと。
でも1Fのミュージアムショップになっていた一角での、
安堵町に関する展示物も結構見ごたえがありましたよ。
「奈良県再設置」に尽力してくれた今村勤三も安堵町の人で、
勤三の息子の荒男と富本は生涯の友だったとのこと。
へーへーへー。
(余談ながら、勤三の三男は「和」男で、四男は「荒」男。
カミサマ関係の和魂(にぎみたま)荒魂(あらみたま)みたいですね)
残念ながら富本憲吉記念館は閉館しちゃったようなのですが、
今年その生家はレストランや宿泊施設に姿を変えて、
「うぶすなの郷TOMIMOTO」としてリニューアルオープンだそうです。
わーん。
また行きたいぞ、安堵町!
次の自主スクはここか?(笑)