當麻寺のお練りに行ってきました。
例年5月に行われていた「當麻寺練り供養会式」ですが、
今年からは4月に行われることとなったとのことで、
その第一回目を体験するために行ってきました。
このお練りに行きたいというリクエストをかすみさんからもらい、
たらちゃん、なぎさん、ひろこさん、punipuniさんと共に、
久しぶりの歩け歩け隊結成♪
今回はそれとからめて、ぐるっと當麻の里を歩くコースを設定し、
コース内を一筆書きするため、近鉄二上神社口で下車して、まずは倭文神社(しずりじんじゃ)へ。
二上神社口から二上山への山登りルートにもなっている道なので、
徐々に登っている山道の始まりです。
でも本日はヤマは登らないので大丈夫(?)
駅前の道には方向やじるしも完備
この坂道を登ります
10分かからず倭文神社到着。
神社入口
倭文神社は本名(?)
『葛木倭文座天羽雷命神社(かつらきしとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)』
主祭神は天羽雷命(あまはいかづちのみこと)。
右殿に摂社・掃守(かもり)神社(天忍人命)、
左殿に摂社・二上神社(大国魂命)を配祀。
<二上神社><倭文神社><掃守神社>
の並びってことですね。↓の並び。(加守神社表記になってますが)
しかし、はて、カモリってなんぞやというと、
天忍人命は彦波渚武鵜草葺不合命生誕のときに
その胎便(「蟹」と呼ばれる)を掃除したという神で、
その子孫は蟹守(かもり)氏(掃部、加守、狩森などとも)と称した。
当社の社家も蟹守氏である。
附近の「加守」という地名も蟹守に由来するもので、
当社は江戸時代まで「加守明神」と呼ばれていた。
ってことです。
武鵜草葺不合命(うがやふきあえず)といえば、神武天皇のお父様。
山幸彦が海幸彦から借りて無くした釣り針を探し海へとゆき、
そこで出会った豊玉姫の間にできた子が武鵜草葺不合命。
おかーちゃんが出産をする際に海を出てきたので、産屋の屋根を草で葺いていたら、
それが終わらないうちに生まれちゃった!のでウガヤフキアエズと名付けたと…。
このウガヤフキアエズのミコトの出産の際に、胎盤を処理してくれたのが掃守氏。
天羽雷命は各地に機織や裁縫の技術を伝えた倭文氏の祖神で、
この神社は日本各地にある倭文神社の元祖なそうな。
とりあえず、ここの神社は奈良検定の勉強していて見かけたことがきっかけで、
行ってみたいなあと思いつつ、當麻寺からはちょっと離れている。
なかなか行けないままだったので、この際にルートに入れてみることに。
(単に私の希望でした★)
階段を登っていく下に
由緒書き。
下からみると、階段の上の様子が判らず。
どんだけ階段上るんだろうと思ったら、
階段二つで終了でしたので、そんなに大変ではありません。
ひとつめの階段を登ると少し広い場所があって、更に階段。
広場の隅になにやら石>磐座かな
二宮金次郎さんがいらしたわ
拝殿へ続く階段
拝殿内部から本殿を見る(本殿キレイに写ってないじゃん…)
こじんまりした神社ですが、すがすがしい空気が漂っていました。
お参りはもちろん「本日の無事」を祈りました。
パンパン。
この神社から二上山へも登れます。
この神社の左手の道は二上山への登山道になっています
この道を挟んで稲荷社がありました
長年の行きたい処が行けて満足まんぞく。
登ってくる時にはなんだろう?と思っていた、
「産婆大西氏の碑」と「産婆梅塚氏の碑」。
なんで?と思ったけど。
胎盤を処理してくれたのが掃守氏ってのと関係あるのかもと思いいたりました。
(真実どうなのかはわかんないけど>ご存知の方は教えて下さいませ)
倭文神社のある高台からの眺め
倭文神社を後にして、ここからは歩いて當麻寺方面へ。
途中道の駅などでトイレ休憩とお買い物タイム(何も買わなかったけど)。
ここの農産物とっても安い!
ここが旅のゴールならばバカバカ買い込んだことでしょう。
あすかルビーが激安でした(涙)
道中長いし、今日は雨降るっていっているし、泣く泣く諦めましたが。
車で来ている方は楽勝で、お団子やら、弁当やら、野菜やら買えます。
おススメです。
村の辻にある地蔵堂がなんだかステキ
いたるところに中将姫のお姿が拝めました
石光寺に到着です
石光寺は中将姫ゆかりの寺。
中将姫が織った荼羅織の糸を染めた井戸があるという伝承があります。
石の光の寺という名前は、天智天皇の御世に光る大石が見つかり、
天皇の勅命でホトケサマを彫って祀らせたというのが始まりとのこと。
その伝承どおり、白鳳期の石造の如来坐像が出土。
境内には飛鳥時代後期といわれる塔の心礎もあり、古代からここが寺であったことが証明されてます。
砂で作った造形美「想観の沙」
中将姫が織った曼荼羅の糸を染めたとされる井戸
中将姫もひっそりとおわします
中将姫の後ろ姿
花の寺らしく美しい花が咲いてました
心礎跡の写真
出土した石のホトケサマ
丸いお顔で、ともて穏やかな表情です。
石仏
船に乗るホトケサマ 美しい…
牡丹も咲き始め
鐘楼
この時期に石光寺に来ることが無かったので、
こんなに花がたくさん咲いているのを見るのは初めて。
(なぜか寒牡丹とか、寒い時期が多かったので)
それでも牡丹やシャクナゲの盛りの時期にはちょっと早かったので、
GW直前くらいに行くともっと満開になっていたかと思います。
いつもはお堂の手前くらいをぐるっと回って帰るのでしたが、
今回は裏(?)の庭までぐるっとめぐってきて、本当に広い庭を堪能できました。
石光寺に思いのほか長居して(それくらい見るところ多かったから)
次へ移動。
道なりに歩いてきて、高雄寺跡へ。
初めて来たときはもっとうら寂しい中、急坂を登ったちょっとコワイ感じの所にある場所でしたが、
手前に家がたくさん立ち並び、オシャレなカフェなどもあり、変わったなあという感想。
高雄寺は役行者が開創(またかい!)したという古刹だけど、
現在は今は鐘楼と寺宝であった仏様を収納する収蔵庫があるだけ。
かつての面影はありません。
ここは管理しているお寺に事前予約したら収蔵庫を開けてもらえるってことだったのだけど、
電話したら「その日は用事があって無理です」とのことでした。
残念…。
石碑が残るだけの寺跡です
収蔵庫開けてほしかったなあ
厳島神社が隣接していました
そこから傘堂に向かいます。
いやー。ここも変わっていたわ。
昼間でも一人で通ると結構うら寂しい道で、
誰もいないよね?(逆にいる方がコワイ)って振り向きながら、
キョロキョロとあるくような道だったと記憶しているのだけど。
それがなんだか、片側がきれいに開けていて、
もう片側にはヤマブキの花が咲いていて、黄色い花のおかげで道が明るくなり、
あのうらびれた感じの道ではなくなってました。
なんだかきれいに整備されていて寂しい感がなくなっています
明るい道になったからか、長く暗い道だと思っていた道も短く感じ、
傘堂に到着。
一本足の唐傘お化けみたいな姿です。
傘堂
この建物は郡山藩主であった本多政勝の菩提を弔うため、
家臣の吉弘統家がたてたもの。
でも現在はこの堂の周りをまわると極楽往生できるという民間信仰がうまれ、
當麻レンゾの日はひとが多く集まる…とのことでしたが。
今日は誰もいませんでした。
當麻寺の中之坊で行われている『肌着加持』(下の病にならないようと願う人が、
肌着を持ってきて加持する祈祷法)があるので、
お練りの日にはそれとあいまって、ここにも訪れる人が多いって話だったのですが…。
今年から日程が変わったということもあるのか、我々が到着した時にはひっそりとしていました。
さて、そこから先の道は二上山への登山道となるのですが。
その登り口にある小高い丘にあるのが、鳥谷口古墳。
ここらへんからあいにく小雨が降ってきました。
今日は雨になるって予報だったので仕方ないですが、
午後から行われるお練りがどうなるかだけが心配です。
鳥谷口古墳看板
こんもりした丘?の中ほどに柵で囲われた石棺が見えています
大津皇子の本当の墓?の鳥谷口古墳の石棺
大津皇子の墓といえば、二上山のお墓が公式見解なのだけど、
実はここが本当の大津皇子の墓なのでは?というのが考古学者の見解だそうで。
前に来たときの記憶では、もっと低い所にあったように記憶していたのだけど。
(登っても、息が切れるほどの上り坂&落ちたら怖いほどの高さ、ではなかった記憶)
自分の記憶は役に立たないなあと実感。
ここの桜もいい感じでした
ここからは飛鳥京の方面も見えるのね。
『うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟とわが見む』
現実に生きている私は、明日からは亡くなってしまった弟を、
その墓のある二上山を弟としてみることになるのだな(詠み人:大伯皇女)
その山を鵜野讃良(持統天皇)はどんな気持ちで見たものやら。
鳥谷口古墳墳丘上から橿原方面への眺め
このまま山方面へと進むと二上山山頂への登山道となりますが、
ここで出会ったご夫婦は、そちら側からきていたようで。
あれ?二上神社口でみかけたご夫婦だわってびっくり。
我々があれこれ散歩しているあいだに、山登って降りてきて出会うなんて健脚だわ~。
我々は山へは登らず、道なりにくだって、當麻山口神社に行きました。
當麻山口神社です
二上山の山の口(いりぐち)にあるから山口神社?
そろそろ山ですよ~って場所なので、深い森の中って感じです。
燈籠でかい
一の鳥居(後ろの山が二上山)
桜が里にも残っていました
あとは午後の部へとつづく、當麻寺方面へ。
途中中将姫の供養塔というものを見て午前の部終了です。
中将姫供養塔
お昼ご飯はここからすぐそこの「小川亭」で。
その前にちょっと、手前の文晃堂をひやかして時間つぶしをすることに。
なんとそこで、午後から合流するオトモダチに遭遇。
びっくりした~。示し合わせたわけじゃないのに。
文晃堂は文房具と紙もののお店で、奥はギャラリーと喫茶。
本日はお昼ご飯は小川亭さんでいただくのでここでお茶飲めないけど、
ここであんみつ食べたこともあったっけ。
ほどなく予約した12時ってことで、小川亭さんへ移動。
「こちらでお待ちください」と通された洋室は、お洒落~な待合室でした。
お庭が見えて、ピアノがあって、なんだかとってもおしゃれ(としか表現できない)
待合室からお庭のながめ
ソファーも年代物っぽい
ピアノも年代物っぽかったですわ
次にいよいよ12時を越えて通された部屋には、
どどーんと御馳走がすでにスタンバイしていて、こういうお膳大好きだわ~!!
御馳走!
もう言葉少なになって、せっせとお膳の上のものを口に運びました。
おなかが満たされるとようやく、室内の様子に目を奪われ、
建物の中もトイレにいくついでに広い邸宅内を探検したりして(笑)
室内しつらえもステキ
床の間
違い棚
庭巨石…これどこかの心礎ってことは…ないよね?(汗)
塀を作ってから入れたのでは入らない巨石
おなかいっぱいになるまで食べて、食後のお茶を頂いて、
いっぱいしゃべってランチ終了。
一人で来たら敷居が高くて入れないところでも、
大人数ならば入れる!(笑)
そして午後の部スタートです。
當麻寺の北門(黒門)から入ってみると、お天気が良くないせいか人でも今一つ。
小雨は降っていましたが、雨が降っても練り供養会式は行われます。
ただし、その場合、曼荼羅堂(本堂)の周りをまわって終了となる簡略バージョン。
曼荼羅堂から娑婆堂へ向かってのお練りは中止されます。
でも今年は4月に行われるように変更してから初めてのお練りなので、
是非ともやってほしい!
でも、高い所にかけられた来迎橋を長居距離歩くのは、
ホトケサマの面をつけた人には難儀な話。
だから、雨降らないで~!!
と願ったんだけど、さすがの晴れ女のわたしも願い及ばず、雨降りました。
我々が歩く午前中だけはなんとか晴れてもらったけど、
午後は無理だったか。
係の人がしきりと雨の中、来迎橋を拭いていましたが、さてどうなりますことやら。
モップふきふき
そんな中「拝観のみなさまへ」というアナウンスの内容では、お渡りは行われるようです。
よかった~。
とりあえず4月実施の初めてのお練りってことで頑張っちゃうようです。
これを楽しみにしてきたお初の人(かすみさん)もいるんだから、やっていただけるのは有難い。
お練りの開始までまだまだ時間があるので、いろいろ見て回ることに。
どこに入ろうかと思ったけど、あまり入ったことがない千仏院にお邪魔させてもらいました。
塔と桜
ここはお寺というより、お庭を見るって感じでした。
その後もまだまだ時間があるので、境内をそぞろ歩き。
創建当時の塔が二つとも残っているのは日本でここだけだとか。
その塔も近くまで行けるのは東塔のみなので、
その近くまで寄って、その軒先を借りて少々おしゃべり。
そのあとで、お抹茶もいただけて、お庭も綺麗ということで、
西南院に寄せていただきました。
まずはお庭をぐるっとめぐり、裏山になっている高い所までぐるりと登って下りて、
建物と庭を望み、最後に建物に入ってお抹茶をいただくというスケジュール。
まずは庭をめぐります。
表玄関の部分から建物の下をくぐって裏庭に抜け、
そのまま裏山まるごとが庭園になっているお庭へと出ます。
その山の中を階段が作られているので登っていくという、
ダイナミックな庭です。
鉢植えの牡丹
ピンクのは芝桜?
和傘と牡丹
両塔ならびたち
ここから見る両塔が一番きれいなんだとか(当社比?(笑))
しかし、西塔の足元はブルーシートがかかっていて、現在改修工事中でした。
塔が傾いたらえらいこっちゃだから、足元固めておかないとね。
西の塔のもとは地すべり状態
本堂が見えます
裏庭の山から建物を正面から眺めます
雨が降って邪魔くさいのですが、
この雨が新緑を際立させているのでなかなかグッド。
なんでも良いように解釈することが大事かと。
シャクナゲ
ちょっと寂しいですが、花咲き始めてます
ぐるり一周して表に戻ってきて、
建物内に入り、書院でお抹茶をいただきました。
抹茶と落雁
雨に濡れて綺麗なお庭でした
ここで雨があがらないなあ~とかいいながら、
お茶をいただき、しばしくつろぎました。
しかし、しばらくして鐘の音が…。
はて、この時間に鐘なんて鳴ったの聞いたことがないなあと思ったら、
何やらお渡りが始まった模様(!)
げげ、すっかり4時からだと思っていたけど、
雨がやまないので急きょ30分ほど早めて始まったみたいです。
わたしたちが西南院を出て、お隣の護念院から出ているお渡りの道を見上げたら、
ご出勤の御坊様のお姿がありました。
ぎゃー、遅刻だわ>わたしたちが★
そしてキンピカ仮面のホトケサマもご出座
おちゃー、遅刻だ~。
さて、どこで見たらいいだろう?と思ったら、
何故か曼荼羅堂の基壇のあたりが空いていたので(ここ、雨が当たらない♪)
うわ~ラッキーということでそこで見学することに。
カメラマンさんたちは自分の撮りたい図のために場所取りをする必要がありますが、
お渡りを見るだけならば、高い所を通ってい行きますので、どこからでも見えます。
娑婆堂を目指すお練りの列
チビ住職様もオツトメです
そして勢至菩薩?観音菩薩??登場です
練り供養会式は、亡くなった中将姫を観音菩薩・勢至菩薩以下たくさんお菩薩様が
お迎えに来るということを、目に見える形で見せる(教える)仏教行事。
なので曼荼羅堂から娑婆堂にわたって、帰ってくるときには、
蓮台に中将姫を乗せてくるのだけど…。
二十五菩薩来迎図です
おつきの人にしっかり支えられてあるきます
足元怖いだろうなあ
お稚児様も戻ってきました
とりあえず、四月に変更第一回目のお練りは無事終了しました。
お練りに参加された方、足元の悪い中お疲れ様でした。
は~よかったよかった。
皆様に、お渡りの様子を見ていただけたわと思ったら、なぎちゃんが
「あれ?中将姫はどこにいた?」
「………?!」
なんかお渡りが行われたことで精いっぱいで、そこまで考えてなかったわ。
そういえば、かつて「晴れていて、お渡りがあった」時には、
中将姫の像が最初にお輿に乗って娑婆堂へ入られます。
その後、お練りのお迎えが到着したら、
観音菩薩さんの手にした蓮台に、
遷化された中将姫さんのお姿(宝冠阿弥陀さま)がのせられ、
中将姫様は極楽堂へと進んでゆかれます。
先を行くのが連台をもつ観音菩薩(中将姫をすくうのでスクイボトケ)、
その後をいくのが合唱ポーズの勢至菩薩(拝んでいるのでオガミボトケ)、
となります。
それ、自分のブログに書いてないかと探したら…無い!(涙)
だーかーらぁー、何でブログに記録しておかないんだ>自分。
今頃愚痴ってもしゃーないのですが。
(晴れていて、これを見たのは2017年)
とりあえず、2015年に雨が降ったときversionを体験した時のものは書いてあったので、それを見ると…。
この場合でも、蓮台の上には中将姫様の化身。
今回の写真をよくよく見ると、どちらも拝んでいる姿で進んでいるので、
お二方ともオガミボトケだったのですね。
ブレブレの動画しか撮れてないのですが、一応参考までに。
↓
こちらに上げてます
ホトケサマたちの着物やお面は濡らしても、
宝冠阿弥陀さま(中将姫さま)を濡らすのはNGということで、
このようなことになったようです。
終了後に見れば、来迎橋の上は結構濡れていて、怖かっただろうなあと思いました。
係の人がどんどん撤去します
今回は娑婆堂には近づきませんでしたが、
ここに安置されているホトケサマに久しぶりに会えました。
一年に一度は拝めるホトケサマ
今年は日付が変わって初めてのお練りでしたね
桜もまだ残っててくれました
とりあえず、夕日の中、二十五菩薩に伴われて昇天する中将姫という例年のお姿は拝めませんでしたが、
雨なのに来迎橋を渡ってゆかれる二十五菩薩さまたちが見られましたのでオッケー。
よいものを拝ませていただきました。
さて、もう主要行事が終わったので後は大雨でもいいわ~♪ということで當麻寺を辞することに。
夕ご飯の予約時間までにはちょっと間があったので、
寄り道して春陽堂さんを覗いたら、”ひめ餅”は売り切れでした。
ここ、中将餅とは違ってこの時期しか店を開けないようなのですが、
「帰りに買おう」と思っていると、帰り道には必ず売り切れでして(汗)
今まで一度もありつけたことがありません。
今年は、当麻寺駅方面から訪問しなかったので當麻寺に行く前に買えませんでしたが、
次回こそは(次回こそは!)と言い続けて早や何年。
一度くらいは買ってみたいもんですはい。
その後、相撲館けはや座へ。
ここで葛城市のゆるキャラ「蓮華ちゃん」がいたのでみんなで記念撮影。
その後、打ち上げをするために「はしもと商店」へ。
こちらは山口県で有名なそば、瓦そばを提供するお店ってことで楽しみ楽しみ。
帰りはすでに雨ざんざん降りですが、もう帰るだけなのでOK。
ひさしぶりにたくさんの人と歩いて、美味しいものたくさん食べて、
よい一日でした。
また皆様歩きましょうね♪
◆ ◆ ◆
そうそう、参考資料☆としてよいサイトをあげておきますね。
nakaさんのブログ2015年版>雨の中曼荼羅堂をぐるぐるバージョン
nakaさんのブログ2017年版>晴れお練りバージョン2017年
nakaさんのブログ2019年版>雨の中お渡り式バージョン
お天気と、お練りの歩くルート別に現在までに3パターンあります。
どれも貴重な記録ですね。
ご参考にしてください。