奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

明日香風吹いた

2009年06月28日 | 奈良大学お勉強日記
東京有楽町の朝日ホールに、飛鳥学講演会を聴きに行ってきました。

本日のラインナップは
木簡に書かれたヤマトウタ 上野誠先生
持統天皇の吉野宮行幸 和田萃先生
聖徳太子の考古学 猪熊兼勝先生
の三本です~(サザエさんかっ)

まずはつかみはOKの上野センセから。
登壇前に「上野先生は、万葉集の研究の…うんたらかんたら、
最近では、オペラ…なんちゃらかんちゃら…で、多方面でご活躍です」
と紹介され、すかさずそれを引き取って
「はい、多方面で活躍している上野です」
多方面ではないと思うんだがなあ…まあ、いっか。

とりあえず前半の90分間は、三人のセンセのリレー講演。

上野センセは最近相次いで出土した難波津歌の木簡を、
"歌会に出ることになった人が、本番で慌てないように、
一行に、キレイに、字を入れて、書き上げられるように、
練習をしたもんじゃないか"って説をうちたてました。→詳細はこちらを参照

一方、これらの木簡については「典礼唱和説」というものもあり、
この説は栄原永遠男先生が唱えているものですから、
上野センセは”学問上でケンカを売った”ことになります。
ま、学問上のことですので、いいのではないかと…。
(ちなみにこの『ケンカ』は、今年の卒業式の翌日に行われた模様。
だから今年は卒業式の写真が無かったのかなあ(笑)>翌日のことが気になって。
いつもはカメラ片手姿をどこかではお見かけするのに、と思っていたんだわさ)

難波津歌木簡は藤原京のみならず、石神遺跡からも、
観音寺遺跡からも、紫香楽宮跡からも出ていて、
中でも紫香楽宮跡の木簡は、裏面に安積山歌が書かれてた。

この「難波津歌」と「安積山歌」は歌を習う人がまず最初に習うもので、
基本中の基本らしい。日本人ならひらがな、ピアノならバイエルってとこか?

大鏡の中で、『難波津に咲くや木の花…の次はしっとるけ?』と
聞かれて「知らん」って答えた藤原行成の話があって。
そんな初歩的なことも知らないと返答した彼に、
周囲の人は興醒めして、嘲笑を浴びせたらしい。
(でも、藤原行成って三蹟と呼ばれた書の達人なんでしょ?
字が上手いのと、歌の知識とはシンクロしなくてもいいの?いやダメだろ)

難波津木簡のほかの利用方法としては、
みめうるわしい文字づかいを用いて歌を書き付けるってのもあるようで、
その当時の日本人の漢字の使い方でその当時の人の美意識も知ることができます。
(などなどの話があったらしい、別の講演会の内容はここで読めます。)

そんな話が手短に語られて、次なる和田先生にバトンタッチ。

持統天皇の吉野行きは度を超えていて、物見遊山じゃなしに、
真冬の厳格なときにも行ってる。はて、それは何でなのか?
まだ若かりし頃、自分と夫で逃避行(っていうか)をした
思い出の地だから?いやそんなロマンチックなことではなく、
大和には落ち水の信仰というものがあって、それを飲むと若返る(永遠のテーマ)。
吉野の水は清らかな水であり、持統天皇がそれを求めたんではないか…
って話もあったかと(うろ覚え)。
大和には海がないので、水垢りは普通海水でするものだが普段は海水で
水垢りは出来ないが、ある時になると海水が湧くとかそういう伝承もあるとか。
そこらへんの話は、後半へとつながっていきます。

そして最後は猪熊先生の聖徳太子の生涯。
まあ端的にいえば、聖徳太子はいたのかいなかったのか(笑)

この時のお話は生涯をざっと振り返るというものでしたが、
後半部の中では、実在VS非実在って話につながっていきました。
この論争の結論からいえば「厩戸皇子」は実在の人物だが、
「聖徳太子」という人物像はのちの人々の
太子信仰から生まれた想像像(理想像)ってことで。
いたことはいたけど、あんなんじゃなかったよって感じ。

お札になった聖徳太子像の服装は100年後の官服の姿だし、
二歳の時「な~む~」といったという姿は、平安時代の装束。
それらを見て「当時のこと」を真面目に議論しても無駄ってものでしょう。
まさに、百人一首の絵札の持統天皇は十二単を着ている(!)しな~。
そういうことか!!

しかし笑ったのが、天寿国繍帳の当時の人の装束で、
上着を着て、ズボンをはいて、さらにスカートを着ている人がいる!
(→右上すみの、仏さんとおぼしき姿の右隣りの姿参照)
と「先生が」驚嘆していたこと。

「こりゃ、今の女の人のカッコと変わりませんなあ~。
ズボンはいてるのに、スカートまで履いてるカッコして町歩いてる。
でもまあ千四百年前にはこういうカッコしてはる人もいたんで、
まあ、千四百年後にも流行ってるわ~って感じですわ」とな。
今日の自分の格好がまさにそんな格好でしたので苦笑。わはははは。

それでリレー講演会は終了。

休憩を挟んで、何故か「先生方の色紙プレゼント抽選会」へ。
どうせ当たりっこないよと思っていたけど、
上野センセの引いた番号は、ワタシの受付番号63番と
ニアミスの「65番」とか、逆の「36番」とかで、ちょっと残念組でした。
上野センセの色紙の文言は「良き人のよしとよくみて…」だったらしいので、
それならば卒論集にサインでもらったからいいや~★←すっぱい葡萄(笑)

そして三名で鼎談。司会はモチロン(?)上野センセ。
吉野は奈良の中でも、遠いところにあるところ。
奈良に住む人は「くんなかのひと」と云われるけど、
奈良盆地はくんなかとしても、山深いところは「サンチュウノヒト」らしい。
その中でも、ジモピーにいわせると、狭義のくんなか(笑)というのは、
二上山の雄岳と雌岳の間に日が沈むのを見ることが出来る人が
まっことの「くんなかのひと」らしい。
奈良盆地でも、比較的南方の方です。(ゆえに奈良大学は「くんなか」ではありません)

で、興味深いことを聞いた。
天川と十津川の人は、方言(奈良弁?関西弁?)がきつくなく、
標準語に近い話し言葉を話すんだそうな。
天誅組があったりして、他地域の人とも交流があったため?

それと、奈良県の中心部(地理的にではなく、繁栄している都市部)
からは遠いため、県内の人でも、若いうちから下宿をしたり、
県外に出たりして、遠くに出ることを厭わないらしい。

だから、水害に見舞われた時、新天地を求めて北海道へも行っちゃったワケ?
(エライ思い切りがいいな~と思ったけど)
新潟県内でも、新潟本土側は新潟弁だけど、
佐渡に行くと関西弁と関西イントネーションだもんな(遠投地のせい?)

あと、推古朝ってのはどんな意味の時代なのかとか、
藤原宮からは吉野の山並みが良く見えるけど飛鳥からは見えんとか、
吉野に6月30日に熊野灘の海水が湧いてくるとか、
聖徳太子が飛鳥←→斑鳩を通勤したのは無理!とかとか。
そんな話もありました(をい)

話は盛り上がって大成功のうちに終了です(簡潔なまとめ)。
本日も楽しかった。

あ~里心がついたなあ(笑)
今度はいつ帰ろう。
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歴史とメシ

2009年06月18日 | 奈良大学お勉強日記
きたる6月28日(日)に行われる、
飛鳥保存財団主催の『飛鳥学最前線』-考古・歴史・文学-
を聴きにゆかれる方、一緒にランチでもしませんか~。

まあランチっていっても、開場時間が12時なので、
ブランチって感じの早めの食事になっちゃいますが。

参加者キボー。
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新しいおべんきょう

2009年06月16日 | 奈良大学お勉強日記
奈良大学の科目履修生な筈なんだが、そっち系の勉強はさっぱりな今日この頃。
新しいおべんきょうに、なし崩し的に突入しております。

いや、単にホームページ作りに関するものなんですが。
かくいう私、1997年に初めてホームページをつくり、
以来ずっと保持しているのですが、引越しに次ぐ引越しで、
自宅にあったwebサーバ環境を手放すことになり
(てか、実際やってるのはダンナだが)、
今まで自分が持っていたサイト内容は、ジオシティやら、
インフォウェブやらの無料HPサイトを間借りして細々と続けてました。
それを久々に復活させようかな~と思って。

今から12年前に個人HPを持っていたんだから、
結構昔からやってるよな~。
なんてのは、自慢にならない。
今見てみると、とんでもなく旧式のままなのである>うちのサイト。

それもそうでしょう。
ホームページビルダーのお試し版を使ってせっせとつくり、
お験し期間が過ぎたのちは、なんと製品版を買うのではなく、
作ったサイトをコピーして、新しいページを量産し、
リンクの部分は手書きで修正しながら新しいページを作ってきましたんで。
どーしょもなく、センス悪い。
まあ、美的センスを問われれば、いい方だとは思っているんだけど(正気か?)、
いかんせん、自分が思っている通りのものを
実現するだけの能力がないので如何ともしがたいしがたい。うへ。

ソースから見ると、凄いことになってるのも重々承知。
なんせ、少ない知識で最小限のタグ使って、手書きでHTML書きましたから、
もしかしたら、凄く見にくいページ表示になっている方もいるやもしれん。

で。
そのあちこちに分散させたサイトを、このたび一括管理しようと思ったら。
ほぼ、すべてのページから、トップページへリンクが張ってあり、
しかもそれが絶対アドレスで記されているから、さあ大変。
ぎゃー。
それを全部相対アドレスに直すのに、気が狂いそうになりました。
(ページ数だけは無駄に多いので)

とりあえず、一箇所に集めて、リンクもはりなおして、
動くようにはなったんだけど。
いかんせん、ホームページ(文字通り、ホームなページ)の
20世紀臭い雰囲気が許せなくなった。

今時の、スタイリッシュ(笑)なTOPが欲しいよ~(涙)
とか云っていたらダンナに、
「んじゃ、Adobe Dreamwaverで作りなよ」と云われてしまった。
ど、ドリームウィーバーですかそうですか。

この、ドリームウィーバーってサイト作成ソフト、
実は法政を卒業する直前に「アカデミック版が買えるうちに!」
って駆け込み購入したものでして。
買ったはいいけど、そのまま放置になっていた(をい)
それを引っ張り出してきて使えと?

法政を卒業したら、スタイルシートとかの勉強しようかな
とか思って、勢いで購入したくせに、買った途端に放置。
それも5年間もですよ。ひどすぎです。

その放置の間に奈良大に入学して、あまつさえ卒業までしてしまった位の長さ。
(しかも卒業までにヒトの二倍)
そんなこんなでまたこのソフトに帰ってきたのね。
お待たせしたねえ。
今回こそやってみようか。
(やれよ、てか、やらねばならんのじゃ)

「で、今風のテンプレートってどうやって作るの?」
「そんなんネットで無料のをダウンロードしてきたらいいじゃん」
そっか。
あっさり解決。
何も今では全部自分で作る必要はなかったのです。
いい時代になったなあ。

適当に検索して、気に入ったテンプレートをダウンロードして、
ドリームウィーバーで自分用に改変してみたら。
あら、なんとなく、それ風にできちゃったわさ。

まあ、勉強といっても私の場合、コンピュータもので
マニュアルを読んで会得したものなんて一つもないので、
自己流で、触っていたら出来ちゃったという、
再現性のない、不確かな知識を元にやってますんで困ったもんですが。
もっと早くて、正確で、無駄の無い、正しい使い方があるんだろうけど。
今は、とりあえず、リンクが正しくはってあって、
今風になればいいや(笑)と。

そういえば、ドリームウィーバーと一緒に、
Adobe Flashも買ったっけ。
これはちょっとだけいじった記憶があるけど、
もうすでに忘却のかなた。
パラパラアニメだか、ムービーだかを作った記憶だけはある。

は~とりあえず、まずはココからって感じ。
すったもんだしたウチの新しいページは→ココからいけます。(宣伝)
見てやってくださいまし。
内容は全然変わってませんが(おい)
とりあえず、顔だけでも変えてみたかったっちゅうことで。
まだまだ改善の余地ありありなのですが。
取り急ぎお知らせまで、って感じ(謎)
あ、リンクミスとかあったら教えてくださいませ。

あとは新しいコンテンツ(奈良大学ネット支部会とか、
奈良検定おべんきょうサイトとか)もやりたいんだけどな。

真夏の積乱雲のようにドンドン膨らむ妄想。
付いていかないワタシの実力。
嗚呼!天は私を見放したか?!(ナンジャソリャ)

※で、妄想はともかく『教育学』はどうなったって?
きゃー、聞かんでくれい★
今が一番楽しいお年頃ってことで(謎)
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ひょんなことから

2009年06月13日 | 奈良大学お勉強日記
賀集利樹くんが国学院大に入学したってことを知りました。
(情報遅すぎです)

『昨年初めに伊勢神宮を見て、日本文化に感動し、
独学で学び、同10月に入学試験を受けた。』

自分は信じるものを持っていないし、歴史や文化も何も知らない。
これからグローバルな時代なので、まずは内から知りたいと思った


とのこと。
三十歳の区切りに大学生になるのもいいかな~
ってことだったので、すごくびっくり。

いや、三十でも六十でも勉強始めるのに遅くはないと思うけど、
芸能界で仕事をしている人間が、大学に通う(彼の場合は通学部)ってのは
結構大変なんじゃないかなって思って。
それでも始めてみようと思ったくらいなんだから、
物凄い惹かれるものがあったんだろうなあ。

あ。
国学院ってことは上野センセの後輩だ(笑)
がんばれ~賀集くん。

ふりかえって、自分のこととなると。
大学の勉強は今年度になってから全然してません(威張るな)。
さて、どうしたもんか。
まあ、あたしゃ気楽な科目履修生なもんだから、
そんなにあくせく勉強する必要はないんだよ(開き直り)

それより諸般の事情により、自分でお仕事を始める必要性に迫られており、
そっち方面の勉強をしなくちゃいかん状況に追い込まれつつある。
今更プログラマーとかやりたくないし、コンピュータ系で
飯は食いたくないし、てか食えるほどの才能ないし。
(才能がないことが判ったから、その業界離れたのに…)

で。
妄想ついでに「妄想RPG 卑弥呼の世界」とか作っちゃるねん!
とか云い始めてるアホアホさなのでありまする。
だから、ワタシゲーム業界の人でもないちゅねん。

いやいや、勉強を始めるのに遅すぎるってことはないんだから、
今からでもHALとか入って勉強するかい→せんだろう…。
だから、妄想は『卑弥呼の世界』だけにしとけってーの。

うーん。
科目履修生(博物館学芸員限定)って何年在籍できるんだろう。
アホなこと云ってないで、さっさと勉強に取り掛かった方がいいのじゃないか?

ひょーん(意味不明)
コメント (7)
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何ラー?

2009年06月11日 | 奈良大学お勉強日記
盛況だった阿修羅展が終了して、ほっと一安心ってところでしょうか>興福寺御一行さま。
いやいや、次の巡業先への移動準備を忙しくしている頃かな。

で。
会期中盤に知った言葉。
阿修羅に思いを寄せる人たちのことを「アシュラー」というらしい。
アシュラーねえ、なるほど。
そういえば阿修羅ファンクラブなんてものまであったんや~。
すっかり出遅れて、入りそこねましたが。
(九博ではまだ現在募集中だそうですので、いかがですか>九州の皆様。)

心を寄せる対象物+erで「○○ラー」。
古くは「アムラー」に始まり、マツラーやシノラーなんてのもありましたっけ。
今でいえば「しまむらー」ってのもあるか。

仏像は信仰の対象とかいって譲らない人からしたら不愉快極まりないんだろうけど。
ブツで遊ぼう(ブツ戯)」とか「見仏記」とかそういうものが好きな私としては、
そういうの「あると思います!」なのですが。
しっかし、いろんな言葉、作りますね。

新しい言葉といえば「歴女」というのもある。
歴史好きな女性で、歴女。
ナイス!

歴史といえばオジサマ人口が多かったけど、
そこに颯爽と現われた彼女達っていいなあ。
戦国もののゲームから入った人多しなんだろうけど、
結果として知識量も情報量もかなりある人たちだからして、ハンパないです。
入り口はどうであれ、歴史好き人口が増えるのはいいことだ~。

しかし、歴女の対象としている時代は戦国時代がメインだからして、
ワタシは歴女じゃないし、ワタシの興味のアウトオブ眼中。

誰か、作ってくれないですかねー。
大海の孤島倭国と中国・朝鮮の諸国との興隆史!
なんちゅう歴史ゲームあったら、やっちゃうぞ。
そんなん自分で作れって?
んじゃ、作りますか
>妄想で。

それはともかく。
アシュラーの皆様、秋は興福寺に集合ですわよ>ブツたち。
ということで、お越しやす、奈良。
まさか、出張で東京に来ていた優男に一目ぼれしたけど、
田舎に帰っちゃったらそれっきりなんてことはしませんよね、
アシュラーの皆様。
惚れた男の故郷まで、ひたすら追いかけて来て下さいませ。
(舞姫かっ)

東京では一人堂堂と(?)展示されていた阿修羅くんも、
興福寺国宝館では結構狭いところに詰め込まれて、
ちんまり立っていたりするから目立たないヤツだったりするし(笑)
是非是非、阿修羅くんの本拠地で、彼の姿を再び堪能してくださいませ。


※余談ながら冒頭の「何ラー?」を「なんらー?」と読めたら、
あなたはネイティブ新潟弁スピーカーです。
意味は「ナンですか~?」の意味ざんす。
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阿修羅ふたたび

2009年06月01日 | 奈良大学お勉強日記
先週末に友達と二度目の修羅展に行ってきました。
雨は降るわ、16時過ぎからだわってことで、
40分待ちとのふれこみでしたが、
20分少々で入館できることに。
会期終了まで間がないのにもかかわらず、
かなりの盛況ぶりは衰えず、でしたわ。

なんか、突然「ブツゾウ!」になってしまった友人Tと
「いつも上野来る時は雨だよね」の友人Hと一緒に入館。
あたしはといえば、例の「奈良国立博物館パスポート」での入館です。
これで東博にはもう一回しかパスポートでは入れないけど、まいいさ。

前回来た時には揃い踏みだった八部衆も、
奈良をそうそうお留守にはしてられないのか、
さっさとずらかられた方もいらっしゃって。
「全部いる時に見たかったなあ」
というTさんに
「大丈夫。いなくなったのはオッサンばっかだから。
イケメンたちはみんないるから、見られるよ」と堂々と言い放ったアタクシ。
失礼にも程があります。
そんな彼女は『五部浄』さまがタイソウ気に入ったようでした。

で。
問題(?)の阿修羅展示室は前回にもましての混雑ぶり。
今日の見学者さんたちはほんとに取り巻きしたまんま動かない人たちで、
係りの人も「一歩ずつ…」を繰り返しても全然進まない。

正面から『渦潮』の中にもぐりこんで、時計回りにまわるうちに
ぐるぐると中心部に入り込んでいき、何周か心行くまで
その渦潮の中に身をおいて、最後は遠心力で放りだされて、
次の展示室へ行くような動きをとればいいのに。

よく判らない「7時の方向」や「11時の方向」から
「出ますから開けてくださーい!」ってなんでやねん?

それこそ、阿修羅くんが回転陳列できないのなら、
見学者が強制回転観覧するような周り舞台を用意しておいたら
いいんじゃないの?と思うほどでした。
(ほれ、回転ドアの仕切り板とか、動物園の出口にある回転式の通路とか
棒がついてて、それが回って、その囲いの中にいる人を、
強制的に歩かせることが出来る造形物つけたらいいじゃんって感じ)

日光・月光の時は、日光・月光自体が大きかったので、
会場がもっとゆったりしていて、その周りをまわるスペースも
広めに取ってあったけど。
今回の阿修羅くんは、スリムで華奢な体格なので、
遠めで見るとまさに「カツアゲされている青少年」。
なんか痛々しかったよ。

しかし、二度目に来て判ったことはまさにこれ「阿修羅展」なんだなってこと。
何を云ってんだ?かもしれないけど、去年の目玉、日光・月光展示は
中心にしてクライマックスな場所だったけど、展覧会の名前自体は「薬師寺展」。
一方、この展覧会は、「興福寺展」ではなく「阿修羅展」。
会場トップで「え?玉?皿?阿修羅はどこ?」状態になってたから。
やっと仏像が出てきたのに、阿修羅いないじゃん?になり、
渇望状態が募っていたところに、別室にて「阿修羅登場!」のつくり。
こりゃ阿修羅あっての、展覧会なのだな~と。
しかし、こんなに興福寺の名前が前に出てないんだと、
「阿修羅がいつもいるのは何処?」と質問してもわかんない人、多いのでは?

ま、そんなこんなで、会場をぐるり一周して、
もう一回阿修羅が見たい!というTさんのリクエストで、
阿修羅会場へもう一回入場し、右斜め45度の確度をしばし堪能して、
二度目の「阿修羅展」は終了です。

前回は人の多さでげんなりして購入できなかった、
絵葉書などをチョイスして、今回二時間弱の滞在を満喫いたしました。

このラスト一週間は、閉館時間を午後八時にまで延長して、
ミナサマをお待ちしているようですので、まだの方は是非、
東京で会う阿修羅くんというものを体験してくださいまし。

で。
出口にあったパンフレットによれば、
国宝特別公開2009では、国宝阿修羅展帰山記念(笑)として、
『お堂で見る阿修羅』ってのをやるんだそうな。

普通は国宝館で展示されている像を、仮金堂に全員集合させて、
「お疲れさん会」というか「無事に帰ってこれてよかったねと涙の再会」
をやってるところを見せてくれるらしい。

仮金堂じたいは入ったことあるけど、これはこれでまた
オモシロい趣向なんじゃないかと楽しみにしてます。
10月17日(土)からだから、酔狂会の頃にはやってるはず。
ルートに入れませう♪

なお、阿修羅展は東京での会期終了後、九博へ巡回するので、
阿修羅くんが里帰りするのはまだまだ先です。
旅回りの一座も大変だわね。
コメント (5)
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