奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

さようならならだいがく

2009年03月31日 | 奈良大学お勉強日記
今日で奈良大学の正科生としての学籍が修了です。
ありがとう奈良大学。
四年も在籍させてくれて。
(お布施もしたけど)

とりあえず、年限ギリギリになることはなく、
四年で卒業できただけでもヨシとせねば。

四年間慣れ親しんだ学籍番号とも今日でお別れ。
来年度からは新しい番号がくる筈。

覚えられるかな(ボソッ)

ま、とりあえず一旦、しゅーりょー。
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来年度も奈良大生♪

2009年03月27日 | 奈良大学お勉強日記
博物館学芸員資格過程科目等履修生の登録手続きについて

という、中国語か?と思うような、なっが~いタイトルの書類が届きました。
学芸員の取り残し科目をやるんなら、科目履修生登録してねってことでした。

もちろん継続学習キボーってことで登録書類を出しときました。
これで、登録料3千円で、奈良大のはしっこに籍を置くことができます。
えがったえがった。

来年度も宜しく>関係各位。
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近所の古墳を歩こうかい♪

2009年03月21日 | 奈良大学お勉強日記
さて。
昨日の荒行とはうってかわって、本日は近所の散策(笑)
朱雀氏主催の、なぎさんちの近所の古墳をめぐろうかい?です(ウソ)。

前日に
「明日は何時に起きたらいい?」ってなぎさんに聞いたら
「8時でええやろ」
とのことなので、その時間までベッドで休息。
(しかしその実、朝まで殆ど寝られなかったのだな。理由は後日公表を待て!)

起きると元気になぎさんがお弁当を支度をしてくれて、
実にリッチな弁当が出来上がりました。
それを横目で見ながら私は朝食をいただき、昨日はひどかったねえ
なんてことを云って居りました。(ひどい目にあわせたのは私なんだが…)

そして、呑気に9時半近くになって出発し、天理駅についたのは一番最後。
まあ、地元ってのはそういうもんです(謎)

まずは東へとひたすら移動です。
天理駅からアーケードを抜けて一路天理教本部前まで直進。
途中左右の商店街を眺めつつ、おお、天理教の制服?
おやさまのみおしえの本専用の本屋?
などと商店街散策。和装のお店が多かったのも特徴かな。
(『天理教』って背中の法被を売っている店は見かけなかったのだけど、
あれは教会内でしか売らないor配布しないものなんだろうか?)

そして天理教本部到着。
大きさ&雰囲気としては、お東さん、お西さんって感じか?
(縮尺無視だけど)
実はココ、何故か紛れこんで入ってみたことがあるんだな、その昔。
夕方のおつとめをみなさん黙々としていたんだけど、
私は宗教的なその行動がわからず、
げげ、まずいと思ってそっこー退出してきたんだけど。
あそこは「来るものは拒まず」の精神なのかな?よくわからん。

天理教本部から南下して天理大学&天理高校を通り過ぎて、
本日の第一目的地、西山古墳に到着。
禿山の土饅頭のようですが、ちゃんとした古墳です。
なんでも全国の前方後方墳の中で最大規模の古墳だそうで。
築造時期は古墳時代前期(4世紀)と見られており、
同古墳が属する杣之内古墳群の中でも最も古い時期に造られた古墳らしい。
出展はwiki♪)

今更ではあるけど。
私自身は考古学専攻のつもりでいたけど、こうしてみると
「古墳」ってもの自体にはあんまり興味なかったんだな~とシミジミ(をい)。
確かに墳丘に登ってみると、オオって感動するけど、あの古墳に登りたい!
中に入ってみたい!って、あんまり欲求がなかったもんで(笑)

友達は大学を卒業してから、それまで神社・仏閣・古墳なども好きだったけど、
突然(と私には映った)城マニアに変身して、ことあるごとに城を見て回るヒトになったけど。
私の場合は、古墳マニアまではいかず、まあ嫌いじゃないよね~
程度のヒトだってことが今にして判ったことが収穫だったかも。

ここの古墳は、夏には草ぼうぼうになるらしいのだけど、
天理教の関係者によってそれをキレイに刈って貰っているらしい。
まあ今は、季節的にはまだ春浅いので、雑草も生い茂ることはなく、
枯れ草の上をすいすいと登山して
「お山の大将俺一人~♪」をやってみました。

前方部が低くて、後円部が高い、前方後円墳。
まずこの「丸」の方へ上りつきましたので、昨日の恐怖が再来です。
「これ、降りるんだよね。登りはいいけど、降りられるかな?」
心配はありません。
低いほうの前方部へと移れば、若干傾斜も緩やかです。
しかし、これ古代の作ったヒトも上り下りしたわけで。
結構きつかったと思うのだけど。

ここから西方を眺めると、見える見える。
わが故郷生駒山と、手前の矢田丘陵。
左手には二上山と、金剛葛城の山並み。
いいね~奈良にいる実感をこういう景色で感じます。

古墳の横には天理大の馬場があって、八の字をかけるような砂場がありました。
そうか、これはそういう砂場か。

その砂場をはさんで、もう一つ古墳。
塚穴山古墳だそうな。

横穴式石室で、上部がなくなっていて、その構造がバレバレの古墳。
石舞台古墳の天井石が無いバージョンって感じです。
しかし、この古墳の石が、かな~りデカイ。
最初は墳丘の裾から、えいやー!と上りついて、ぐんぐん登り、
上から、石室の中身を眺めていたのですが、降りてみろというので、
さすがに、天井部分からヤーって飛び降りるほどの勇気もなく、
ぐるっと回って低くなっている羨道部から石室部分へと入ってみることに。

四方八方かなりデカイ石が詰まれてるけど、天井の石がないので
閉鎖的な感じがせず、それがかえって高さを感じさせない。
でも入ってみると、かなり高いよ~この中。
周囲の石も小さい石の積み重ねではなく、ごろんごろんな一つ石を
組み合わせているものばかりだし。
はて、こんな石何処から持ってきたの?と思ったら、
再び「お~う~!(王さま!←批難の的)」です。
この二日間ですっかり、トップに居座るひとの苦悩よりも、
下々のヒトの苦労の方が身にしみて判った実地研修なのでした。

つぎなる目的地へ徒歩でテクテクしていると、若干登り気味なのだけど。
昨日の今日なので、へっちゃらかんがありあり。
まだ耕作準備がしてない田んぼ脇の道を歩きながら
「こんもり」「こだかい」土くれを見ると全部古墳に見えてくる(笑)
前方に3mほどの土饅頭が見えてきたから、
「これも古墳だよね~古墳・古墳★」
といえば朱雀氏が
「これも古墳です」
ほらね(笑)当た~りぃ♪←そういうレベルか。
保昌塚古墳って名前まであって、
天理大学歴史研究会でちゃんと調査されているとのこと。

奈良はちょっと掘ったら何が出てくるか判らないし、
ちょっと盛り上がったら墓かも~ってレベルだから、
ここに新築でもの立てるのって大変だろうなあ。
(個人が建築物を建てる場合は何か出てきても市町村レベルで調査してくれるけど、
商売で建築物を建てる場合に何か出てきちゃったら、調査を自費でしなくちゃいけないし、
出てきたもののレベルによっては「売り物」にならないこともあるしね)

次なる古墳は峯塚古墳。
雑木林というか竹林の中にあって、おお、開口部がって感じの古墳。
あまり奥に入ったところでもないし、そんなに薄暗くもないので、
一人で来ても腐乱死体になることはない場所とは思われる(謎)
ここは石室に入れるとのことで、ゾクゾクと中へ。
外の光もなんとか中に届く手度の暗さ(明るさ)

ここも巨石に囲まれた石室だけど、今度は天井があるせいか圧迫感がある。
けど、広々なので閉所恐怖症の私でも、ここなら閉じ込められても平気かも。
(いやそういう問題じゃない)

その次が農道の中から見えてきた小山。
西乗鞍古墳。
前方部と後円部が近接していて、フタコブラクダや、馬の鞍のように
見えることから「乗鞍」と呼ばれてる。

その西乗鞍に登る前に、麓(笑)の部分でお昼のご飯とあいなりました。
本日は昨日とはうって変っての快晴なので、
ワレワレ女性陣は日陰を求めて木の下のベンチを占領(笑)
なぎさんの手作り弁当はリッチかつ盛がよくて、
こんなにいっぱい食えるのか?と思いましたがモチロン完食★
ええ、腹は一杯になり、荷物は軽くなり、いい感じです。
後は足取りも軽ければいうことないのですが。

とりあえず、腹ごなしに乗鞍へ乗り込みです。
西乗鞍古墳は外側だけ見学の古墳。
中は掘られてないのでわからんらしい。
(別に入るのマニアじゃないからいいんだけど)

まずは高いほうから周囲を眺め、低くなっている鞍部分へ降り、
前方部に若かりし昭和天皇がここに来たという記念碑を見学。
残念ながら今では藪状態で、石碑があるわ~程度のものなんだけど。
ここに昭和天皇がこられたってことは、お供の方もいたわけで…。
今みたいに近鉄だの、新幹線だのが整備されている時代じゃないし。
ああ、またしても「御付のヒト大変」病が発症(笑)

西乗鞍を降りて、次は東乗鞍古墳へ。
ここは盗掘にあって、石室への開口部があるそうな。
みかん畑の中をつっきり、不思議な建物の脇をすり抜け、お地蔵さんに挨拶をしながら
竹やぶの中を入っていくとありましたありました。古墳って感じのもの。
確かに開口部はあるけど、ここ入るってか?!

入り口は狭く、ソンキョで入っても膝をつかないと入れなさそう。
その姿勢で進んで、数歩でそこから滑り台を降りる形で入るらしいのだけど、
昨日の雨で、入り口付近もドロ状態みたい。

先発の朱雀氏に誰も続くヒトがおらず。
そりゃそうだ。これは勇気がいるぞ。
「こういう時は若いヒトから!」ってことでショータさんが入り、
それが口火となって、ゾクゾクと入るミナサマ。
入った人から口々に「こりゃ入るべきだよ」との台詞が…。
ミイラ取りが木乃伊になる瞬間に立ち会いました。

しかし、私の今日の格好は「古墳もぐり」をするような格好ではなく、
しかもこのままの状態で、キレイな新幹線に乗って、大都市東京まで帰るという
重要な任務もあるのだよ。これが野良着で来てて、このまま帰宅するってんなら、
ドロドロになろうが、グチャグチャになろうが構わんのだが。
むむむ。
今回は残念ながら見送りジャ~。

したら中では「あのかるほさんがこないってんだから、よっぽどなことだ」
とか、云ってる声が。
どの、かるほか知らんケド★(オードリーかっちゅうの)

中には家形石棺があったようですよ。
まあ、こんな所まで掘ってしまう泥棒さんのパワーには脱帽だし、
暗闇の中懐中電灯つけて、ドロドロになりながら中まで探索してしまう皆様にもブラボーだわ。
『外観のみ見学可』
って書いてあるのに、中まで入ってしまう人々に乾杯♪(笑)

で。
しばし、古墳を忘れて山辺の道をテクテクと。
天理おやさと球場の前の道を通り、
皇紀2600年を記念して作られた新しい道って道しるべを左に折れて、
峠の茶屋「ひがし」が見えてきたら
そこから山道です。結構いい勾配。
とりあえず、暗峠の上り始めくらいの坂かな。

何もこんなとこを歩かなくてもいいのになあ>古代人。
もっと平坦な道でええやんって思ったのですが、
途中梅が咲いていたり、景色もなかなか良い。
この景色、万葉人も見たのかななんて、妄想を拡げると大いに結構。

山が開けたあたりが内山永久寺「跡」。
この内山永久寺。明治の廃仏毀釈でなくなっちゃったお寺だそうな。
明治なんていえば、飛鳥・奈良の時代から比べたら全然最近な感覚だけど、
ここにあったお寺がどんどん壊されて、今や畑の下になっている現状を見ると、
なんともはや、オソロシヤ。

興福寺も廃仏毀釈の時に、坊さんでは生きていかれへんからって
神官になって春日大社に転職したヒトがいたって聞いたけど。
ここの坊さんもそれにもれず、石上神宮の神官になって生き延びたらしい。
しかし、たて看板になっている寺の絵図が残っていたから、
当時の隆盛を極めた頃の姿を想像できるものの、これがなかったら、
伝説となった寺なんて判らんちゅうもんです。
(まだ、伝え聞きで記憶しているヒトはいるかもしれないけど)

その跡地ではおなじみの発掘風景が見られました。
連休の中日だってのに、お仕事とはお疲れ様です。
(まあ土曜日ではあったけどね。でも半ドンですらないのか)

休憩施設の建築で掘ってみたら、こんな状況ですから~ってことで調査中らしい。
調査後は当初の目的どおり、トイレ施設なんかになるらしい。

バイパス道を渡って、最後の目的地石上神宮へ。
ここからの道もまだまだ厳しいぞ。

池のわきの道を抜けて(池っていうか、あのこんもりは古墳かな?の外周なのかも)
横道から石上神宮へ侵入に成功。

すぐに見えてきたのが、摂社・出雲建雄神社の拝殿。
しかしここは先日放火の被害にあっており(怒)、
階段の前に「立ち入り禁止」看板がぶら下がっていた。
まあ、ぐるっと回って本殿の前に出ればそっちからは登れるのでいいのだけど。

みれば何箇所か黒くこげたところがあって痛々しい。
国宝になんてことしてくれんねん!
そんなヤツは○刑じゃ!!

楼門の向こうは拝殿。
今日も無事に歩けましたと御礼のお参りをいたしました。

しかし、石上神宮っていえば、国宝・七支刀だったり、
古代の武器庫だったり、物部氏だったりするわけだけど。
予想に反して「こじんまり」って感じが否めない。
初めて来た時は「え?ここだけで終わり?」
という気持ちを禁じえなかったわいさ。

もっと、デーんと、バーンと、巨大なものを思い浮かべていたのに。
このギャップ。ちょっと期待はずれでしたっけ。
まあ、橿原神宮とか、明治神宮とかの、あと作りのものを
念頭においちゃだめってことですねそうですね。

以上で本日の予定は無事終了しました。
そこからはオプショナルツアーへ突入。

明日は纏向遺跡で現地説明会があるってことなんだけど、
どうやら天気が怪しいらしい。どうせならば今から行っちゃえ!
ってことでそちらへ出かけるグループも。

私は前々から行きたかった天理参考館へなぎさんとともにGO。
天理参考館は、天理教が世界各国に布教をしていくうえで、
現地の風俗・習慣も知らねばならんっていう必要性から、
それぞれの地域の人々の生活や歴史を知りるために、
入手した文物を一般に見せてくれてるってもの。

一・二階は世界の生活文化。三階は世界の考古美術。
韓国・中国・台湾あたりの文化はなんとなく馴染み深いものだけど、
その他の地域はあまり馴染みもなく、まさにエキゾチック。

ここは閉館が早い(四時半)ので、最後の方は
ちょっと駆け足になってしまったけど、
お宝をたくさん見られて良かったです。

本日のピクニック予定も無事終了。
帰りは天理商店街を通って、天理キティをゲットするため、
おうちへ徒歩にて帰る(笑)なぎさんとは途中でお別れ。
お世話になりました。また寄せてね♪

無事商店街の中で天理キティをゲットし、
(鹿せんべいキティはゲットできなかったので近鉄奈良駅前でゲットした)
奈良でのミッションもすべて完了です。

今回は優雅に新幹線で帰って来いとのお達しがあったので、
学割を駆使して「新神戸」から帰ることに。

へ?と思ったみなさん、使えるものは何でも使え、でしょう。
奈良大の卒業式に出席だけど、帰りは新神戸からの乗車でも
大丈夫だったよ>JR西日本。

それというのも、近鉄と阪神を一直線に結ぶ線、
「阪神なんば線」が前日に開通したから~。
それに乗ってみようと思って~(笑)

私が奈良に住んでいるときにこんなものがあったら、
もっと頻繁に甲子園に通えたのになあ。
(って甲子園には二回しか行ったことないけど)
なので、天理からJRにて奈良へ移動し、
市中を眺めながら、近鉄奈良へ向かい、
そこから奈良-神戸を電車に乗って体感しようってワケだ。

もう今となっては、奈良から神戸へ移動することはないわけで、
このチャンスを逃すといつ乗れるか判らん…ていうか、
乗る必要ないやろ、になるわけで。

で。
最後の最後までドタバタしながら、東京へ帰り着きました。
(そのドキュメントは、→こちらで。結構無茶しました★)

この三日間、奈良を堪能しました。
現地でお世話になったみなさん、ありがとうございました。
また、一緒に「おべんきょ」しましょう。
※え?もうイヤだって?今度は平地を歩くからさ~★

楽しい『卒業旅行』でした♪
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ハイキングのつもりが苦行スク

2009年03月20日 | 奈良大学お勉強日記
昨日の華やかな式典関係が無事終了して、
本日は地味ぃ~に高取自主スクです。

奈良はあれこれ行ったけど、
この時期ならではの催しはないかと思っていたら、
あるあるアレが、高取が。

高取町でお雛様を各家庭が飾って見せてくださる催しが三月一杯
行われているというので、この時期を外すと見られません。
んじゃここで決定!

とりあえず高取といえば壷阪寺なので、そちらも行って、
あとは町中をゆるゆると歩けばいいのではないかと思っていた。

したら、なぎさんから「城行こう!城!」とのプッシュがあり、
メンツ的には「城マニア」はいなかったので除外してもいいかなって
思っていたのにもかかわらず、「んじゃ、折角壷阪寺まで登るんだから、
そこから先ってのもありか?」って思ったのが運の尽き(謎)
その後、再び大爆笑の行程となるのは当日になるまで知らなかったのでR。

さて、当日。
明方まで降っていた雨もあがり、なんとか傘無しでもいけるかと安心。
町中だけならばまだしも、山城に行くので、傘さしての行動は危ない。
とりあえず雨があがっただけでもめっけもん。

電車を乗り継いで壺阪山駅に到着し、面子も揃ってバスに乗車。
バスはゆるーい坂をゆるーく登り(自力で登るのはイヤだけど)、
壷阪寺前に楽々のまま到着です。

まずはバス停から山内に入る前に巨大な石仏さんの姿を発見。
そして山の向こうに見える「下界」の様子にしばし感動。

いざ、入山してあちこち見て回りますが、
ここのお寺はどことな~くエキゾチックな感じがします。

それもそのはず、石仏の大半はインドからの輸入品。
ライ病救済活動に尽力した功績を表して贈られた「天竺渡来大観音石像」や、
「天竺渡来大石堂」や「石像大仏伝図」なども現地で製作されたもの。
日本で作られたお顔とは全然違うものなので、違和感があるのだと思います。

でも日本の仏様とは一味違った雰囲気の仏様がたくさんいるので、
居ながらにして外国気分が味わえます。

てっぺんまで行くと涅槃像と立像が一度に拝める場所があり、
その光景は圧巻です。

しかし山の途中は風が冷たく、寒い寒い。
昨日の暑さとはうってかわっての天候なので調子狂います。
連休初日だってのに、周囲にヒトもなく、完全貸切状態。
それはそれで贅沢な空間でしたが、ちと寂しいね。

山を下ってきて、山門前で予約していたタクシーに乗り込み、
次なる目的地は高取城跡です。
なんでも日本三大山城らしい名城で、城マニアの間では大絶賛の城跡。

そんなに城マニアでもなんでもないのですが、
ここまで来たら、来たも同然じゃないとか思っていた私を、
完全に悔い改めさせたのは、その道の凄さでした。

もともとの登山道は反対側についている道で、
タクシーにてあがっていくこちらは後付けの車道ですが、
車道というか「自家用車は通ってもいいよ」って程度の道。
車道とはいえ、これを歩いて登る気には絶対になりません。

歩道は遊歩道が別に完備されているのですが、
山登りは絶対にイヤ!となぎさんが言い張るので、
そっちは今回は見送り(てか、私も登りはイヤだ)

で。
山道の途中でタクシーがふいに止まったので
「へ?」と思うとそこが、城の登り口でした。
車が止められるスペースがあるとのことだったので、
もっと整備された駐車場があるもんだとばっかり思っていた
私の予想をはるかに裏切る、すばらしい「行き止まり!」
道はここまで!後は自力で!!と見えない看板があるかのよう。

へ?ここから登れと?
ここで帰るという選択もありますが、
すでにタクシーは帰ってしまった後です。
登るしかないのです。これを背水の陣といいます(そうか?)
意を決して一同、その急斜面を登り始めました。

朝までの雨で山道は湿っており、登るのはいいけど、
降りるのはコワイよねなどと云ってガンガン登っていたのですが。
その本当のコワサはその後すぐに体験することになる。
(今は暢気に云ってるだけ~)

本丸はことのほか簡単に見えてきました。
すごい石積みが見えてきたら、登る気にもなるってもんです。
本丸、櫓は本当にすばらしく、在りし日の高取城を彷彿とさせました。
高いところに来たら、高みの見物。

本日吉野に向かったヒトたちのいる方向は雲ががっつりかかっていて、
「ありゃ雨かなあ。霞はかかっているよねえ」
などと暢気にヒトの心配。
(ヒトの心配してる暇はなかったんだよ、ホントは、ワレワレ)

その後、ぐるっと本丸周りを見て回り、次なる目的地に行こうと…。
行こうと…。
しかし、次は何処風の→看板みたいなものが存在しない。

仕方ないのでこういう時のために(?)
「高取城図」ってのもみつけたので印刷しておいた。
それを取り出すも、城の図なんて私が見てもチンプンカンプン。
「とりあえずこっち、いっとく~?」
のなぎさんの声に導かれて歩き出したその先は、
「城内散策」なんて優雅なものではなく、
山伏並みの苦行の始まりなのでありました。

嗚呼!なんということでしょう。(Before~After風)
その先は、山道だったのです。

何を今更って云われるかもしれませんが、
私の頭の中では、こんな図が広がっていたんですよ。→これね。
だもんだから、白亜の壁の間をゆるゆると下っていく優雅な気分でいたんだけど、
「ここはどこ?」「まだなの?」「まだ下界には着かないの?!」
状態のパニックに陥ってしまいました。

私だって、飛鳥のだだっぴろい空き地を見て、そこに古代邸宅やら、
古代寺院やらを想像してみることだって可能な能力を持ち合わせてますわよ。
しかし、城址郭図を見て、城復元図を想像することはできず、
しかもちょっと見ただけの「CG再現図」を頭に刷り込んでしまったのが敗因で、
雑木林と急斜面の現実に茫然自失。
嗚呼、今頃、後で・悔やんで・後悔・しても始まらんのだ。

それからは山道を黙々と下り、時にはつるっとすべってターザン状態。
「あ~ああ~」
ウルサイうるさい
>私です、山の雄叫び。

「このまま下山できなかったら、危ない中高年の山歩きって云われるんだよね」
「軽装のまま入山。食べ物を分け合って励ましあったとかさ」
「新聞の見出しになるよねえ」
「ほら、あの法被着た、消防団のヒトに山狩りされるんだよ」
「お騒がせしましたっていいながら下山してくるんだよね~」
楽しそうじゃねーか(笑)

いや、こんなことでも云ってないとやってらんないだけでして。
くだらんこと云っていたら、先頭を歩いていたなぎさんが
つるっといってしまいアセアセ。
し、静かに歩こか…と思っていたら。
山道で一番遭遇して欲しくないものにも遭遇…。

山中を駆け巡るかのような私の悲鳴に、凍りつく一同。
熊が出たか、ジャが出たか。

いえ、蛙なんですけどね、カエル。
しかし手のひらからあふれるくらいの大きさの蛙。
吉野の陀羅尼助丸の蛙風な風貌でした。
それが私の行く手にどっかりと座っていたからさあ大変。

実は私、蛇よりも蛙が嫌いです。
きっと前世では蛙に食われた蝿だったに違いありません(断定)。

どうやら昨日の「暑さ」でノコノコ出てきた割には、大雨&寒の戻りで
動けなくなってしまったようで。単に山道で立ち往生しているだけなのに、
人間に遭遇して叫ばれて、助けてもらえるわけでもない蛙の方こそいい迷惑。
しかし、びっくりしたのだよ、本当に。
久しぶりに、このサイズの蛙を、実物で見てしまったので。

この件ですっかり動揺してしまった私はその後も、
「ぎゃー」「ぎょー」と叫びつづけ、
あげくツルっと滑って、空中遊泳を始めた両手を、がしっと猫さんが
捕まえてくれた途端、緊張の糸がぷっつり切れてしまいました。

「ちょっと休憩しよう、休憩。冷却期間!」
となぎさんが、小休止を提案。
しばし、水分やら糖分をとって、心と体を落ち着かせることに。

がー、すんませんすんません。
こんな私が練った(練ってない)計画だもんだから、
こんな「目」にあうんだなと反省。(今頃反省しても遅いっちゅねん)

列の途中で叫ぶと隊列が乱れるので、小休止の後は一番後を歩くことに。
まあ、最後にいるのだから、いなくなったらそれまでってことで。
捨ててってくれてヨロシ。
※フツーしんがりは行列の要だろうに。あたしじゃアカンやん。

しかし、こんなヒト一人しか通れないような道を、天守閣まで登った
いにしえの人々のことを考えると、同じ体験をしている身としては、
「心中お察しいたします」な感じ。
下ってくるだけでこのザマなんだから、登りなんていかに大変かと。

「こんな所、いったん登ったら降りたくないよね」
「ちょっと下屋敷までお使いなんて行きたくないな」
「殿は駕籠に乗っているだけだからいいよねえ。家臣大変」
「駕籠かなあ?馬かなあ?」
「どっちにしろ殿は自力では上がらないからいいんだよ」
「城作るのに、こんな石どうやって持ってきたんだろ」
「人力?」
「以外に方法はないでしょ」
「(一同)こんな所に城を作るなんて、殿ご乱心だ!!」(力説)

斉明天皇だって土木工事大好き姫で、人々に「たぶれごころの溝作りやがって」
と散々非難されたけど。しかし、あっちはまだ標高が低いところの出来事。
こんな山に登るだけだって大変なのに、ここに城を作ろう!だなんて。
あの時代の殿になることはあっても、家臣にだけはなりたくないということで
みんなの意見が一致しました。

そして一時間以上下り続けて、下界の入り口「宗泉寺」の標識が見えてきた。
「こっち行くとお寺あります。ご朱印あります、だって」
「ううう、もう少しでも本線を外れたくないよ」
その標識からすぐに人家の明かりが見えてきたときの感動といったら…。
(注)まだそんな時間ではありません。
あれが山姥の家だったとしても、駆け込まずには入られないほどの感動でした。

あ~舗装の道路ってこんなに歩きやすいのね。
急斜面でも、足元を見なくても歩けるって素晴らしいことなのね。
いちいち、ナンにでも感動できる体質になったことが、
この苦行の一番の収穫だったかもしれません。

ようやく開けた人間の痕跡のある場所が砂防公園でした。
川が整備され、その両脇と奥の山手にかけて花壇が整備されていて、
キレイな花が咲いています。おお、人工的な場所だ~感動。

その山の麓の砂防公園にて遅い昼食をようやくとることに。
そういえば、下山の途中でお昼の12時のチャイムがなってから、
すでに一時間以上たってますから。
すきっ腹に流し込んだご飯と、甘いものがコタエタ。

その後道なりに下っていったら、
広い道(整備された車道)と狭い道(旧道らしい)に出て。
今までの反動から、広い道に出ることにした(これは間違いだったんだが)。
広い二車線の道路をテクテク歩いていったら、菜の花摘み放題の場所に出て、
係りのヒトから「摘んでって~」と声をかけられました。
「あれ?車はどこにおいてきたの?」
「へ?車?」
「どこ止めたの?」
「あ、私たちタクシーで山まで上がって、城行って、歩いて降りてきました」
ニコニコと答えたら、急に先方が「山?あそこから下ってきたん?」
と指差し確認。あの山と、さして、われわれの格好を見比べるおじさん。
「はい」
「その格好で?」
「はい」
「ほぉ~」
どうやら現地人も驚く”荒行”だったようです>我々。
確かに「消防団一歩手前」だったもんなあ。
自力で下山できてよかったよかった。

その後、道を左へ折れて、町中へ突入。
ようやくたくさんのヒトに遭遇できました。
朝の電車で乗り合わせたたくさんのヒトは、ほとんどが雛を見に来たヒトで、
壺阪寺へ行ったヒトはゴク少数。その後、城へ行ったのは我々くらい。
ヒトがこんなにいるぅ~なんてことまで感動する羽目に。

その後、武家屋敷門跡や、児童館公園に移築になった松の門を見て、
雛の展示をプラプラと見ることに。

今回の本来の目的はこれなのでした(笑)。
各家庭で所有されているお雛様を、玄関先や、通りに面した座敷に飾り、
みなさんに見てもらおうという高取町の趣向です。
今回で三回目。年々有名になって、訪れる人も増えているようです。

中には、娘がお嫁に行ってしまい、ひな人形を出すこともなかったけれど、
こういう催しがあることを知ったので、じぶんのところのお雛様も
見てもらおうかってことにしたご家庭もありました。

それぞれに、実家から贈られたり、親戚縁者から贈られたりと、
いろんな思いがこめられたお雛さまたちが並んでいました。
その中で『御殿飾り』のお雛さんが高取では多いな~と思いました。
先日、中野の民俗博物館でもみかけましたが、
一般家庭にこんなに普通にあるものではないと思っていたので、
ちょっとびっくり。明治よりも古いもの、おばあちゃんの嫁入り道具、
実家から初節句に送られたもの、などなど。
どれもこれも、エピソードが添えられていて、ステキでした。

たらちゃんとは帰京の予定から駅前でお別れ。
その後はまだ時間があるってことから小嶋寺へ。

この小嶋寺、小嶋曼荼羅が有名ですが、本物は奈良博に寄託中なので、
レプリカが見られます。まあレプリカでもいいかってことで行ってみたのですが、
ここにきて、今回の旅の仕上げにふさわしい場所であることが発覚。

ここの山門は高取城の二の門を移築した門で、
しかも特殊な建て方をしてあり、内側の瓦を一枚外すとバランスが崩れて、
倒れてしまうので、内側を外したら、外側を一枚外し、また内側を外したら、
外側を外す…ってのを繰り返して、瓦をおろしていかないと
門が倒れてしまうのだとか。

四時過ぎての拝観だったので我々のほかには参拝者もなく、寺宝独り占めです。
小嶋曼荼羅のレプリカの素晴らしさは当然として、
堂の一番奥には高取の殿様しか拝めない拝観のお堂があるのでした。
「お殿様は毎日ここへ来て仏様を拝んだそうです」
「毎日?!」
一同驚愕の事実。あの山を降りてきて?
「しかも、夜中の三つ時に拝観されていたようです」
「丑三つ時?!」
「とぉ~のぉ~!」
殿の非難ごうごう大会の再開です。
自分は輿に乗るか、馬に乗るか知らんけど、お供のものはどうしろっちゅねん。

「これが昔の高取城の姿なんですけど」(と明治初年の冊子を見せてくださる)
「あ~。さっき登ってきました」
「え”?」
「壷阪寺に行って、城に行って、あの山下りてきました~」
「そ、そうですか」
あはは。そうなんですう。
なので、あそこの山から毎日拝みに来た熱心さは買うけど、
それを支えた家臣一同の苦労を思うと、「とぉ~のぉ~!」な心境なのです。

これが、あの山を登らずして聞いた話ならば「ふーん。熱心な殿様だな」
くらいなもんですが。あの山を自力で下山した結果、「殿ぉ~!!」ですから。
現地じゃないと学べないものがあるってことですね。
まさに、奈良で学ぶ贅沢。
自主スクの成果、しみじみ感じえました。

小嶋寺を辞して南の山を眺めれば、はるかかなたに壷阪の立ち仏さま。
ああ、あんなところへも行ったのね。
しかも、その先にもドンドコ行ってみたのね。
その後駅前までテクテク戻って、本日の予定はすべて終了。
みんな各自電車にて無事帰り着きました。



今回の自主スクは「ハイキング」のつもりでしたが、
いつの間にやら修行僧の山篭りみたいになってました。
知らないってことは罪なのね。
ご参加いただいた皆様にはご迷惑をおかけしました。

んでもって、ここで更にお詫び。
「太い道」と「細い道」を間違えた結果、
花畑のおっちゃんに「笑って」もらえましたが。
あの花畑から曲がって入った旧道の十字路の武家屋敷の先に、
もう一つ、旧家老屋敷長屋門っていう絶世の観光ポイントがあるのでした。
児童公園と、武家屋敷門ばかり見て、なまこ壁のすばらしい
家老屋敷を眺めてくるのを忘れてしまいました。ぎゃー(叫)

距離にして、ほんのちょっと(武家屋敷の隣くらい)なのに、
下界に下りてきた安心感からすっかりぽっかり失念しておりました。

あのぉ~万葉ウォークの後に、あそこならば再来訪も可能かと思いますので、
ごめんしてくださいませ(拝)

これに懲りずにまたご参加を…無理ですか・ですね。
私ももう二度と行きたくないぞ>城には(笑)
武家屋敷には行っても。

今度は平場をあるきましょうぞ、皆様。
あははははは(笑って誤魔化すな)
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後夜祭はコスプレ(謎)

2009年03月19日 | 奈良大学お勉強日記
無事に学校での行事を済ませ。
さて、これからワタクシはお色直しをば(笑)
※卒業式にかこつけて、何をしようってんだ>オノレは。

式典には和服で参加したワタクシ。
実は、ガラゴロスーツケースの中には、
卒論集のみならず、袴一式が入っておりました。
なので、それをこれから着ちゃおうってワケだ。

卒業が決まらないうちから「卒業式なら袴だろ!」とか
盛り上がって、何をとち狂ってか自前で買ってしまった袴一式。
届いてみてさすがに「こりゃまずいんじゃないかえ?」と。

実は私、その昔、一度卒業式で袴を着用したことがあります。
なので一度くらいは体験してみたいってんじゃないんだけど。
そこはホレ、気の迷いだ、というか、気が大きくなってたんだ。

しかし、現実を前にしてさすがに通学部の学生さん達に混じって
ドピンクの二尺の着物は無いだろうってことで、急激に袴熱が低下。
私にだってそれくらいの分別はある。(←ぶんべつ、じゃないぞ)

本物の中に、偽者が混じったら(?)すぐバレバレで、
恥ずかしい思いするのは自分だってのはよーく判ってる。
しかし、しかし、折角買ったんだもん。着てみたいではないか。

とりあえず自前のモノだし、写真館で写真撮るだけでも着たいな~
と思ったので、よくある「卒業式パック」だの「前撮り写真」
だのを検索して、近所の写真館で写真だけでも撮る気になってた。

しかし、なぎさんが「袴も着せられるよ~。当日の天候しだいで、
どっち着るか決めたらいいから、どっちも送ってみたら」
とのことだったので、どかんと一式、
和服&袴を前もって遅らせてもらいました。

袴といっても、ポリのものなので高いものではない。
しかも、水洗いOKだから、汚れても平気だし、
天気しだいではあっちを着用しようかと思っていたけど…。
晴れてよかった(笑)当初の予定通り正絹の和服が着れました。
※いちお、晴れ着だし(←意味が違う)

そんなワケで、卒業式は大人しく(?)和服で。
その後の行事は、コスプレといわれようが、
仮装行列といわれようが、いいじゃんか!
どうせ、この後は酔っ払って、夜道を歩いて帰るだけなんだから。
その間にちらっと仮装行列を見たって、あっちも酔っ払いなら
お目こぼししてもらえるだろうって(何の心配だ)

で。
大学を出てから、某写真館へ。
「卒業写真パック」で申し込んであったんだけど、
現われたのがこんなんで申し訳なかった(笑)
しかし、嘘ついてないぞ、ウソは。
現役女子大生なんて一言も云ってないし、
年もウソついてませんから。

とりあえず、着ていた和服のままで写真をパチパチ。
ポーズを変えたり、背景を変えたりしながら数枚撮って行く。

その後、いよいよお色直し。
和服をひゅるひゅると脱ぎ捨てて、袴にお召しかえです。
これまたなぎさんが手早く着付けてくれたんだけど、
さすがにポリエステルの着物なんて着たことないからか、
「着崩れるね~」って感じでした。
やっぱ、着物は正絹に限るんでしょうか。

アップにしていた髪も下ろし、本来ならばでっかいリボンでも
つければいいんだろうケド(笑)
この時のために持ってきていた筈のバレッタをケースの中に
入れ忘れてしまったので、しかたなく、ちっちゃいクリップで
ハーフアップにしました。(ちぇ、やっぱ忘れ物したか)

そして、撮影再開です。
なんかさっきまでの大人しい感じのポーズとは異なり、
今回は「はいからさんが通る」のイメージなのか、
カメラマン氏が要求するポーズが、私には「キビシイ」ものばかり。

卒業証書を眺めてアンニュイな表情になったり(!)、
薄暗い部屋にスタンドの灯りの前で花束を抱えたり(!!)、
極めつけは、ふたたびの『おてもやん』ポーズですよ。

「はい、袖の此処を持って、手は此処と、此処。はい、カメラ見て笑って~」
って、笑っているのは私ではなくて、
カメラマンの後ろのなぎさんだっちゅうの!
何が嬉しくてこんな「おきゃん」ポーズなんだよ!
年いくつだと思ってんだよ!

しかも、「いいですよ~。はいもういちまい~。
ああ、お嬢さん、顔、もう少し右です~」
って…あなたは『みのもんた』ですか?
>お嬢さん。
うぬぬ。

撮ったからってすべての写真を残す必要はなく、
自分が気に入った写真だけをチョイスすればいいシステムなので、
こんなポーズとったって、
ぜーーーーーったに残すつもりはないけどな(キッパリ)。
なんでこんなポーズとらせんだろ。
時間と機材の無駄だと思うんだが。

しばし無駄な抵抗をしつつ写真撮影が終了。
あとは、モニタ画面を見ながら、どの写真を残すかをチェック。
和服と、ノーマル(かなあ)な方のポーズの袴を一枚ずつチョイスして、
出来上がり次第郵送してもらうことにしました。

あ~おもしろかった。
写真館で写真撮るなんて、結納の時以来だわさ(笑)
あの時はどーどーと振袖着て写真とってましたからねえ。
散々私のことを笑ったなぎさんだけど、
なぎさん自身、その写真館で見合い写真を撮って、
写真館の店頭を飾り、その写真で現ダーリンをゲットしたそうだから、
ご利益ありそうじゃん(謎)。←私に今更何のご利益が要るとゆうのだ。
ちゅうことで私の写真も「それなりに」お願いしますよ>写真館殿。
(今はいい画像修正ソフトもあることだし★)

この後、テンテンカフェにて食事会があるんだけど。
その前にジャマになるからってんでスーツケースを駅に預けてから、
あまりの暑さに「珈琲貴族」にて冷たいものを一気飲み。
ようやくヒト心地ついてTEN.TEN.CAFEへGOです。

ちょっと早い時間に着きましたが、入ったことない二階席で待ち時間が過ごせ、
河島英五氏関係の珍しいものも見られました。
そうこうしているうちにお時間となり、一階席へ。
順次メンツが揃って、とりあえず全員集合。

そして、サプライズとして今回のスペシャルゲストに、
「歴史地理学」のスクーリング教員、
土平先生がご参加してくださるとのこと。
他にも行事がある中、お忙しいからだでのご参加、本当にびっくりしました。

しかし、ここぞとばかりに、お話をさせていただいたり、
できたばかりの卒論集にサインを頂いたりしました。

お料理はバイキング形式で、うまそうなものたくさん♪
ここでも遠慮は無用ということで、片っ端から取らせていただきました。
飲み物は乾杯のビールのみがアルコールだった割には、
なんだか酔っぱらていたな~疲れてたからかな。

卒業生にはサプライズプレゼントもあり、
その上、土平先生からもおみやげがあったりと、
思いがけないものが手に入ったり驚きの連続。

驚きといえば、今回は欠席だったみぴ氏からは、
お店宛に花が届いておりました(気障ぁ~★)
この花をボクだと思って…ということで、花束を前に
みんなで今は無き、みぴ先輩を偲びました(合掌)ごっつぁんです。

そういえば、送る側は連続して体験したけど、
送られる側は今回が初めて。
今まで二回も予習していたわけだ。
今回参加された方は、既に卒業したヒト、これから卒業するヒト、
これから入学するヒト、編入ありの、初年度からのヒトありぃの、
四月入学生やら、十月入学生やら、ほとんどすべての入学年度・年次の
学生が網羅された感じで、すばらしき奈良大の縮図でした。

ご馳走のしめには、デザートとしてフルサイズのパフェがどどーんと。
最後の最後でテンションあがりまくりです♪
このために、わたしはご飯とお味噌汁もパスして、
(マメご飯と、筍ご飯だったにもかかわらず)
備えていたため、非常に美味しく頂きました。
ああ、満腹じゃ~満腹じゃ。

なんかお料理もまだまだ残っていたけど、
もらってくればよかったかな(なぎさんちで飲みなおしのツマミに★)

後夜祭も無事済んで長い長い一日が終わりました。
しかし、次の日にとんでもないことが待っていようとは、
この時の私にはあずかり知らぬことなのでありました。

とりあえず、卒業式当日の行事は無事終了♪
ご尽力いただきました皆様には感謝感激雨アラレです。
おかげさまで四年で卒業できました(笑)
今後ともご指導ご鞭撻を賜りますよう改めてお願い申し上げまする。
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三回目の卒業式(大謎)

2009年03月19日 | 奈良大学お勉強日記
平成21年3月19日。
嗚呼、いよいよこの日が到来です。
夢にまで見た(見てへん)
私の卒業式・私が卒業する卒業式・私が主役の卒業式が今日なのであります。

それというのも、第一期入学&第一回卒業生の出た18年度、
第一期入学&第二回卒業生の出た19年度とも、
卒業式には「父兄席」で講堂入りしたことはあっても、
「通信教育部」って設けられた席に座るのは、今日が初めてです。
(てか、フツー卒業式は最初で最後なもんだ)

あ~苦節四年。実に長かった気がするけど、過ぎてしまえばあっという間。
「卒業させてやるよん」「卒業式には来るのん?」
の連絡をもらってもイマイチ、信じがたいところがあって、
本当に卒業できるんだろうかと前日まで疑ってたくらいだからして。

何か忘れている気がする&何かやらかしそうだ、
と思いつつ、慣れた感じで夜行高速バスにて一路奈良へ。
高速バスは、今回、奈良交通バスの運行だったので、
鹿バスが東京までお迎えに来てくれたようで、お迎えご苦労!

夜中に東京を発って、早朝奈良へ到着。
そこから今回の奈良滞在期間にご厄介になるなぎさんちへGO!
なぎさんは玄関前にて迷子になりはしないかと私を待っててくれました。

到着して即、出来上がってきた卒論集に目を通して感動。
のんびりと朝ごはんなど食べて、そこからあわただしくお支度開始です。

わたしはといえば、自分では着られもしないくせに、
この日のために新調した着物をなぎさんに着付けてもらう算段をつけてたので、
着物一式をドカンとヒト箱送り付けてありました。
まあ、自分で出来るのは肌着を着るのと、足袋を履く位で、
あとは両手を『おてもやん』にして、ぐるぐる着付けてもらうばかり也。

事前に重ね衿をつけてもらったり、帯結びを決めておいてもらったりして、
手際よくグルグルときつけてもらっていっチョ上がり~。
さすが手馴れている人は早い&安い&上手い!(謎)

なぎさんちの床の間をバックに写真を撮るのが夢だった私は、
バシバシ撮ってもらって、気分上々。
その高揚した気分を保持しつつ、いざ奈良大へ。

駅までダーリンの車で送ってもらって、いざ近鉄へと思ったら、
持参するはずの卒論集が入ったスーツケースがまだ車の中!
バックして去っていこうとする車を慌てて追って、
ようやくスーツケースを「取り戻し」ました。
しかし、このポカはこの後続く、大笑いの連続のホンの予兆に過ぎなかったのでした。

さて、電車に乗り込んでヤレヤレと思ったら…。
隣に腰掛けた私の着物姿を見てなぎさんが「ぎゃー」と悲鳴。
「七五三」レベルの私には全然判りえないほどのショックが、
なぎさんを襲ったそうですが、それはご想像にお任せします。
(判る人にはすぐ判る)
まあ、必要なものはすべて身につけていたからいいんだけど。

とりあえず高の原の駅に着いて、
途中で合流したたらちゃんと一緒にタクシーで大学へ。
急いで通信教育部棟へ向かおうとして、再び手元にスーツケースがない!
慌てて運転手氏に合図を送って、トランクを開けてもらいましたが、
一度ならずも、二度までも。もうココまで来ると、笑いの連続です。

通信教育棟への坂道をあがりながら、この日はなんだかとっても暑い日で、
汗やら、冷や汗やら、悪い汗やらをたらたらかきながら、
通信教育等のトイレにて再度着付けにチャレンジ(理由は聞くな)。
恋も二度目なら~♪すこしは上手にぃ~♪のごとく、
帯も帯締めもキレイに結びなおして、
まるで何事も無かったかのように出来上がり。
ほっとする間もなく、講堂へと向かいます。

途中ゆずさんに出会い、一緒にお話していた事務方の方に
「お世話になりました」と云ったら
「まだ学芸員が残っているじゃないですか」
と返答されたのには参りました。あのぉ~私名前名乗ってませんがぁ。
そんなに有名人なんでしょうか(←否、問題児の間違いである)

気を取り直して講堂へ。
思えば通信教育部始まってからの卒業式はすべて参加してますが(ナニか?)
一階席に座るのが今日が初めての気がする…って、事実ですから。
入学式にも来たけど、あの時は入学生ですら二階席の、
父兄の皆様に混じっての席だったので、これが最初で最後の一階席。

前には見知ったお姿もちらほらと。
おお、皆様順当に卒業していかれるのねえとしみじみ。
前の方にはすでに独楽さんが着席しておられた。

そして、いざ、開式。

まずは卒業生に卒業証書授与。
まあ、近年、どこの学校でもそうなのかもしれないけれど、
女子の総代が多い。当通信教育部も当然のように女性でありました。

そして学長のお話、理事長のお話。ともにコンコンと
通信教育部の卒業生の事を、殊更のように褒め称えられていたことが
印象的でした。少子高齢化のここにきて、通信教育部はこれからの
奈良大にとってドル箱になることは想像に難くないので、
そんな方々の呼び込みのためには、実際の卒業したヒトの数ってのも
大変重要なもんだからして。悪い気はしませんが、ちと照れくさいです。

式はタンタンと進み、送辞&答辞、学歌斉唱も済み、卒業生退場。
そうそう、過去二回は送る側として眺めたあの『花道』を
今度は自分が通る日が来るなんて。ううう~感動じゃのぉ。
しかし、通信教育部、かなり早いんですのよ~退出が。
先輩達を見送ろうとしている在校生が花道に並ぶ中、
その真ん中を通らされるなんて、何の罰ゲーム?とか思ったものの、
見知らぬ『後輩』に『おめでとうございます!』って
声をかけてもらったら、照れくさかったけど、やっぱ嬉しかったよお。
「ありがとうございます」「ありがとうございます」
って連呼しながら、花道を抜けました。

そして、通信教育部棟で個別に卒業証書授与。
その前に学部生の授与式があるってことで、
先生到着まで一時間ほど時間があきました。
あいた時間を利用して、記念撮影タ~イム。

一番盛り上がっていらしたのが『05M』の皆様。
一年次から入学して、四年で卒業される、最短の方々ですから。
優秀な方々です。その嬉しさもひとしおでしょう。
私も、その方々に遅れることなく卒業が出来て本当に良かった。
ご一緒に四年間過ごせてとてもシアワセでした(って違うか)

そうこうしているうちに、授与式です。
どーせ私はあとの方だわ(05Pだし、名簿遅いし)と思いつつ、
他のヒトが三宅センセに一礼して、証書を受け取って、再度一礼して、
ってのを繰り返し見ていて、ヒトの振り見て我がフリ覚え。
列席のセンセ方には一礼はしなくていいって云われたけど、
見覚えのあるセンセ、お世話になったセンセ、点数頂いたセンセ(笑)には
足を向けて寝れない(?)ってことで、ちょこっとだけ会釈。
卒業証書授与も無事終了です。

通信教育部長の三宅センセからのお話では、
「通信教育部の学生に対しては、つける点数がどうしても辛くなりがち」
だとのこと。それを聞いて、なるほど私、自分が思っていたよりも
5点低かったなあなんて、今頃納得したりして(否、理解度が低いせいだからだよ)

いやそのホントの意味は、通信教育部の学生は、真面目に勉強をするので、
それに応えて、真剣に相手をしちゃうと、通学部の学生に甘アマに
点数をつけちゃうのに対して、厳しい見方をしてしまうってことなのだけど。
通信教育部を始めるにあたっては、教授の間でも否定的な意見があったけど、
我々の存在が通学部の学生に対してもいい影響を与えているとのことや、
実際これだけの入学者があり、卒業者が出ている現状を見ると、
やっぱり通信教育部を始めてよかったんじゃないかってことでした。

確かに奈良大学の通信教育部の卒業率は異常で、
あんなに素直にバカバカ卒業したら、
余分に金取れないじゃないねえ、と思うのだがな(笑)。

私みたいに、何年も在校して、金落としてくれて、
試験を受けず(当局に手間かけさせず)、
それでいて別料金のスクーリングだけはせっせと受けてくれ(増収増収)、
それでも卒業しそうもないバカ呑気な学生がたくさんいる方が、
学校にとっては「収益」になるからして(あはは)。
最短期間でさっさと卒業されちゃ、学校としてはいい金蔓がなくなっちゃうもん。

それでも、ちゃんと卒業するヒトがこれだけいるってのは、
入ってもちゃんと卒業することが出来るんだという証明だからして、
入学願書にもきちんとその旨明記することが出来るし、
何よりも論より証拠。
金だけふんだくってるワケではありませんよという証明にもなる(笑)。
だから、ちゃんと卒業するってことも、学校のいい宣伝にはなるのだな。
ちゅうわけでやっと、これで学校のためになることができたような気がします。

学位授与式終了後は茶話会に突入。
初めての卒業式の時も、茶話会に「乱入」したことはあったけど、
今年は正真正銘の卒業生だからして、何の遠慮がいるもんか!
ってことで、乾杯の時から食べ物周りのテーブルに陣取って、
乾杯もそこそこに、好きなものを食べまくり、飲みまくりました。
サンドイッチ、お寿司、肉、パスタ、サラダ、フルーツなどなど。
これで会費500円なのは、かなり学校から持ち出しがあるな。
おかげで、茶話会なのに、おなかパンパン。
今年は温かいおそばを見なかったけど、見かけなかっただけ?
まあ、お寿司の海老を三つイタダキマシタのでいいのですが。

その間に、理事長とお話したり、出来立ての卒論集にサインを頂いたり。
あげく写真まで一緒に撮っていただいたりと大変楽しく過ごさせていただきました。
大変楽しい四年間でしたというのがお伝えできてよかったです。

この後は秘密のミッションとして、某所でお茶をいただいたり、
看板の前で写真を撮ったりと、名残惜しい時を過ごし、
高の原の駅までガラガラとスーツケースを引きずって下ることに。

嗚呼、卒業式って楽しいもんなんだな。
また体験したいやって思っている私は通教マニア(笑)

一応、大学は出たけれど>科目履修生が待っている。
ちゅうことで、お勉強はまだまだ続くのである。

とりあえず、卒業しました!
やっぽー♪

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心はすでに奈良へ

2009年03月18日 | 奈良大学お勉強日記
とんでおりますが、未だに『忘れ物はないかしら』『本当に卒業できたんだろか』
とかとか思っております。
グダグダが最後まで持続した四年間でした。
継続は力っていうけれど、こんなもんが持続してほしくはなかったぞ。

さて、そろそろ出発みたいです。
目が覚めたら奈良県だっ!

では後ほど(謎)←でもないか★
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高取遠足段取り

2009年03月15日 | 奈良大学お勉強日記
いろいろと押し迫ってまいりました。
なんか、とりあえず、奈良に行くまではいろんなことが
手付かずのまま放置されている今日この頃です。
確定申告、明日までじゃん。ぎゃー。

では、高取遠足のおさらいです。
3月20日の高取遠征。
移動内容は、前掲載記事のとおりです。
必要とあらば、リンク先から地図の印刷をお願いします。
前半戦はひたすら山を目指して移動しますが、
午後からは下界に下りてきての移動となります。
各自夕刻以降の予定しだいでは、
随時早退可能ですので、時間の許す限りご参加いただいて、
後は頃合を見計らって各自自由にずらかって下さい★

集合場所は「壷阪山」駅。
壷阪寺行きのバスが9時45分にあるので、
それにちょうどいい電車時間というと、
橿原神宮前9:30→壷阪山8:37
というのがジャストヒットです。
(これに合わせる天理発は8:47分ね
>自分&なぎさん用メモ。平端9時発に連絡)

なので、現地集合ではありますが、
橿原神宮前駅では顔を合わせることになろうかと。

現在の参加者は、
なぎさん、ねこさん、りぃさん、たらちゃん、かるほです。
壺阪寺まではバスを利用して一足飛び。
その先の城跡までは体力温存のためにタクシーを呼ぼうと思ってます。
山までは結構あると思うけど、まあ5人で割ればそんなに高くないかなと。

時間的な問題から昼食は山頂でってことになろうかと思いますので
各自用意をお願いします。
(橿原神宮前駅内のコンビニやパン屋でも調達可能かと思います)
そうなると問題なのが天候なんだけど、とりあえず週間天気予報では
曇りとのことなので、大丈夫かな~。
山頂のことはもうちょっとリサーチしておきます。

では、奈良でお会いしましょう♪
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卒業記念自主スクin高取

2009年03月12日 | 奈良大学お勉強日記
あ~来週の今頃は卒業式の後夜祭やってんだわな~。
なんて思いつつ、その次の日の予定、です。

卒業式の次の日、3月20日(金・祝)に
高取町へ自主スクに出かけようと思います。

とりあえずのモデルコースどおりに、
壺阪寺駅集合→バスで壷阪寺へ→高取城跡へ
高取城跡→下山しながら、武家屋敷などながめ→下界へ
下界にて「町家の雛めぐり」を見学
時間が余れば小嶋寺へ。
各自自由解散、て感じで。

コースの全景は、こちらをご覧下さい

No1:高取城・壷阪寺散策マップ

町家の雛めぐりに関しての詳細な地図は→雛めぐりマップ

で。このコースの最大の問題点は、「山登り」があること(笑)
とりあえず、壺阪寺へはバスがあるので、それに乗っていけばいいのですが、
そこから先の城跡までのルートはひたすら山登りです。
地図上では50分になっていますが、さてホントにそれで行くかどうか。

ワタシとしては時間短縮と、体力温存のために、登りはタクシーを呼んで、
ちゃちゃっとてっぺんまであがって下界を眺め、
下りは自力でゆるゆると降りてくるのがいいかなって思っているのですが。

とりあえず、計画の提示まで。
ご意見求む。
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自主スク予定表

2009年03月11日 | 奈良大学お勉強日記
ちと気の早いことなんだけど。
平成21年度に向けての、奈良関係自主スク予定表です。

4月18日(土)(未定)
奈良国立博物館 国宝鑑真和上展
公開講座「鑑真和上と日本文化」 東野治之(奈良大学教授)
この頃吉野の桜でも見に行きたいな~(奥でも終わってるかな)

5月17日(日)
奈良大学・飛鳥保存財団連携イベント 飛鳥周遊ウォーク
今年は飛鳥資料館の入場券がついてません(!)
例年大行列で入るのを断念する人が多いからでしょうか。
今回は、去年までのことをふまえて、『奥の手』で飛鳥資料館に
入ろうと思っていたのになあ~(笑)
今回は定番地域の訪問なので、目新しさはないけど、ま歩いて安心地域です。

6月28日(日)
飛鳥学講演会 『飛鳥学最前線』 -考古・歴史・文学-
開場は東京です。
東京で奈良を感じるチャンスかと。

8月上旬。
博物館実習開催時における乱入オフ。
今年もあれば、ですが。

10月正倉院展『初日』
正倉院展を初日に観る酔狂な人たちの会(酔狂会)
この日を毎年定番にしましょうか…と。
初日の朝イチは結構空いているとの体験上に基づいて。


今のところはこんなトコ。

ちなみに飛鳥関係の申し込みは既に始まっています。
メールでもOKなので申し込みは是非お早めに。
ご一緒できる方はつるんで学びましょう(笑)

★★
で。
学芸員のテキスト科目のご予定は…未定です(汗)
とりあえず、科目履修生は気楽でいいやってことで。
今年は現地実習中心でいきますかね(をい)

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