11月18日(土)
さて、
運慶展を堪能して、次はよみうりホール@大手町をめざします。
『古墳時代の玉飾りの世界』なる講演会を聴講するためです。
上野からだから、地下鉄を乗り継いでいけば、
大手町C3出口直結のホールには楽勝でたどり着けそう。
本日雨が心配だったから、JRで行くよりもいいかなっと思って。
その前に腹ごしらえってことで、
上野じゅらくでご飯をたべようとしたら、
昼時で、しかも土曜日で、すぐに座れたものの、なかなかオーダー品が来ない(汗)
やばい!やっぱり食事している場合じゃなかったか。
とりあえずオーダー品がきたので、焦って食べて食べて慌てて地下鉄に飛び乗りました。
銀座線乗りの、三越前乗り換え。
楽勝楽勝♪と思ったのも束の間。
そういえば三越前ってすごーく乗り換え距離あるんだった!
しまった!!と思っても後の祭り。
銀座線から一回改札出て、走って走って半蔵門線へ乗り換え。
「ゲージュツの秋」だけじゃなくて、「スポーツの秋」も堪能してしまいましたわ。
トホホ。
ゼイゼイしながら乗り換えた電車をたった一駅乗って下りて、
ホームでC3出口を探すけど、今度は出口がわからない。ぎゃー。
行きつ戻りつしていたら知らない路線の方面へ出たり、うろうろしていて時間ロス。
改札口は抜けたけど、C3出口がわからない!
そう、直結とは書いてあったものの、ホームから出口まではすんごく遠いのでした。
盲点!!
ボロボロになりながら辿り着いたホールでは、お話がすでに始まっていたようですが、
冒頭は荒井知事のお話がちょっとあったようなので(おいおい、聞き逃しかよ)、
ハナシの核心には入ってなかったようでした。
ちょっと安心。
私が着席した時には、松浦武四郎が”勾玉”を首にかけてあちこちいってたので、
それを見た人のイメージで、「古代の人はああいう姿をしてたんではないか」というのが
定着してしまったというお話をしているところでした(?)
天岩戸で天鈿女命が首にかけていた玉とか、
古代史をテーマにした絵画ってのは、
何やら松浦武四郎の実際の姿から来ているらしいって聞いたんだけど、
そんなハナシでよかったんでした?>受講者の皆様。
ああ、遅刻が悔やまれる。
珍しくきちんと昼に食事しようなんて思うからこういうことになるのだよ。
(私は一人行動の時、見るもの、聞くもの、に忙しくて、
ほぼまともな食事をしませんので)
まあ、久しぶりに食べた、じゅらくの麺はおいしかったんだけどね。
もうちょっと早くに行動を起こしたらよかっただけのことだ。
なんて後悔してもしゃーないので、講演会内容に集中します。
基調講演は一時間ほどで終了。
その後はパネルディスカッション。
今回私が聴きに来たのは第三回古代歴史文化協議会講演会
『古墳時代の玉飾りの世界』というものでした。
レジュメはHPから公開されているので(太っ腹!)→
そちらからどうぞ。
今回のテーマは古代の玉について。
奈良大の卒論が『玉』だったために、このタイトルにビビビと来た私。
もともと、運慶に行こうかどうしようか悩んでいる所へ、
この講演会の告知を見つけちゃったもんで。
もし、これに行けば運慶展も行けるじゃん?って。
(いや、行けなくても、運慶展だけでも行けるのだが)
しかし、この講演会を見つけたときには、入場券申し込みの締め切り直前。
入場券配布は先着順なのでもう締め切られてるかもしれない。
ダメ元と思ってその日の内に往復はがきを出してみたら、
これが思わず入場券が返ってきてしまい。
こりゃ行かないワケにはいかない♪(テヘ)
って自分に言い訳して上京することにしました。
そのため出かけて来たのに…。
やっぱ冒頭から聞きたかったなあ。
いつもはモノ食べずに駆けずり回っているのに。
慣れないことするから、ダメなんだな。
ま、それはともかく。
講演会の中身は進む進む。
・玉の墓への副葬は西から入ってきた文化。
・大和には古墳時代になってからようやく玉を副葬するようになった。
・大和に勾玉が入ってきたのは遅かった?
・「管玉と勾玉のセット」は「鏡と武器のセット」よりも新しい副葬品。
・奈良にはもともと玉を副葬する風習はなかった?
・奈良の古墳は大きさに関係なく勾玉が入っている
≒被葬者の身分に関係なく入っている?
・5世紀になると日本の古墳から玉は消えるが、それとは逆に
朝鮮では古墳から出てくるようになった←鉄と交換した?
なんちゅう話を延々聞いていました。
ちょっとはしょるけど。
お話の中身は”玉は「政治的なアイテム」であった”という考え方。
私は玉を「精神的なアイテム」と考えているので、ちょっと違うんだが。
政治的なアイテムゆえに、冠位十二階などの”色”による位階が整備され、
それを見ることによってその人の「くらい」がわかるようになると、
かつて威信材として身に着けていた玉の価値が下がってゆき、
やがてそれらを手放したってことなんだけど。
そーなのかー(棒)
ふーん。
私の個人的な関心事って「何故古代の人間の体から装飾品としての『玉』が消えたのか」
ってことなので、今回の講演会はドンピシャなテーマだったんですが。
ずばり知りたいことは出てこなかったようですが(?)まあ、楽しかったです。
ほら、たまには文化的な生活したーい!って思っていたくらいだし。
こういうのたまにはしないと死んじゃうので(ウソ)
それはともかく。
玉ってキレイですよね。
ガラス玉とか、トンボ玉とか。好きだわ~。
早稲田大学のエクステンション講座で、「実験考古学」の授業を受講した時、
トンボ玉とか、管玉、勾玉とか作りましたけど。
どれ一つとしてきれいにつくれませんでした(汗)
古代の人は全部手作業なわけだから、こうやって作ったのよねと思いつつ、
熟練工ではないもんで、いびつな、形の悪い、ガラスの何かをこしらえて
帰ってきた思い出がありますが。
古代だったら即死刑になりそうな出来栄えです。
(あの頃のガラスは高価だもん。材料を無駄にした罪でサクッとやられそうです)
なんちゅう話はいいとして。
古代の日本人の体には玉や勾玉、管玉、耳環や、手玉、足玉、指輪などなどがあったのに、
何故日本人はそういうものをすべて捨て去ってしまったのか?
どんなココロの変化があったのか。
それ、もっと知りたいと思ってます。
(ちょっと真面目におわっとこう)