奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

メシとべんきょう

2010年11月30日 | 奈良検定お勉強日記
今週末(?え、来週初め?来月あたま?)
12月5日に認定セミナーを受けに行くわけですけど。
タダでは帰ってこないのがワレワレのミッション(って誰のこと)

勉強したら腹も減る。
ということで、疲れた頭を休めるためにも、食事会をしようかなと。

1級の認定支援セミナー終了後に5時ごろから食事会をしたいと思います。
先日ねーさんたちに連れられて、ワインをちびちびなめさせてもらったんだけど
(一番ワインを「味わっている」と云われた)
その類いで、ワインあけつつ、美味いもの食べたいなあって思ってます。

前から「TRATTORIA piano (トラットリア・ピアノ)」って入ってみたかったんだけど。
(東向きと、三条通がぶつかるあたり>南都銀行の向かい)
http://piano.syncronicity.co.jp/
ピザにワインってどうですか?

ここって、メシは美味いらしいけど、オーダーレスポンスがイマイチって意見が
未だに出ているのでちょっと心配は心配なのですが。
それと、ピザは種類いろいろ食べたいけど、一人で行っても
なかなか枚数食べられないし、大人数でこそ行ってシェアできればなあと。

あと、イタリアンだと

PONTE ROSSOとか
http://www.ponterosso.jp/index.html

オリーブダイニングとか
http://www.life-food.jp/olive_dining/index.html

あーあと、イルンガってのもあるけど夜は高いからなあ(笑)
あとおススメがあれば教えてください。
って個人的に、イタリアンな気分になってるだけなんで
ほかのモノでももちろんオッケーです。

奈良検定セミナー後の集いですが、別にどなたでも参加OKです。
気になる方は参加表明してください。
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勉強とマラソン

2010年11月24日 | 奈良大学お勉強日記
12月5日に行われる認定支援セミナーの受講票が届きました。
行くぞー、奈良。

でもでも、それより何より、前に目に入ってきたのが、
同封されていた「奈良マラソン2010交通規制のお知らせ」のチラシ。

おお、そういえば同じ日でしたっけ。
奈良女の北側がルートになっているけど、
お勉強中ワーワーキャーキャー聞こえるのかな。
勉強が身に入らなかったりしてね>Qちゃんも来るっていうし。

しかしそのチラシをじっくり見ていたら。
天理折り返しの行きと帰りには、天理のあたりで
山道があるではないですか。
これって素人にはキツイコースなのではないかと…。

でもダンナいわく
「フルマラソンを走ろうなんて人間なんだから、それくらい軽いだろ」
だそうで。
そんなもんですかねそうですね。

走る人、頑張って下さい。
ワタシは、勉強がんばる。
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奈良を学ぶ★二日目

2010年11月10日 | 奈良検定お勉強日記
さて、昨日に引き続き、奈良検定の体験学習でバスハイク。
本日は「都祁山の道を訪ねる」プログラムです。

しかし、参加する前にひと仕事♪
早起きをして生駒へGO!です。

というのも宝山寺の獅子閣が特別公開されているとのことで、
うきゃー!こりゃ行かねばってことでして。

実はわたくし、昨日の朝のうちにここへ行くつもりでした。
しかし朝イチの電車と新幹線を乗り継いでもキツキツタイトスケジュール。
一本でも遅れたらヤバイ状態だったので泣く泣く諦めたのですが。
よくよく考えてみれば、日曜の朝イチに奈良市から生駒へ出かけるなら
家から始発で出かけるよりは楽なのではないか?
計画を練り直したら、集合時間が9時10分なのが幸いして、
なんとかバスハイクの前までに帰って来れそう…。
(集合時間が9時だったらNGだったのだ>この時間設定に感謝だ)
よし、行くぜ!

ちゅうことで、早起きをして7時過ぎの電車に乗ってまず生駒へ。
生駒ケーブルに乗り換えたら、本日の行きは「ミケ」号でした。
ゴトンゴトンと5分で宝山寺駅へと登り、まずは宝山寺参拝。
8時を過ぎてから獅子閣へ。

獅子閣は明治に入ってから作られた木造洋風建築。
宝山寺の「迎賓館」としての位置づけとして作られた建物です。
雰囲気としては神戸の異人館風の建物なんだけど、
二階には「黄金の和室」があったりしてまさに和洋折衷。

ステンドグラスが美しかったり、階段が廻り階段だったり、
洋風な箇所はもちろんあるんだけど、断崖に舞台づくりされている
テラスは「長谷寺風」だったり、おさんどんの人が上る用の階段は
東大寺の急斜面風階段だったり、まさに和菓子屋が作る洋菓子な雰囲気。

本当はもっとゆっくり見たかったんだけど、20分ほどでおいとま。
宝山寺からの急な坂道と階段を飛び降りるようにピョンピョンと
駆け下り、なんとか予定していたケーブルカーに飛び乗れました。
これに乗れれば何とか奈良駅に戻れます。ほっと一安心。
近鉄奈良駅に着いたのは午前9時。
まさに綱渡りでしたが、なしえたぞー(笑)

その後は時間を気にしなくても、
あちこち連れて行ってもらえるバスハイクです。
楽しませていただきます。

本日のスケジュールは
「春日宮天皇田原西陵~光仁天皇田原東陵…太安萬侶墓~
三陵墓古墳群史跡公園~来迎寺…小治田安萬侶墓…都祁水分神社~氷室神社」
行くところは墓と、陵と、神社。
壮大な墓参りツアーですな。ははは。

まずは、近鉄奈良駅をバスは出発して10分ほどで原始林の中へ突入。
奈良ってスゴイところです。
県庁所在地からバスで10分も走ると原始林があるんだから。
山をうねうねと登って、春日宮天皇陵に到着。

はて?春日宮天皇って誰さと思えば、天智天皇の皇子・志貴皇子のこと。
奈良最後の天皇である光仁天皇が即位した時、実の父である志貴皇子を
”天皇の父”としてそれなりの地位にするべく
「春日宮天皇」を贈られたとのこと。

志貴皇子が亡くなった時に一度墓は作られていたものの、
それを改葬して、現在の陵に収めたんだとか。
本日の案内役・来村先生いわく
「風水的に見てとてもよいところに作られた墓です」
とのこと。

次はちょっとだけバスに乗って、その光仁天皇田原東陵へ。
天武系で皇位を継ぐ人が誰もいなくなり、
天智系に移ったという時に即位したのがこの人。
光仁天皇が即位したのは62歳の時。
かなりの長寿ですよね。
この人の息子ってのが、奈良を捨てて長岡京へ移っていった桓武天皇。

光仁天皇の墓も元々は聖武天皇の近所の佐保山に築かれたのだけど、
桓武天皇が「こんなとこイヤだ!」と、この人も父の墓を改葬。
(だったら最初からよい場所に作っておけと…)
大和全土をくまなく調べて見て「ここがいい!」と決定したんだとか。
ここも風水的に見てよい場所なんだそうですよ(笑)

次の太安萬侶の墓へは徒歩にて。
田舎の茶畑の、何でこんな急斜面から?って場所にありました。

昭和54年に茶畑を整備しようとしていて裏山を掘っていたら、
なにやら炭に囲まれた銅版が出てきた。
よくよく調べてみたら「げげ!太安萬侶の墓って書いてある~!!」
ここは史跡として指定されることになりました。

その出土地まで道が付いていて登れるのだけど、かなりの急斜面。
登るのはいいんだけど、降りるのが怖いような坂道でした。
道路から見上げた場所にある出土地は、
そんな高所ではないように見えるんだけど、
実際にその場にまで上ってみるとかなり眼前が開けて、いい場所です。
やっぱりここも風水的に…(以下略)。

ここで午前の部は終了。
バスで移動して、名阪国道の道の駅「針テラス」にて昼食をいただくことに。
普段は入ったことない二階の大食堂に通されて、奈良の鶏飯をイタダキマシタ。
「一杯目は普通に食べていただいて、
二杯目は薬味を乗せて出汁をかけて食べてください」とのこと。
ひつまぶしの食し方のようですが。
あとはこんにゃく炊いたのとか、ちょっちお刺身とか、冷めたてんぷらとか(笑)
おなかすいていたので全部おいしくいただきました。

午後からは都祁山道(つげやまのみち)へ。
都祁山道とは元明天皇が和銅9年に開いた、大和から伊勢へと通じる街道。
和爾下神社から東へ伸び、米谷・福住・都祁と抜けて東へ向かう、
現在の名阪国道と付かず離れずの道です。

まずは三陵墓古墳群史跡公園へ。
ここの古墳は知らなかったのだけど、
都祁の集落を治めていた5世紀後半の豪族たちの墓だとか。
ユーモラスな表情の古代人のモニュメントがとても目を引きます。
三つの古墳は、向かいのお山がきれいに見える場所が選ばれているようで、
古い古墳ほど良い場所をゲットしているようです。早いもん勝ちですね。

次なる目的地は来迎寺。
ここは中世多田氏ゆかりの寺で、創建はあの行基さんだとか(マジ?)。
平安後期には多田満仲一族が境内を開き、阿弥陀如来像を祀った
あたりからは信じられる歴史。
境内には百基あまりの五輪塔がゴロゴロと並んでいました。

本堂は本当に荒れ寺風で、破れた箇所に紙が貼ってあったり、
天井近くにビニールシートが貼ってあったり、
まさに唐傘オバケでも住んでいそうな風情です。
しかし、ここには詳しく書けないほどのお宝も所蔵してるんだとか。
おー、クワバラクワバラ。

そして本日二つ目の墓参り。
小治田安萬侶の墓です。
小治田安萬侶は奈良時代の官人。
実在の人の墓誌が出てくるのは極めて珍しいことで、
彼はこの地で火葬にされ、その場に墓が作られたということが判ってます。
(太安萬侶の場合は、あそこで火葬されたのかどうかは不明)
ここは、太安萬侶の墓よりも急斜面ではないものの、
やはり岡の斜面に立っているらしい。
現在はこの墓の前に人家が立っており開けた感じはしないのだけど、
墓が出来た当時は岡の斜面を背に、眼前に開ける光景がよい場所だったとのこと。

そこから徒歩にて都祁水分神社へ。
大和には宇陀、吉野、葛城、そして都祁と四つの水分神社があり、
どれも由緒正しい神社。
本殿の北には万葉集にも出てくる「山の辺の御井」とされる
湧き水の井戸が見られました。鬱蒼とした木々の中にひっそりと
水をためている池。なかなか趣がありました。

そしていよいよ本日最後の訪問地。
氷室神社。氷の調達を司る「氷池風神」の神社。
ここらへんは奈良市の中心部と比べて温度がかなり低いらしい。
なので、氷室が置かれていたというのも納得。
確かに生駒も大阪市内から電車に乗ってくると、
温度が2・3度違う体感あるもん。
境内の裏山では氷室の跡と思われるくぼみが残っており、
確かにこの地で氷が作られていたと見られます。

天気も悪くなってきて雨も降ってきたし、
あたりも暗くなってきたからか、どよんとした雰囲気が
おどろおどろしくて、「なんかいる」感じがしてよかった(笑)
神社は明るすぎてはいかんのだ。
神さまが出てきてくれないじゃないか。

ちゅうことで、無事本日のバスハイクはこれにて終了。
バスで奈良市内へ戻ります。
これが予定よりも一時間ほど早く着いたので、さてこれからどうしよう。
んじゃ、とばかりに、興福寺の特別開帳へ。

五重塔の初層開扉はこれで何度目かなんだけど、
今回の目玉は東金堂の後堂をぐるっと見せてくれるところ。
(背中を見て学べということなんですかね>仏像も)

東金堂は夏にも入ったばかりだけど、今回は前から拝むだけではなく、
右手から裏へ回ってぐるっと一周回れるようになっていました。
本尊の真後ろに隠れるようにして立っていたのが
正了知大将像(しょうりょうちたいしょうぞう)。

『金光明最勝王経』などに説かれる仏法の守護神で、
苦難を取り除き福を授ける神として信仰される。
東金堂の再建当初に後堂に安置されていたとのことだが、
平安時代に火災に遭い、踊り出て焼失をまぬがれたため
「踊り大将」とも呼ばれる。

残念ながら現在の像は創建当初のモノではなく、
室町時代に再興されたもので、普段は国宝館の中に収められているが、
今回の特別公開に際して東金堂にお戻りになられたとのこと。

この時、堂内で説明をしていた学生おねーさんが実に物知りで、
いろんな情報を出してくれたのが興奮もの。
「この十二神将さんはみんな靴を履いているのですが、
一体だけサンダルを履いているんですよー」とか
「この絵を奉納してくださったのが、石坂浩二さんで。
ワタシ石坂浩二さんって知らなくて、ふーんとかいってたんですよ」とか
「十二支を描いた板なんですけど、人間に害を及ぼすような
ねずみとかの絵は出してないんですよ」とかとか。
物凄いトリビアを披露してくれて興奮しまくりでした。

あと、坊様の集団がやってこられて
「おお、これが鬼子母神のダンナかあ」と例の正了知大将像を拝みぼそっと。
ええ?!そうなんだ。パンフレットにもそんなこと書いてないぞ。
「そうそう、二人でオコサマを500人も作ったという…」
ボソボソっと…えええ!(笑)
坊さんについていくといろんな話聞けてうれしいぞ。

その頃には雨はバカバカ降ってましたが、
バスハイクの前後にもあちこち見られて、
今日も一日あちこち行けて本当に充実してました。

もうどこも観れまへんって東向きでラーメン食べて、高速バスにて帰路に。
名阪国道を通って帰るので、本日二度目の針テラスというおまけつき(笑)
帰りはさすがに疲れてバスの中で居眠りしてました。

認定プログラムはコレにて終了。
あとは地道に勉強せねば。
コメント (2)
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奈良を学ぶ★一日目

2010年11月04日 | 奈良検定お勉強日記
行ってきました。久しぶりの奈良。
10月30日に行われる奈良検定の認定プログラム
『舞楽を楽しむコツ教えます』に参加するために。

久しぶりの奈良ですが、岐阜から出かける奈良は初めてだったので、
いろいろ検討して朝イチに自宅から出かけたらいいのではないかと決定。
5時に起きて奈良に行くなんて久しぶりでワクワクしました。

途中までは乗り慣れない在来線を乗り継ぐためちょっと緊張したけど。
京都にたどり着いたらそこから先は、勝手知ったる他人の庭(笑)
いつもは高速バスでたどり着くと朝イチだから、ほとんど無人の京都駅なのに。
その日は観光シーズン真っ只中で、一杯人がいてワラワラしてました。

近鉄電車で奈良へ入ると、本日の従来の予定の前に一つオプション見学。
元興寺禅室の屋根裏探検隊~♪に行くのです。

punipuniさんとyumekoさんに混ぜていただいて禅室の屋根裏探検です。
集合時間までに受付を済ませ、10時半から見学。
まずはヘルメットと懐中電灯を渡されます。
おお、人生初めてのヘルメット体験です。その姿はまるで現場監督。
お互いの姿に爆笑して記念撮影などします。

そしていざ「現場」へ。
仮ごしらえの階段を上ると、未知の世界。
禅室自体は以前、影向堂には入ったことがありますが、もちろん屋根裏は初めて。
というか、屋根裏を公開すること自体がお初なので、1300年祭様様です。
屋根は四室に分かれていて、まず第四室で説明を受けたのちに第一室方面へ移動。

屋根裏では、元祖・法興寺の頃・天武朝の頃・奈良時代の頃の部材が
あちこちに使われており、昭和の時代に行われた補修の頃の部材には
節が入ったり、ちょっとお粗末な木が使われてました。
昔はよい材木が手に入ったのに、時代が下るに従ってどんどん良い木が
入手できなくなったんだなあと判ります。

あと、ドラキュラが入っていそうな西洋風棺おけにぎょぎょぎょ。
なんでも、昭和の頃にこの寺を復興しようと尽力した和尚さんが
外国で客死され、その亡骸を納めて帰国したのがこの棺おけなんだそうな。

その坊さまというのが辻村泰圓。
元々は宝山寺の坊さんでしたが、荒廃している元興寺を再興させようと奮闘された方です。
この方は世界を股にかけて飛び回っていたけど、アメリカへ行ってるときに
亡くなってしまったため、彼の地の棺おけに入って帰国されたというわけ。

ということで帰国して仏式にのっとって葬式はしたはいいけど、
ご遺体を収めてきたその棺おけは捨てるに捨てられず、
処分に困って屋根裏にあげてまえ!ってことなんではないかと…。
(一般家庭においてもよくある話)

しかし途中、面白半分でかぶっていたヘルメットが役に立つことこの上なし。
足元に注意しつつ歩くのだけど、そうなると頭上への注意が散漫になる。
珍しいものに出くわして、そこへ向かって突進するたびにガン!ゴン!
メットは伊達や酔狂でかぶってるわけではないのでした。

はーオモシロかった。
終了したらまだ11時半前で、少し早いけど昼食をということになり、
サンルートホテル近くの「ヒサゴ屋食堂」にて”牛すい定食”を食べました。

牛すいって何ぞやといえば、牛すい≒肉吸いでして、
肉吸いを簡単にいえば「肉うどんのうどん抜き」(笑)
これ、関西というか、大阪、もっといえば、難波名物です。
詳細はこちらでどうぞ↓
http://r.tabelog.com/osaka/A2702/A270202/27002763/dtlrvwlst/465868/

ウワサには聞いていたけど、出汁がきいてておいしかったです。
久しぶりに卵かけご飯もおいしくいただきました。
汁も残さず全部完食!はー満腹だぁ。

それからようやく本日の最大の目標である「春日大社での講座」へ向かいます。
本日の内容は「舞楽を楽しむコツ教えます」

申し訳ないのだけど、舞楽というのはどういう風に見たらよいのか判らん。
おん祭りで寒い中ただ突っ立って見ているだけの舞楽の数々は、
どんなことを、どんな理由で、どんな意味を持って踊っているのかさっぱ判らず、
長時間見ているとちょっと退屈になってしまって、
そのうち寒さに耐え切れずに帰っちゃったことがあるので。
ならば、そのコツとやらを教えてほしいなと。

まずは舞楽についての講話と解説。
雅楽の元となった楽器はどこから伝わってきたのかとか、
平安時代に治部省に雅楽寮が出来て、三方楽所(さんぽうがくそ)ができたとか、
明治維新には三方楽所が解体され、宮内省(庁)楽部ができた、とかとか。

いろいろ聞いたんですのよ。
御旅所に置かれる巨大なダ太鼓は二つあり、その見分け方としては、
巴紋&金色&龍の太鼓は左側の太鼓で、
二つ巴&鳳凰&銀色は右側の太鼓とか。
雅楽は音程をとるのが難しいので、その音を合わせることを「音取(ねとり)」というとか。
(余談ながら、『某ヘキサゴン』では、雅楽を演奏する前に行う音あわせのことを
なんというかという問題では、答えは「打ち合わせ」ってなってた←現在も使うね)

しかし、しかしだ。
私が知りたいのはそんな細かなことではなくて、舞を見て楽しむほうなのだけど。

その後は舞楽装束の鑑賞。
ベースとなる衣装は、役人が着ていた袖のある、平安貴族が着てそうな上着。
そこに、よだれ掛けのような(をい)飾りを付けるのだけど、その飾りというのが
貫頭衣よろしく、長方形の布の真ん中に、丸く穴を開けた生地だったというのが衝撃的でした。
カントウイは現代にまで生き残っているのだな。

そしてその衣装の着方を実演してもらうのだけど、
面をつけるときだけは、モデルの方が退席しました。
それはやっぱアレですかね。
面を付けたら「別の人」というお約束があるから、
変身シーンは他人には披露してはいけないってことなんでしょうか。
(仮面ライダーのように、変身!って見せるようなことは謹まねばならんのかも)

その後、本来であれば若宮社に移動してから舞の奉納を見学する予定でしたが、
朝までの雨により野外での舞楽はムリということで、場所を移さず会場にて実施。
躍動感溢れる動きではない、所作が一つ一つ流れるような連続技で、まるで太極拳。
ありゃ動き回るよりもキツイんじゃないだろうかと思いました。

舞楽の方はお一人での舞いでしたが、
雅楽の方は四名入られて、その生演奏つき。
どっちかっていうと、舞楽よりも雅楽生演奏にかぶりつきになってました。

結局、どこをどう見たら舞楽自体を楽しめるのかはよくわからんままなのだけど(をいをい)。

蘭陵王(らんりょうおう)と納曽利(なそり)は、大和舞に属し、
おん祭りの中で行われる競馬でどちらが勝ったかによって
蘭陵王が先に舞われるか、納曽利が先に舞われるかが決まるとか。

そーゆーキマリごとがあって、見る人が見れば「ああ、今年の結果はそうだったのね」
というのが判るらしい。ツウならではの楽しみですな。
(私はそこまでは達してないけど)

講座終了後は修了証をもらって、次はお寺めぐりです。
まずは不空院へ。
新薬師寺へ向かう途中にあるお寺で、いつもは開門されてないのだけど、
今回は1300年記念で開いてました。

ご本尊は不空羂索観音さま。
東大寺三月堂、興福寺南円堂とともに、三不空羂索観音といわれているとか。
今は無くなってしまっているけど、ここには八角堂があり、それは興福寺の南円堂が
建てられる前にこの地に空海が建てた、試みの八角堂らしい。

通りから見てはいたけど境内には
「えんきりさん」と「縁結びさん」の神さまをお祀りしており、
そのことから「駆け込み寺」としての機能もあったらしい。

さてお次は新薬師寺。
いつもは境内のどこかにいる猫がいるのが、今回は見かけなくてちょっと残念。
でも、香薬師如来立像の写しが公開されていたので、じっくりとご対面。
普段は庫裏の隣の香薬師堂におわすのが、
今回は特別に本堂のバサラのお膝元におでましになってました。

第二次世界大戦のさなか、盗難にあって行方不明になってしまった仏様なのだけど、
この写しが作られていたので、それを特別に公開。
飛鳥の金銅仏らしいふくふくとしたお顔で、ああ、現物はいまどこに。
(時節柄、供託されて大砲の弾になんてなってなければいいのだけど)

あと、何故か「おたまさん」を拝めるラッキーなハプニングも。
おたまさんとは俗称ですが、影清地蔵尊の体内から
昭和59年に発見された裸形のお地蔵様で、まっぱだかです。
ゆえに、ミケランジェロの像よろしく…(以下略)ってのが”その名”の由来。
別料金で会える(笑)と思ったんだけど、何故か今回はそのようなことを
言われなかったので、これもある意味特別公開ってことか?

無事本日の寺めぐりを終了です。
しかし今日は土曜日。
短い奈良の夜でも、今日は奈良博が7時まで開いている日だ!
ってことで、ぎゅうぎゅう盛り込みツアーとしては最後の最後に正倉院展を組み入れ。

レイト観覧だと、料金が安くなる&おまけがもらえるということで、17時半近くになると
レイトに並ぶ人の待ち行列が出来てましたが、そんなヒマはないとばかりに
さっさと観覧券を握り締めていざ出陣!

今回の目玉はなんといっても「螺鈿紫檀五弦琵琶」(呪文のようだ)
思ったよりも第一室の入り口付近が混んでないなと思ったら、
琵琶が部屋中央にあって、それを一番前で見るための渦巻状の行列が出来てました。
一番前で見られるまでに一時間待ち?
はあ~?
裏面はその行列に巻き込まれない方向からちゃんと見えるし、
表(弦が張ってある方)だって、近くまでいけるスペースはある。
何でみんなこんな行列に並んでいるんだ???

今年は、第一室の左奥が吹き溜まりになってなかったのはこのせいかも。
まあいい混雑整理対策なんではないでしょうか(笑)
私はサクサク進んでほかのモノを見学します。

「スッポン」とか「色絵紙」とか「リボン付きバレエシューズ」とか
夏休みの宿題でよくやった、歯ブラシと網で浮き出させた写し絵とか興味深かったです。
昔から婦女子はレターセットとか、手漉き和紙とか、匂い袋とか好きだったんだなあ。
あと、道鏡の親筆ってのは「あら、あんがい××な字だわ」とか思ったり(笑)

一時間半ほど宝物を堪能して。
知識で頭を一杯にしたあとは、腹を一杯にすべく「ジェントリー」へ。

ここでねーさんたちのワインを意地汚くも味見させてもらいつつ、
ピザやパスタを上品に食べ(笑)
奈良ばなしに花をさかせ、奈良検定の将来に想いをはせたのでした。
むふふふふ~。

そして本日のお宿は奈良では珍しいゲストハウス>ウガヤゲストハウス。
外人さんに話しかけられたらどうしよう…とか思いながらチェックインしたのに
ベッドに案内されたら、すでに他の方は寝ておられました。がっくし。

バスタブは使用禁止でシャワーのみなので、例によって銭湯へGO!
宿から2分ほど西へ行ったところで、夜11時まで営業のはずなのに
行ったらばーちゃん連中に、
「ねーちゃんあんた一人やからハヨ入らなアカンで」
「タオル持ってんのか?」
「洗面器はそこの持ってってな」と散々いじられたよ。
タイルも天井もきれいなお風呂で、電気・泡・バスクリンと多種あり、
サウナもあって大変キレイ。気に入った~。

朝が早かったので宿に帰ってゴロンと横になったら、すぐ眠れましたわ。
明日も楽しい一日が待っております。
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