各報道機関で発表されていますが、新見公立大学・短期大学(旧新見女子短期大学)の本館と体育館が改築されることになります。
どちらの建物も旧新見商業高校時代からのもので、本館は昭和37年に体育館は昭和44年に建てられ、かなり老朽化しています。
僕の研究室は、本館にあるため、改築工事に伴い、引っ越しが必要になります。
16年間過ごしたこの古い本館の研究室。いろいろな思い出が詰まっています。
また、それと同時に、いろんな物にあふれています。
この引っ越しを機に、大整理を行い、新しい研究室では(また、その前の仮研究室でも)、すっきりした環境で仕事ができるようにしたいと考えています(できるかな?)。
この研究室で過ごすのもあと半年あまりになると思います。
僕は本学が初めての専任教員としての赴任校でしたので、初めて自分の研究室を持ったときの感激もこの部屋で味わいました。
この部屋で、いろんな仕事をし、学生・同僚・お客様など様々な方々が出入りし、多様な話を聞き、いろいろと考えるなど、僕の人生の時間のうち、かなりの時間をこの部屋で過ごしていますので、この空間がなくなってしまうということには一抹の寂しさを感じます。
2000年10月6日に発生した鳥取県西部地震では新見市内もかなりの揺れを感じましたが、その地震発生時もこの部屋の中にいました。おそらく古い構造のためだと思いますが、ひどい横揺れとミシミシという音を感じ、本棚の上の段の本が落ちてきましたが、あのひどい揺れを耐えてくれました。
旧新見商業高校の卒業生や元教職員の皆様にとってもこの本館と体育館は大切な思い出の建物だと思います。
また、新見女子短期大学・新見公立短期大学の卒業生や元教職員にとってもそれぞれの大事な時間を過ごした場所のはずです。
本館の半分は、夏頃、解体が始まる予定です。
それまでに、ぜひ懐かしい学び舎を見にいらして、その姿を瞼に焼付け、写真に納めておいてください。
僕も今のうちから写真を撮っておこうと思っています。
どちらの建物も旧新見商業高校時代からのもので、本館は昭和37年に体育館は昭和44年に建てられ、かなり老朽化しています。
僕の研究室は、本館にあるため、改築工事に伴い、引っ越しが必要になります。
16年間過ごしたこの古い本館の研究室。いろいろな思い出が詰まっています。
また、それと同時に、いろんな物にあふれています。
この引っ越しを機に、大整理を行い、新しい研究室では(また、その前の仮研究室でも)、すっきりした環境で仕事ができるようにしたいと考えています(できるかな?)。
この研究室で過ごすのもあと半年あまりになると思います。
僕は本学が初めての専任教員としての赴任校でしたので、初めて自分の研究室を持ったときの感激もこの部屋で味わいました。
この部屋で、いろんな仕事をし、学生・同僚・お客様など様々な方々が出入りし、多様な話を聞き、いろいろと考えるなど、僕の人生の時間のうち、かなりの時間をこの部屋で過ごしていますので、この空間がなくなってしまうということには一抹の寂しさを感じます。
2000年10月6日に発生した鳥取県西部地震では新見市内もかなりの揺れを感じましたが、その地震発生時もこの部屋の中にいました。おそらく古い構造のためだと思いますが、ひどい横揺れとミシミシという音を感じ、本棚の上の段の本が落ちてきましたが、あのひどい揺れを耐えてくれました。
旧新見商業高校の卒業生や元教職員の皆様にとってもこの本館と体育館は大切な思い出の建物だと思います。
また、新見女子短期大学・新見公立短期大学の卒業生や元教職員にとってもそれぞれの大事な時間を過ごした場所のはずです。
本館の半分は、夏頃、解体が始まる予定です。
それまでに、ぜひ懐かしい学び舎を見にいらして、その姿を瞼に焼付け、写真に納めておいてください。
僕も今のうちから写真を撮っておこうと思っています。