山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)

英語教育、国際姉妹都市交流、ジョン・スタインベック、時事英語などの研究から趣味や日常の話題までいろいろと書き綴ります。

日本メディア英語学会Newsletter No.120が発行される

2013-09-02 23:31:53 | 日記
このほど、日本メディア英語学会のNewsletter No.120が発行されました。

今号では、p.2に僕が研究発表とシンポジウムを行った東日本地区研究例会第87回(3分科会合同シンポジウム)についての記事が掲載されています。

この研究例会参加については、日本メディア英語学会第87回東日本地区研究例会参加をご覧ください。

また、このNewsletterは日本メディア英語学会のウェブサイト内JAMESニューズレター2013年8月号(No.120)で読むことができますので、ご興味がある方はどうぞ。

なお、前号No.119についての記事は、日本メディア英語学会Newsletter No.119発行されるをご覧ください。
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新しいスマホからの投稿テスト

2013-09-02 23:22:01 | 日記
先日、スマホの機種変更をしました。

出張に向け、スマホからの投稿テストです。


写真もうまく貼り付けられたら、出張先からも写真レポートが送れます。

ちなみにこの写真は2歳の頃の息子です。
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明日(2013年9月3日)の新見英語サロンの開催はありません

2013-09-02 23:15:13 | 日記
明日(2013年9月3日)の新見英語サロンの開催はありません。

No Niimi English Salon session is held tomorrow (September 3, 2013).
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2007年度オーストラリア研修旅行旅日記(2007年8月27日)

2013-09-02 01:26:23 | 旅行
 明日は修了式のみなので、今日が研修としては最終日となる。午前中は、学生達は英語のレッスン。カールトンセンターで看護福祉学生達の、シティセンターで福田さんの出席を確認した。それぞれの英会話レッスンで学んだことを今後の英語学習に生かしてもらいたい。
 インターネットカフェでメールチェックを済ませた後、やはり今日も時間をつぶすためコーヒーブレイク。どっち道購入しようと思っているThe Age紙が50セントで購入できる(平日版は本来1ドル40セント)という魅力に惹かれ、やはり今日もStarbucksに入る。ただし金曜日に入店したのとは違う店舗である。ここで、コーヒーをすすりながら(今日はカフェラテのグランデサイズを頼む)、新聞に目を通し、読書をする。日本では持つことの難しいなかなか充実した時間である。でも、それだけではなく、学生への連絡事項を整理し、MLCの小川さんに必要な連絡事項のため電話を入れ、というような仕事もあり、完全な仕事からの解放ではない。今日の店舗で気づいたことは、Starbucks Coffee Book Exchangeというもので、店内の本棚にある本を自由に読んで、もし続きが読みたければ持ち帰ってもいいが、代わりとなる本を置いていってください、と書かれて貼り紙があったことだ。読み終わったらまたその本を戻して、次の本を借りてもいいというものだった。それが” A room without books is like a body without a soul.”(本のない部屋は魂のない肉体のようなものだ) というローマの哲学者Marcus T. Cicero(キケロ)の言葉とともに掲げられていた。毎回思うことであるが、メルボルンの人達は(オーストラリア人は)読書好きな人が多い。それは、街の中の書店、古本屋の数や、電車やトラムやバスに乗っている人たちの読書率(新聞を含む)が日本人よりも明らかに高いと感じるからである。でもこの数年は携帯電話の使用率が増えていて、読書する人の率は減っているかもしれない。
 昼食を食べに12時頃部屋に戻ったが、まだ清掃が終わっていなかった。しかたなくドアノブのところの表示を”Please Make Up My Room”から”Please Do Not Disturb”に換え、昼食をとった。1時過ぎまで部屋にいて、学校に向かう。今日の午後は、HIV/AIDSの患者の話を聞く機会を設けていただき、People Living With HIV/AIDS Victoriaという組織からスザンナさんという方が来てくださった。メルボルンランゲージセンターでは毎年新たな内容の研修を入れてくださるが、これが今年初めてのものであった。実際HIVの患者の話を聞く機会はあまり得られないので、とても貴重な機会になったと思う。看護学科の学生達だけでなく、地域福祉学科、幼児教育学科の学生達にもためになった話だったと思う。この話を形容する言葉としては、spiritual(なかなか日本語に訳しにくい単語)とstrongがふさわしい。そのようなことが講演者にも、聴いている人の心の中にも感じられるのである。そのような意味では、一種宗教的な儀式のようであった。学生達にとっては通訳がなければわかりにくかったであろうが、彼女はとてもわかりやすい英語で話してくれた。ぜひ、彼女の話を英語の教科書にできないものかと思った。英語の勉強以外に、HIVとともに生きるというのがどんなことかわかる、とてもよい教科書になると思われる。
 講演は3時半過ぎに終わった。日本では、この時間にすべてが終わって帰宅するということは、ほとんどありえないので、この時間に帰ることに嬉しさとともに戸惑いも感じる。買い物をして帰り、部屋に着いたのが4時過ぎ、日本でもこんな生活がしたいものである。
今日の講演の感想を明日提出とのことなので、上記のことを英語で書いて提出することにする。教科書を作りたい考えも書いたので、何らかの同意が得られるといいのだが。今日の最大の仕事は帰りの旅の荷作りである。今回は、本を買いたい気持ちをかなり抑え、たった1冊の購入にとどめた。今日は、夜8:35からThe Kingという2007年制作のオーストラリア映画がある。日本ではなかなか見るチャンスがないかもしれないので、見ておくことにする。実は、明日は日本でもオーストラリアでも皆既月食が観測できる。香港への飛行機の中なのできっと観測はできないし、香港に着くころには月食は終わっているので残念である。夜気分転換のために月や星を見ることが好きな息子と見ることができないのはもっと残念なことであるが。
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2007年度オーストラリア研修旅行旅日記(2007年8月26日)

2013-09-02 01:25:40 | 旅行
今日は、日曜日。学生達の引率もなく完全なフリーである。朝8時に起床し、朝食をとる。やはり風邪を引いたようで、鼻水も出るようになってしまった。考えようによっては週末の風邪でよかった。朝、天気は雨が降ったり止んだりであまり芳しくなかった。支度を整え、部屋の清掃を待つ間の午前の散歩に出る。インターネットカフェでメールチェックをし、今日の夕食の材料を買って昼過ぎにホテルに戻る。風邪にはチキンスープがいいというので、インスタント食品ではあるが買ってきた。4回分あるので、今日から飲んでみよう。
昼食をとり、少し疲れたので昼寝をした。1時間ほど寝たのだろうか。目覚ましもかけずに昼寝のできる幸せ。でも息子の夢を見た。早く会いたいと思う。午後は、仕事を進め、面白いテレビがあれば見てのんびりと過ごすことができた。日本でもCS放送で見ることができるがGilmore Girlsと映画Something Gotta Giveを電子辞書を片手に鑑賞した。どちらもアメリカのドラマと映画であったが、やはりオーストラリア英語よりアメリカ英語のほうが聞きやすいというのが正直な感想である。
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2007年度オーストラリア研修旅行旅日記(2007年8月25日)

2013-09-02 01:24:24 | 旅行
 今日は、土曜日、学生達は午後ペンギンパレードツアーに出かける日である。その前に全員で昼食会を企画したので学校前に11:15に集合としていた。朝は8時に起床し、朝食、それから支度をしてから残りの時間に仕事を進めた。ちょうど大阪で今日、開幕した世界陸上の男子マラソンが放送されていた。日本人選手が5, 6, 7位に入賞していた。11時過ぎに学校前に着いた。何人かが既に学校に集まっていた。11:15には福田さんを除く全ての人が集まった。福田さんからは、その前に電話があり、遅れそうとのことだったので、学生7名とともに出発。今日は11:30の開店時刻に合わせた予約を取っておいた。ピザやパスタをたくさん食べ、学生達も満足したようだ。味はおいしかったのでまた来年以降利用可能である。その後、火曜日に行ったジェラート屋に再びデザートを食べに行った。福田さんは、結局私達の予約したレストランには現れなかったが、別の団体の人たちと合流して学校近くのイタリアンレストランにいたので安堵した。そうこうしているうちに、ツアーのジョンさんとジムさんが到着した。今日の参加者は3団体合わせて25名で、14名(ジムさんの車)と11名(ジョンさんの車)の2グループに分かれて分乗した。学生達を見送り、その後メールチェックと買い物を済ませホテルに戻った。午後9時過ぎにツアーが戻ってくるので、それまでは、部屋でゆっくり過ごそうと思った。
 この部屋も、日曜日から滞在して1週間になる。このホテルでの滞在も何回目かになるので、メルボルンでの自分のアパートのような気がしている。こんなアパートの住みながら期限付きでもいいので、家族も連れてきて一緒に暮らせたらいいなあと思う。当然家族と住む場合はもっと広い部屋が必要ではあるが。今年の部屋だが、おおむね満足をしているが一点だけ難点がある。それは、便器である。当然洋式便器であるが、私は男性のため大用のときは便座を下におろして使い、小用のときは便座を上げて使う(最近男性でも、小用の時にも座ってする人がいるという話も聞くが、私はそうではない)。その小用の時に便座と便器のふたを立て掛けたままで用を足したいわけだが、便器のふたは立て掛けた状態になるが、便座は立て掛けても止まった状態にならずに、もとの位置に倒れてきてしまうのである。そうならないためには、一方の手で便座を持ったまま用を足せばいいのであるが、これも不便なことである。この状況を文章で説明するのは難しいのであるが、図示するのも変なので、勘弁してもらいたい。とにかく便座とふたをテープなどを使ってくっつければふたと便座がくっついた状態で立て掛かり、一件落着となる。そこで私は初日に何かテープの代わりがないかと思い見つけたのが、豚肉を買ったときにパッケージに付いていた”HEART SMART LEAN & TASTY”というシールである。これは、「肉に脂肪分が含まれておらずに心臓にやさしい、そしておいしい」というような意味のシールであるが、このシールを活用することにした。そして翌朝、大用をするときには便座を使うのでそのシールをはがし、それを便器から手に届く範囲のシャワー室の壁に貼り付けた。そこにはなぜかもう一枚のシールが貼られていた。何のシールか分からないが、そこにはNew Zealandと書かれていた。きっと私の前にも、おそらくニュージーランドからの男性客がこの部屋に泊まり、私と同じように困り、私と同じ解決法を見出したんだなと思い、思わず笑みがこぼれた。さらに面白いのは、部屋の掃除係もその事情を知ってか知らずか、シールをはがさず、そのままにしておいてくれてあることである。この辺は、とてもオーストラリアらしいことなのかもしれない。もしかしたら他の部屋の便器も同じような状態で、他の部屋のシャワー室の壁にもいろんなシールが貼ってあるのかなあと思うと、どうでもいいことではあるが楽しくなる。
さて、便器の話で少々下品になってしまったので、今度は食べ物の話を書きたい。先日買った冷凍食品のミックスベジタブルの残り半分を炒め、今日の夕食のおかずの一品とした。日本では、ミックスベジタブルの中身と言えばふつうはトウモロコシとニンジンとグリーンピースの3種類と相場が決まっているように感じる。これは、私が学生時代や独身時代にしばしばミックスベジタブルにお世話になった経験からのことなので、最近は他の野菜が入った物もあるのかもしれない。でもつい先日、妻が留守の時に、息子のために料理を作ってあげようと思い、ミックスベジタブルを炒めた時には、中身はやはりトウモロコシとニンジンとグリーンピースだった。息子はその3種の野菜中、トウモロコシとニンジンが大好物なので、喜んで食べてくれた(グリーンピースはほとんど食べなかった)。こちらで私が買ったミックスベジタブル(McCain Foods社製)の中身は、ニンジン、カブハボタン(swede)、グリーンピース(peas)、ブロッコリ、豆(beans, インゲンマメ、ソラマメなど)、トウモロコシとなっていた。6種の野菜が使われ、日本の物よりは内容が豊富である。でも、これを炒めて息子に出しても彼はきっと満足しないであろう。大好きなトウモロコシの量がとても少ないからである。
夜9時過ぎころ学生達がペンギンパレードツアーから戻ってくるので学校前で9時頃から待つ。土曜日の夜もライゴンストリートは賑やかである。待っている間は、人間ウォッチングで楽しんでいた。9時半近くに、新見の学生達が乗ったジムさんの車が戻ってきた。8人中、4人は途中で駅で降ろしてもらったそうである。植田さんと中布さんは、トラムで帰り、福田さんをタクシーに乗せ、秋山さんのバス停まで見送りに行った。ツアーは楽しかったようでよかった。
秋山さんのバスを見送った後、通り道にあったトラベルイン(Travel Inn)に立ち寄り、条件を聞く。一室が基本的に140ドル、バスタブがある部屋があることはいいが、キッチンがある部屋がないそうである。やはり浮気はしないで、このLygon Lodge がよさそうである。Lygon Lodgeに戻ってきたら、今回の滞在中初めて”No Vacancy”のライトが点灯していた。フロントのお兄さんに”No Vacancy”だねと言うと、そうだ、”full house”(満員御礼)だ、との返事が返ってきた。このホテルも人気のあるホテルなんだと思った。
夜、屋外で大きな音がした。割と激しい雨だった。降ったり止んだりしていたようだ。
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2007年度オーストラリア研修旅行旅日記(2007年8月24日)

2013-09-02 01:23:21 | 旅行
 今日は、金曜日、月曜日から始まった研修が始まり1週間になる。学生達にとってはあっという間で、疲れてはいるが緊張感もあるという状態だと思う。私は昨日くらいからのどの痛みがあり、どうやら今こちらではやっているという風邪を引きかけているようだ。土産用に買っておいたユーカリキャンディーの袋を一つ開け、なめることにした。葛根湯も持参したので飲むことにした。熱はなさそうだし、咳もほとんど出ないので、無理をしなければこじらせることはないと思う。
 朝、カールトンセンターにて看護福祉学生達の出席を確認し、連絡を行った。先述の通り毎年「げてもの食い」食事会を行っているが、今年もペンギンパレードツアー出発前の明日の昼に実施しようと考えていた。ところがクロコダイル等を出している日本料理店Murasakiは土曜のランチはやっていないということなので、残念ながら今回は「普通の」食事会ということになる。学生達にその旨を伝え、場所は私が探しておくこととなった。その後、シティセンターに向かい、福田さんの出席を確認した。インターネットカフェでメールチェックをした後、カフェに入った。今日は、この数年間で非常に増えたStarbucksの一つで時間をつぶすことにした。このStarbucksでは、コーヒーを買えば私の愛読紙のちなみにStarbucksの名前の元になったコーヒー好きの航海士Starbuckという人物が登場するメルヴィル(Herman Melville)の書いたMoby-Dick(白鯨)がラトローブ大学の学生劇団によって演劇化されているようである。ぜひ見たいところだったが時間的余裕がなく、残念ながら見ることができない。このオーストラリア研修中はシェイクスピア劇をはじめとして、これまで様々な劇を見てきたが、今回は残念ながら観劇の機会はなさそうである。ついでながらこれも余談であるが、話をStarbucksに戻す。昨日のmX紙によると、パレスチナでは、Stars and Bucks CaféというStarbucksをもじったカフェがあるそうで、写真によるとロゴも緑色でかなり類似している。
 今日の昼は明日の昼食会の場所を探しながら食べようと思っていたので、明日の集合場所に近いLygon Streetに戻って適当な場所を探す。金曜日の夜が忙しいので、土曜の昼を休みにする店が多い中、土曜の昼はやってますかとの質問に対して、”Of course.”と答えてくれた LA SPAGHETTERIAにて予約を取った。ちなみに今日の昼食は別の店で簡単にfish & chipsを食べた。
 その後、ホテルで少し仕事を進め、授業風景のビデオと写真撮影のためカールトンセンターの教室に向かった。マルコム先生に撮影許可をもらい、ビデオと写真撮影を行った。この後、チャイルドケアーセンターで福田さんを迎えに行かなくてはならなかったので、時間的に制限があり、新見の学生達のそれぞれの出身地についてのプレゼンテーションをビデオ撮影することができずに残念だった。
 今日は、福田さんがチャイルドケアセンターでのボランティアの最終日だった。Petra先生にお礼を言おう思って行ったが不在で残念だった。やむなく書き置きでお礼を述べておいた。福田さんのホームステイ先のバララット(Ballarat)に住むお孫さんが今日21歳の誕生日パーティだそうで不在になるという話を月曜日に迎えに来てもらった時にしていた。そのお宅には携帯電話しかないようなので、福田さんが到着しても無事到着を確認できないと思い、私もタクシーで同行することにした。到着後最寄りの駅Heidelbergでタクシーを降りた。駅のすぐそばに昨日看護・福祉学生達が訪問をしたAustin Hospitalが見えた。とてもきれいでモダンな造りの病院だった。電車でシティに戻り、MLCのカールトンセンターに向かった。今日は、MLCの小川ひとみさんとTonyさんの夫妻が食事に誘ってくださっていた。夫のTonyさんの到着を待ってDocklandのインド料理店BHoJに来た。ここは私の新婚旅行時にちょうど行われていたMelbourne Food and Wine Festival でThe Longest Lunchというイベント(港の埠頭に1,000人分のテーブルとイスが並べられ、そこで一斉にLunchを食べる。そのテーブルの長さがまさに”longest”であった)に参加した時に来た場所のすぐ近くであったが、新婚旅行の2003年3月からさらに開発が進んでいた。このレストランでもらったカードには、”Everyone keeps coming back”を書かれていたので、ぜひ今度は家族でこの地域にやってきたいと思った。BHoJのインド料理はインドのある地域限定の料理というのではなく、インド各地の料理を出しているそうで、テーブルからキッチンで調理をしている様子が見ることができるのも面白かった。もちろん料理もおいしかった。この日は、帰りも遅くなったし、風邪のひき始めでもあるので早めに床にはいった。
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2007年度オーストラリア研修旅行旅日記(2007年8月23日)

2013-09-02 01:22:31 | 旅行
 木曜日になり、登校も4日目で学生達もだいぶ慣れてきたようだ。9時にカールトンセンターにて看護福祉の学生の全員登校を確認し、連絡事項を伝え、シティセンターにて福田さんの登校を確認した。この日の午前中にすることは、昨日の午前中から始まったお土産確保の続きと、現在各種の働く車が大好きな息子のためにオーストラリアの働く車の写真を撮影し、車の多いメルボルンの街の交通状況を撮影することであった。「息子のため」とは書いたが、実は、働く車の写真などはこれまでも外国で教材用に撮り続けてきたので、教材収集の延長でもある。また、街の様子を録画しておけば今回の参加学生達にとってもいい記念となるであろう。午前中の間ずっと撮影をしているわけではないし、そうかと言ってホテルに戻ってもきっと清掃中で部屋には入りにくいので、この数年でスターバックスとともに街中に数を増やしているGloria Jean’s Coffeesのコーヒーショップに入り、コーヒーを飲みながら、帰国後に控えている看護福祉進学希望者用の補習の準備と、今年度の教員研修でテキストとして使用する齋藤孝著『読書力』(岩波新書, 2002)を読んだ。この研修出発日から読み始めた同書だが、このコーヒーショップにて読み終えた。本来読書好きの私にとって、とても刺激になるかなりよい本であった。
ところでこのコーヒーショップは建物の1階(オーストラリアではground floor)にあったのだが、入口からスズメが入ってきてチュンチュンと鳴いている。外にはもっと多くのスズメがいたと思うのだが、店内に入ってくるのは、決まった特定の数羽だと思われる。店内に入ると、お菓子のくずなどが落ちているし、ねだれば人間がお菓子のかけらをくれることもあるということを学習した勇気ある個体のみが店内の床や人間が座っていない椅子や時にはテーブルの上にとまって、チュンチュンとさえずっている。気のせいかさえずりが大きく感じたのは、屋内だったからであろうか、それともさえずると人間が餌をくれる可能性が高くなることを学習したスズメがより高い声でさえずっているからであろうか。そんなことを考えながらコーヒーを飲んでいたのだが、ふと店内に入ってきているこのスズメ達を見て、今回のような海外研修に思い切って参加した学生達を思い起こした。スズメの通常の生活圏である屋外で暮していれば、スズメなりに普通の幸せな生活が送れるはずである。でも思い切って自分より大きな生物である人間が数多く行き来している未知の店内に勇気を出して入ってみると、屋外とは違った魅力的な世界が待っていたのである。そのことを知ったスズメは、少なからぬリスクを冒してまた屋外に入ってくる。国内でもそれなりに楽しい生活を送っている学生達であるが、勇気を出して、また金銭的負担も伴って、思い切って外に飛び出した。そこには、自分が今まで知っていた世界とは全く違うけれども、とても素晴らしい魅力のある世界が待っていたのである。そんなことを考えたらスズメ達がとても可愛く思えてきた。あいにく私はコーヒーだけしか注文しなかったので与える菓子はなかったのが残念だった。
昼休み時間となったので、学校に戻ることにした。歩くと街の様子がよくわかり、1998年から毎年来ているので街の変化もよくわかる。数年前にメルボルンとイタリアのミラノが姉妹都市提携を行い、その象徴としてPiazza Italiaという広場が作られたが、ちょうどその向かいにこの姉妹都市関係を象徴するようにMilanというレストランがあった。このレストランは、私が初めてメルボルンに来た頃には少なくともすでにあったはずだが、今年度来たら、店はつぶれ、不動産は「借り手募集」となっていた。これまでの研修旅行でいつも人気なのは、私が「ゲテモノ食い食事会」と称し行った、オーストラリア原住民のアボリジニーが食べていたクロコダイルやカンガルーやエミューを食べてみようという企画である。それを実施する店も、オーナーが代わって中華料理店になってしまったり、オーナー家族の病気によって閉店したりで、昨年はついにクロコダイルの龍田揚げやダチョウやラクダやシカの叩き料理がある和食レストランで実施するにいたった。街中にはセブンイレブンが増え、先述のようにコーヒーショップが増え、複合店舗が増えている。寿司バーのような店も増加している。それに伴い古くからの店は当然閉店を余儀なくされているようだ。盛者必衰の理を感じるが、同じ街を定期的に訪問するのは、このように街の変化を楽しむのに適している。オーストラリア研修があと何年できるか分からないが、今これを書いているホテルLygon Lodgeは、たとえば10年後の2017年にはどのようになっているのだろうか。今のように内装こそ改装しているが(そして、それに伴って宿泊料も上がっているが)旧式のモーテルのままであろうか、それとも新しくモダンなホテルに生まれ変わっているのであろうか。
昼休みに連絡事項を伝え、午後のアロマセラピーの古川令子先生に挨拶をし、実演中はホテルの部屋にて昼食をとり、仕事をした。実演が終わる頃教室に戻り、学生に連絡をした後、解散し、学生達はメルボルンセントラルへと出かけて行った。私はスーパーで買い物をし、ホテルに戻った。この日はIGAという店に行ったのだが、tofu nuggetsというものが売られていた。これをミックスベジタブルとともに炒めおかずにしようと思った。今日の主食はパスタの缶詰で、これは、今日初めて存在を知った。昨日店で食べたパスタほどはおいしくないが、まあまあの味であったので、今度から自炊(とは言えないが)のレパートリーに加えようと思った。
夕食後、ABCで放映されていたPrince Charles And Prince William: Royal Rivals Or Father And Son?を辞書を片手に見た。日本ではなかなか時間がなく、気になった英語表現を辞書で調べながら英語のテレビ番組を見るなどということは滅多にできないが、これも研修旅行の楽しみ(でもあり、私自身の研修でもある)の一つである。また、今日の午後放送されていたThe Oprah Winfrey Show(アメリカ製作であるが)も面白く、今日はLionel Richieがゲスト出演していた。彼の歌をあらためて聞き、そのメッセージ性に感動を受けた。また夕食をとりながら見たGateway: The Hidden Wonders Downunderもオーストラリアの自然美を紹介するもので、オーストラリア国内のメルボルン以外の場所にも行ってみたくなった。
テレビだけではなく、毎日、新聞を購入しそれに目を通すことも英語研修になる。日本でも英字新聞The Daily Yomiuriを購読しているが、日本語の新聞も読むため、相対的に英字新聞を読む時間は少なくなる。ここでは、日本語の新聞がない分、英字新聞に割く時間が増え、気になる記事を時々辞書で単語チェックをしながら読むことができる。私がメルボルンでの一番気に入っている新聞はThe Ageであるが、これは人気があるため買うのが遅くなると売り切れていることがあり、Herald Sun や数年前に登場した無料の夕刊紙mXなどもよく読んでいる。
ただ、テレビや新聞などのメディアに接することより大切なことは、英語が話されている空間に自分の身を置き、できるだけ英語を使ってみることである。これが英語教員にとって最大の研修と言えるであろう。今日話した中で一番記憶に残った会話は、Lygon Lodgeでアルバイトをしているインド出身の人と話したものである。メルボルンに来た目的を聞かれたことから始まった世間話であったが、私が日本で英語を教えていることを伝えると、英語の必要性に話は及び、他の客が来るまで、インドと日本での言語状況や、日本人学生の英語力、日本人観光客の英語力など、世間話にしては充実した内容の話となった。
今回、新見市教育委員会にも声をかけ、英語の授業が始まる小学校の先生方や中学校の先生方にも参加を呼び掛けていただいたが、参加される教員がなく、とても残念であった。教室で英語を教える先生には、自分が教室で英語を教えられた体験だけではなく、海外での英語体験をぜひ持っていてほしい。これについては来年度以降も働きかけを行い、少数でも参加があればよいと思っている。
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2007年度オーストラリア研修旅行旅日記(2007年8月22日)

2013-09-02 01:21:52 | 旅行
 今日の午前中は、看護福祉の7名はカールトンセンターで英語レッスン、幼児教育学科の福田さんはシティセンターのGeneral Englishのレッスンを受講ということで、朝、両センターを回り、受講状況をチェックした。学生達がレッスンを受けている間は、一応私の自由時間となるが、今回メルボルン滞在中にしておかなくてはならないと思ったことに散髪があった。本当は、研修の出発前に散髪を済ませておきたかったが、準備や出発前に片づけるべき仕事などに追われ、散髪の時間をとることはとてもできなかった。ということで、何年か前にも髪を切ってもらった床屋に出かけ、髪を切ってもらった。こちらの散髪は、本当に髪を切るだけである。シャンプーなどもないし、もちろんマッサージなどもない。横と後ろをバリカンで刈ってもらい(素人ながら私でもあまり上手ではないと思われる刈り方であった。刈り跡がでこぼこになっていたので…)、前はハサミで切ってもらって完成。約10分で終了である。この店の料金は14ドル、まあ、日本で散髪をするより安く早く済んだのでよしとすることにしよう。
 その後は、少し時間があるのでホテルの部屋に帰り仕事をした。今回初めて海外にパソコンを持参した。パソコンがあるからこそ、このように新鮮なうちに日記風の報告を書くことが可能になったが、仕事に追われることになってしまう。でも、今回は日本にいる時よりも夜など少し時間的な余裕があるメルボルンで仕事を進めようと思い、小型のノートパソコンを買い持ち込んだ。帰国してから書く報告書は通り一遍の味気ないものになってしまいがちだが、パソコンがあれば、その時に感じたことを割と新鮮なまま文字にすることができてよい。
 この日の午後は、看護福祉の学生は急性期専門のオースティン病院(Austin Hospital)を訪問した。昨日と同様、マドーレさんのグループの学生達と一緒の訪問であり、通訳もやはりLotteさんにお世話になった。
 私は、午後はChild Care Centreでボランティアの福田さんを迎えに行った。ホストファミリーが今日は都合が悪くなり、迎えに来ることができないと学校に連絡があったからである。私は今日は7時から看護福祉の学生を連れて友人の東洋医療クリニックに行く約束だったので、バスで同行することはできず、しかたなくタクシーで帰ってもらうことにした。Child Care Centreに着くと、福田さんは園庭で子供たちと遊んでいた。だいぶ打ち解けた雰囲気であった。4時過ぎにセンターを出て、シティに戻り、日本食の本を探したいという福田さんを連れて書店に行った。Cooking BookとChildren’s Bookのセクションを見て、5時過ぎにタクシーをつかまえた。車両番号を確認し、料金は大体幾らくらいになりそうか、大体どのくらいの時間がかかりそうか確認し、着いたら電話をするよう言って彼女をタクシーに乗せた。後ほど電話をもらい、安心した。
 看護福祉の学生達には、7時に学校前に集合するよう、MLCの谷口敦子さんとこの日の付き添いのロッテさんを通じて連絡をした。ところが、クリニック側には7時に行くと言ってあったので、集合時刻は7時ではなく、6時45分にすべきだったことに気づいた。でも時既に遅しで、学生達は解散してしまっていた。だが、もしどこかで探し出すことができれば早めに連れていけると思い、ピザを食べたいと昨日言っていた学生達の言葉を思い出し、また昨日スーパーマーケットと書店に連れて行って、たぶんまた行きたいと思うだろうという予測から彼女たちを探してみた。スーパーマーケットには、私とは時間差で行ったようで、「現行犯逮捕」とはいかなかったが、街を歩いているときに賑やかな声が聞こえ、彼女たちを7時前に見つけることができた。そこから歩いて約10分、Shen Healing Clinic of Traditional Chinese Medicineに着いた。このクリニックは、Bettina BrillさんとMichael Kotsanasさん夫妻により開業されている。この夫妻は、1998年3月メルボルン・ランゲージ・センターが、海外研修旅行を企画したいと考えていた私を招待してくださったときにホストファミリーとしてお世話になった方々である。つまり私にとっては、メルボルンに来て初めてできた友人であり、その後もほぼ毎年会うことにより、親交を深めている。中にはまだ2人ほど患者がいたので、少し外で待っていた。その後、治療を終えたベティーナとマイケルがクリニックと治療内容などを案内してくれた。まず、薬草専門家のベティーナが治療方法などについて説明してくれた。次は、マッサージと鍼治療担当のマイケルが実演も交えて治療方法を説明してくれた。看護学科の学生も地域福祉学科の学生も、主に西洋医学的なことは学習するが、日本が東洋なのにもかかわらず東洋医学のことはほとんど学習する機会がない。門外漢の言うことではないが、これはきわめて残念なことであると思うが、そんな学生達にとって、貴重な学びになったのではと思う。8時過ぎまで説明を受け、少し遅くなったので帰ることとする。夫妻も学校付近まで一緒に歩いて送ってくださり、学生が帰った後、夫妻と私はLygon Street のCafé Cavallinoでパスタを食べ、約1年ぶりの再会を楽しんだ。
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2007年度オーストラリア研修旅行旅日記(2007年8月21日)

2013-09-02 01:21:06 | 旅行
この日は一日看護福祉学生の付き添いであった。新見の学生7名にマドーレさん(Alayne Madore)さんのMadore Internationalを通じて参加の6名を加えた13名を引率した。午前中の訪問先はモナーシュ・ガーデンズ高齢者施設(Monash Gardens Aged Care Facility)であった。昨年まで行っていた施設とは異なり昨年までのような折り紙や書道のボランティア体験がなく残念であった。地域福祉学科の夜久さんは、私のゼミの学生であるが、この訪問で何か地域福祉研究に役立つ材料を見つけてくれたらと期待している。説明をいただいたのはビッキーさんという方で、アニマルセラピーにも役立つという自身の飼い犬2匹も説明会に参加していた。通訳はLotte Lawrenceさんに来ていただいた。Lotteさんには以前からお世話になっているが、その正確な通訳ぶりにはいつも感服させられる。この施設はCity of Monashが管轄する公立の高齢者ホームであり、計97床の施設である。この研修には参加できなかったゼミの学生押目さんからの依頼で笑い療法について尋ねてくださいとのことだったので、質疑応答の時に尋ねてみた。この施設は幸いなことにHumour Groupによる訪問を受けているとのことで、同グループのメンバーは映画にもなったアメリカのPatch Adamsによるトレーニングも受けているとのことであった。入居者が同グループの訪問を楽しみにしているようであった。また最近スタッフ対象のトレーニングもあってとてもよかったという回答をいただいた。
 同施設内でスペースを借り昼食を取った後、バス(運転手はサージさん)でモナーシュ病院のMcCullock House Palliative Care Unitを訪問した。ここへの訪問は私自身数回目であったが、今回も日本人看護師のHaruko (Hana) Kawadaさんに説明および案内をしていただいた。日本語で説明を聞ける安心感からか、旅の疲れか、それとも昼食後の眠くなる時間帯だからか、眠くなった学生もいるようであった(私自身もやや眠くなった)が、とても有意義な訪問であった。Kawadaさんが「オーストラリアで緩和ケアナース」というブログを作られているそうなので、ぜひ参照してみたい。また来年度以降の研修旅行の宣伝の際にも使わせてもらえるかもしれない。
 訪問を終え学校に戻ってきたあと、新見の看護福祉の学生たちと学校のそばのアイスクリーム屋さんにアイスを食べに行った。今回のツアーは人数も適当な上、他の日本全国各地からのばらばらの参加者の中に同じ学校のグループが入っているため、新見グループ内の結束が高まり盛り上がり(しばしば盛り上がりすぎることもあるが)、とてもよい雰囲気になってきたことを感じた。研修旅行引率者としては、このグループの盛り上がりというのがとても大切であると考える。研修の成否はもちろん研修内容に対してどう感じたかという要素が重要ではあるが、楽しい仲間と過ごした楽しい時間があれば研修旅行の思い出が一層強く印象付けられるからである。これまで20人以上の学生を連れていった場合も何度かあるが、その場合は全員での一体感が得られにくい。いくつかの小さなグループ内では盛り上がるが、グループに分かれるとなると、語弊があるかもしれないが特に女子学生の場合はどのグループに所属するのかという別問題も浮上してくる。そしてお互いのグループ間での、目には見えない心理的な対立(たとえば、あのグループはいつも集合時刻に遅れてくる、時間通りに集まって、というような感情)が生まれる。その点、今回のような8名程度のグループは、(もちろんその中で諸問題があることは承知をしているが)一体感を醸成するためには適正人数と言える。
 今回でオーストラリアとアメリカを合わせて学生の研修旅行の引率が14回目となったので、つい研修旅行の人数の適性について私見を書いてしまったが、文章を本来の旅日記に戻したい。看護福祉の7名の学生がスーパーマーケットと書店に行きたいということだったので、Safewayの入っているLygon Streetのショッピングセンターに連れて行き、私は買い物をして帰った。昨日フライパンを借りられたので、今日こそは野菜炒めをしようと思い、野菜炒め用の野菜と牛肉を買った。
 バスで帰るのが難しい福田さんのホストファミリーが6時に学校に迎えに着てくるとのことなので、確認のため学校前に行った。6時を少々過ぎたころ、犬を連れたホストマザーのイボンヌさんが迎えに来てくれた。
 この日は、待望の(?)野菜炒めを作って食べた。
 今日、訪問先へのバスの中で感じたのは、車窓から見えるものやそれぞれのホームステイやその他の体験からの学生達のコメントが初々しいなということであった。何度も来ている私にとっては、最初は新鮮だったはずだがだんだん当たり前になりつつあることを、新鮮に語っている。新しい世界に来て、新しいものを吸収している学生達を、「なんだ、そんなことも知らなかったのとか」、「これは、○○なんだよ」とか、聞かれもしないのに、またそれを知らなければ重大なミスを犯す可能性がなければ、いちいち言わないことにしている。引率者として学生を連れてきていると、そして自分がその土地のことを知っている場合は往々にして、いろいろなことを学生に教えたいし、学生にこれもさせたいあれもさせたいと思うものであるが、一人ひとり感性が違う学生達(ましてや引率教員との感性も違うのである)をつかまえて、ここに連れてってやろう、ここに行くべきだというのは、しばしば(特に自主性を持った学生達には)、お節介に感じられるものである。ということで私はつかず離れずの関係を保つことにしている。(←引率された学生諸君の中で山内先生はあまり面倒を見てくれなかったと思っている人がいたら、こういう考えで引率していたことを理解してください。) また、自分とは異なる文化圏に来て、言葉も違い、街の様子も全く違う中で、こちらにとっては当たり前のことが分からない場合にも、あまり目くじらをたてないようにしている。私が自動車免許を取るため通った自動車学校で、こちらが少しでもミスをしようものならひどく怒る教官がいたが、当時教育学部の学生だった私は、これは教育者としては反理想的な形(反面教師)だと思いながら、その屈辱に耐えていた。交差点が近付いたらブレーキを踏んで(あるいはエンジンブレーキをかけて)速度を落とすのが当たり前なのだが、路上に出て間もない人にとっては、運転に精一杯でそこまで気がつかない場合もあるのである。教官は、教習生になぜブレーキをかけなかったのかと、むきになって怒るのではなく、しばらく走らせておいて、もし本当に危険だと感じたら教官用のブレーキを踏めばよいのである。そのほうが教育的効果が高いと考える。ただ、もし自分が自動車学校の教官だった場合は、このように考えられないのかもしれない。人間というのは立場が変わると考えかたも変わるから。でもそこまで考えるときりがないので、今日のところはこの辺にしておく。
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2007年度オーストラリア研修旅行旅日記(2007年8月20日)

2013-09-02 01:20:01 | 旅行
今日は研修一日目、学生たちがホームステイ先からそれぞれ学校まで通学できるか心配した。ただこの心配は毎年のことである。全員の学生が無事に時間通りに登校できる年はまれで、大体1、2名の遅刻者が出る。遅刻者が出て連絡もないと、大丈夫だとは思いながらも、それぞれの保護者にとって大切なお子様を預かっている手前、万一事故などに巻き込まれていたりしたら、どうしようと最悪の事態を考えなくもない。こんな心配をするくらいなら、もう来年度から海外研修など無理に実施するのはやめようかとも思ったりする。今年も1名の学生が道に迷い、1時間遅れで、アリソンさんという親切な女性に連れて来てもらい学校に到着した。
 この日私がシティに行きカールトンに戻るときに中国系の中年女性と老年女性の二人組に話しかけられた。老年女性は英語を話さないようであったが、中年女性が、私にあなたは中国語(Mandarin)を話すかと尋ねてきた。私は、残念ながら話しませんと言うと、英語でメルボルン大学への行き方を尋ねられた。私は同じ方向に行くので一緒に行きましょうと言い、大学の正門まで連れて行った。図らずも、今朝見知らぬ人のお世話になった学生の恩返しができた。その二人連れは、中国の共産党関係者のようだったが、お礼に9月3日にメルボルン大学で開かれる中国についてのパネルディスカッションのチラシとNine Commentaries of the Communist PartyというCD-ROMをくれた。
今年の英会話の担当は、マルコム(Malcom)先生で、この日のレッスンはリアルトタワーで実施した。今年は新見公立短大の研修旅行参加者も少なかったが、他のツアーの人数も例年より少なかったようで、3つの団体が合同で英会話レッスンを受けることになった。
午後は、幼児教育学科の学生の福田さんを連れて、チャイルドケアーセンター見学に行った。この日は、センター内の案内を受け、彼女は、今週4日間ボランティアをさせてもらう2~3歳児の部屋で大半を過ごした。私にとってこの訪問で有意義だったのは、同センターの臨時職員、実習生、訪問者へのガイドラインを日本語に翻訳する許可をぺトラ・ヒルセン(Petra Hilsen)センター長からいただいたことである。これを本学の幼児教育学科の実習のガイドライン等と比較してみると興味深いと思われる。また、来年度以降の幼児教育学科の研修参加者のためのオリエンテーションにも日本語訳があれば重宝すると思われる。
また、もう一つは、スタッフルームでコーヒーをいただいている時、ちょうどティータイム中のハリーナ(Halina)先生と話をさせていただいたのだが、同センターでは子どもの記録を文章だけではなく、デジカメの写真を使ってポートフォリオ(portfolio)の形で残すことを今年から導入したそうだ。これまでの文章によるものでは、保育者もあまり読んでもらえないと感じながらも義務感から書いていたそうだが、このポートフォリオ方式だと、保護者も喜んで見てくれるし、子供の様子もよくわかるし、保育者にとっても子どもの思い出を保存できるからよいということであった。日本において保育記録のポートフォリオ化が進んでいるかどうかわからないが、よい方法だと思った。またこれには、Gaye Groulund and Bev Engel, Focused Portfolios A Complete Assessment for the Young Child, Pedleaf Press, 2001が参考になることも紹介していただいた。
ボランティア中の福田さんの写真を撮ろうとしてカメラを出すと子供たちが興味を持ち、2~3歳児室のベネディクト君がポーズをとってくれた。
この日は午後4時頃チャイルドケアーセンターを辞し、シティに戻った。今回幼児教育学科の参加者が1名のためかなりの量の単独行動を余儀なくされる福田さんのために、シティ内の主なポイントとトラムの乗り方、バス停の位置等を一緒に確認した。今回の参加学生の中で彼女のホームステイ先がシティから一番遠かった。バスの便がやや不便で、夕方になると家の近くまでバスが行かないようなので、仕方なくバスに一緒に乗った。終点が過ぎたが、私たちともう一人の老紳士のため特別にバスを延長して走らせてくれ、目的地まで乗せていってもらった。このあたりがオーストラリアらしいいいところであるといえる。そこから彼女のステイ先までは1キロ以上の道のりがあるので、ホストファミリーに電話をして迎えに来てもらった。私はシティへの帰りのバスがあるか心配であったが、ホストファミリーの娘さんが親切にも車でシティに送ってくださった。彼女は、高齢者ホームで看護師として働いているとのことだった。今の高齢者ホームで働く前は、派遣看護師をしていたそうだ。派遣看護師という職種は日本にはまだないと思われるが、看護師が病気等で出勤できない時にピンチヒッターで派遣される看護師ということであった。いろいろな病院から派遣依頼があるそうだった。看護師の労働環境を良くするためには、とても大切な制度だと思った。
この日は自炊するには遅くなったので、中華街付近の中華料理店でmixed vegetable with riceというご飯の上に野菜炒めが乗っている7ドルの料理を食べた。その後インターネットカフェでメールチェックをしてホテルに戻った。
朝、机のスタンドの新しい電球とフライパンをくださいとメードにメモを残して2ドルのチップを置いておいたら、帰ったら電球が取り換えられ、キチネットにはフライパンが置かれてあった。
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2007年度オーストラリア研修旅行旅日記(2007年8月19日)

2013-09-02 01:19:01 | 旅行
間もなく、日付は変わり19日となった。夕食とも朝食とも呼べない食事が午前2時過ぎごろ出された。出されたら断れない性格の私は、もちろん食事をすべてたいらげた。朝、アデレードに到着した。アデレード空港に来たのは初めてであった。第1回オーストラリア研修の前年、旅行会社ISAの協力のもとにアデレード行きの研修旅行を企画したが、参加希望者が少なく実現に至らなかった。もしその時にアデレードへの研修旅行が実現していたら、その後もアデレードへの研修旅行が続いていて、現在のようにメルボルンに毎年来ることにはなっていなかったのだろうか、と考えた。私はよく知っていて好きな街メルボルンを新婚旅行の目的地にしたが、(いみじくも、この文章を書いている、ちょうどここで妻より電話があった、すごい偶然!)新婚旅行の行き先もアデレードになっていたことかもしれない。そのアデレードを経由し、メルボルンに入った。今では帰ってくると一種の懐かしささえ覚える街メルボルンに今年も8名の学生を連れてきた。空港からチャーターバスに乗り、メルボルン・ランゲージ・センターに着く。そこでオリエンテーションを終え、午後3時半ころからホストファミリーが学生を迎えに来てくださる。学生たちがホストファミリーが来てくれるのを待つときの期待と不安が混じり合った表情はとても新鮮なもので、約20年前、私が学生時代に参加したアメリカでの短期語学留学の時、ホストファミリーが迎えに来てくれるのを待っていた時の気持ちが今でもよみがえる。その時は、結局、私のホストファミリーが都合が悪くなり迎えに来られなくなったという連絡が入り、とても不安な気持ちになったのであるが。今回の学生たちのホストファミリーは、多少の時間の差こそあれ、およそ30分の間に皆迎えに来られ、学生たちは恥ずかしそうに自己紹介をしNice to meet you.などと言いながら連れられて行った。
 学生達がそれぞれのホームステイ先に行ったので、私は学校のすぐそばのLygon Lodgeというホテルにチェックイン。ここでの宿泊もおそらく4,5回目となるであろう。フロントに座ってパイプをふかし私のことをProfessorと呼んでくださる年配のこのホテルの経営者、おそらくそのお孫さんだと勝手に想像しているのだが、おしゃれでかっこいい若いお兄さん、二人の名前は聞いていないが毎回おなじみの顔である。今回も昨年に引き続き簡易キッチン(kitchenette)付きの部屋をお願いした。大したことはできないがそれにより自炊が可能となる。部屋に入り荷物の整理をした後、学生のホームステイ先に電話をして、学生の様子を確認した。その後、スーパーマーケットSafewayで買い物、昨年何度かしたように野菜炒めを作ろうと思って、野菜炒め用に細切れになった野菜セットと豚肉を買って帰った。ところが、部屋にはフライパンがなかった。昨年の部屋にはあったのに今年の部屋にはなかったのだ。フロントに言おうとも思ったが、まあ、なんとかあるものでやってみようと思い、結局鍋で野菜と豚肉を煮ることにした。味をつけるものは胡椒しか買ってこなかったので、素材の味を生かし胡椒で味付けをしてみた。何とか食べられるものができてよかった。胡椒というのはなんと素晴らしい調味料だろう。中学校のときに社会科の歴史でヨーロッパ諸国が海外進出により胡椒を輸入するようになったと書かれていたときに、なぜ胡椒がそれほど重要な輸入品になったのだろうと不思議に思ったことがあったが、その理由がわかったような気がする。
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2007年度オーストラリア研修旅行旅日記(2007年8月18日)

2013-09-02 01:18:08 | 旅行
このほど、ある文章を探しているときに、2007年度の夏に実施した第10回オーストラリア研修旅行引率時の旅日記が出てきました。

当時は、私はこの公式ブログもプライベートブログも書いていませんでしたので、この文章は自分用の旅日記として記したものですが、せっかくなので、ここに残しておくことにします。

第10回目の新見公立短期大学オーストラリア研修が始まった。9年前に第1回を実施したのであるが、私事ではあるがこの9年間で様々な変化があった。一番の変化は結婚して子どもが生まれたことである。独身時代に始めた研修旅行、その頃は身軽に家を空けることができたが、現在はそういうわけにはいかない。決して短くない期間の海外出張にいつも快く送り出してくれる妻には感謝を述べたい。子どもをお持ちの方なら経験があると思うが、子どもというのはなぜか、こちらが忙しい時に、けがや病気をするものである。今回も出発の前日、息子が転んで口の中にけがをして(上の歯茎と唇の裏にあるひだのようなところを切って)出血がひどく、妻が病院に連れて行き治療を受けた。(昨年、新見市国際交流協会派遣の姉妹都市訪問団員としてアメリカ合衆国に出張した時には、出発2日前に突発性発疹による発熱で病院に連れて行った。)
 前日のけがにもかかわらず、息子(1歳10か月)は機嫌よくめざめた。数日前からお父さんは出張でオーストラリアのメルボルンというところに出かけ、カレンダーを示しながら8月29日まで会えないから、お父さんと電話で話そうと言い聞かせていたが、その日の朝に荷作りができて部屋に置かれたスーツケースに乗ろうとして遊んでいた。もう少し大きくなれば、このスーツケースが出てくるとお父さんが海外出張に出かけるのだということに気づくようになるのかもしれない、そんなことを考えながら出発の最終的準備をしていた。妻と息子に新見駅のプラットフォームまで送ってもらい、出発した。
 新大阪駅で夜久さんと合流、関西空港について、すぐに泉さん、高橋さん、中布さんと会い、その後すでに集合場所の近くにいた植田さん、清水さんと合流、その後秋山さんが来て、福田さんとも会い、これで今回の研修参加者8名(プラス私)が全員そろった。
 関西空港発香港行きCX507便はほぼ定刻どおりに出発した。ちょうど台風が来ていることと関係するかどうか、かなり揺れた飛行であった。揺れにも関わらず香港に近づいたのはかなり早かったと思うのだが、飛行機の外では、雷が頻繁に光っていた。機長のアナウンスによると嵐のため、香港の南には着陸を待っている飛行機が何機か待機しているそうで、天候の回復を待つとのことであった。1時間くらい旋回を続けたと思うが、ようやく着陸した時にはほっとした。(帰国後、同日午前に香港入りした同僚の藤井宏明先生に伺うと、この日の夜はとてもひどい嵐だったとのことであった。)
 香港でCX105便に乗り換え、定刻よりやや遅れて出発した。
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