山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)

英語教育、国際姉妹都市交流、ジョン・スタインベック、時事英語などの研究から趣味や日常の話題までいろいろと書き綴ります。

「加藤光男先生を偲ぶ」(日本ジョン・スタインベック協会Newsletter No.58, pp.14-16)

2015-01-03 02:38:12 | 日記
このほど、日本ジョン・スタインベック協会Newsletter No.58が、同協会事務局長の中垣先生の編集の元発行され、送付されました。

今号は、昨年8月に亡くなられた元協会長の加藤光男先生追悼号でもあり、僕も以下のような文章を寄稿させていただきました。

加藤光男先生を偲んで
                         山内 圭(新見公立大学)
 2014年8月27日、本協会の元会長である加藤光男先生がお亡くなりになりました。私は、20歳代半ばより、本協会に入会させていただきましたので、いくつかの場面で加藤光男先生にいろいろなことをご教示いただきました。まずは、そのことについて、謹んで感謝を述べさせていただきたいと思います。ですが、残念なことに加藤光男先生に対してはお詫びしなければならないこともあります。まずは、そのことについて恥を忍んで書かせていただきます。
 以前からの会員諸氏はご存知と思いますが、スタインベックの生誕100周年を記念して、本協会で『スタインベック―生誕100年記念論文集』が2004年に大阪教育図書より出版され、加藤光男先生がその編集委員長を務められました。先生は、同書の「あとがき」で「公募の結果本書にまとめられた13本の論文が選考され」(278)と書かれています。実は、私もこの論文公募に応じて、一編の論文を提出していました。文字通りの「拙論」であった、私の拙い論文を読まれて、編集長の加藤先生より手直しの上、再提出することを求められました。私は、当時、学内で中堅教員になりかけていて学内でも多忙を極めていて(と生意気に思っていました、今から考え直してみれば「言い訳」にすぎませんが…)手直しをする時間的余裕と能力がないのでというようなことを述べて、提出した論文を取り下げるという愚行を犯しました。加藤先生のせっかくの「愛の鞭」だったと思うのですが、私はずるくもその場から逃げ去ってしまったのです。今から考えてみれば、歯を食いしばって書き直せば、加藤先生から論文の指導を受ける貴重な機会となったはずだったのにと悔やまれてなりません。「若気の至り」とは、まさにこのことでしょうか。
 加藤先生とのエピソードは他にもいくつかありますが、他の会員との重複を避けるため、日本ジョン・スタインベック協会のNewsletterとしては少しふさわしくないかもしれませんが、フィッツジェラルドに関するエピソードを紹介させていただきます。正確な年は忘れてしまいましたが、1990年代後半だったと思います。本協会の懇親会二次会で加藤先生と向かいの席でお話しさせていただく機会がありました。その時に、加藤先生はフィッツジェラルドの短編小説 “The Ice Palace”と“Winter Dreams”は雪の描写がとても美しい物語であるという旨のことをおっしゃいました。勉強不足でフィッツジェラルドはThe Great Gatsbyくらいしか読んだことのなかった私は、この後、これらの短編を読んでみました。温暖地の静岡県出身で雪がほとんどない子ども時代を過ごした私が、赴任地として寒冷地新見に来て数年は経っていましたが、まだ雪や寒さには慣れない状態でした。従って、 “The Ice Palace”では、北部の寒さに馴染めない南部出身のSally Carrol Happerの気持ちが何となくわかるような気がしながら読んだ記憶があります。加藤先生のお話がきっかけで、フィッツジェラルドのこれらの作品を読んだことや、その感想などを、近いうちにお伝えすればよかったのですが、何となく話しそびれて年月が経ってしまい、結局報告できずに終わってしまいました。これも今となっては悔やまれることですし、お詫びしたいことでもあります。
 加藤先生が、これらのフィッツジェラルド作品について論文を書かれたことを伺っていたかどうか忘れておりましたが、今回、加藤先生への追悼文を書かせてもらうことになり、あらためて先生のご経歴等を調べさせていただいた折、先生が札幌大学外国語学部紀要『文化と言語』第32巻第2号(1999年3月)に「Fitzgeraldの世界(1)― “The Ice Palace”と情景描写」という論文を発表されていることを確認しました。懇親会でのエピソードも思い出した私は、早速、加藤先生のこの論文をインターネットでダウンロードし、読ませていただきました。論文中の作品分析やテーマ分析ももちろんおもしろかったのですが、さらにおもしろかったのは、北海道上川郡でお生まれになった加藤先生の子ども時代の雪遊びの様子が、脚注や本文中に垣間見られることでした。「昭和20-30年代の北海道では子供たちが馬橇に繋がることは普通の光景であった」(58)、「冬になると道路に積もった雪は現在のように除雪をすることはなく、固く踏み固められ、12月にもなると気温がマイナス20度などはざらであった。そうなると雪は氷のようになり道路で「雪スケート」をやったものである」(58)、「小学生の頃スキー場というより坂といった方がいいような所で、上級生の後に続いて滑る「後付き」という遊びを良くやっていた。腕白が先頭になって全員が一人ずつ坂を滑るのである」(61)、「天気の良い日には、街から1キロ余り離れた郊外の小・中学生が滑りに行くスキー場に良く行った」(62)、「さんざん遊んでいざ帰る頃になると、体は汗で濡れ、手袋もぐっしょり濡れてしまっている。雪国の日の入りは早い。傾きかけた太陽に追われるように帰るのだが、もう3時にもなると、結構冷えてくる。帰り道は敗残兵よろしくとぼとぼと歩き、次第に体は冷え、濡れた手袋は凍って手はすっかり冷たくなり、半べそをかきながらの帰還となるのだった」(62)などと、場所は違えど、まるでスタインベックのThe Red Ponyのジョディ少年や、彼の自叙伝的短編 “The Summer Before”(「あの夏」)に出てくる少年のことが思い起こされるような記述が見られます。雪国で生まれ育った加藤光男少年の姿も想像しながら、この論文を読ませていただきました。
 私の密かな自慢は、本協会の『スタインベック全集』において私が担当させていただいた「スタインベックの未収録短編小説について」が、加藤光男先生らが担当された『長い盆地』と同じ第5巻に収められているということです。
 加藤光男先生、いろいろとありがとうございました。そして、ごめんなさい。
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