先の記事で紹介した、日章旗返還ですが、この件に関する連絡等で、神奈川県にお住まいで日章旗の持ち主であった金子惣二さんの弟にあたる金子清蔵さんとは、厚生労働省からの連絡を取り次いだりなどしてお手紙を交わしていました。
金子さんからは、日章旗が返還された時の様子をお手紙や写真等でご報告いただき、ご両親の遺影に挟まれた惣二さんの遺影のもとに67年ぶりに日章旗が還った時の写真、惣二さんのお墓に日章旗がかけられた写真などを涙とともに見せてもらっていました。
この度、東京に行く用事ができましたので、せっかくの機会と、金子さんに連絡をして、清蔵さんにお目にかかりたい旨、惣二さんの墓前にご挨拶をさせていただきたい旨を伝え、快く受け入れていただきました。
8月12日(日)、藤沢駅に到着、この日章旗返還を『日本農業新聞』の記事として掲載されるのにご尽力くださったJAさがみの青木訓穂さんの出迎えを受け、金子さん宅にご一緒してくださいました。
金子さん宅ではとても温かく迎えてくださいました。
清蔵さんから、いろいろとお話を聞き、通常、仏事は50回忌までするのだが、お兄様の日章旗が67年ぶりに戻ってきて供養をしたこと、『日本農業新聞』だけではなく、『神奈川新聞』や地元のJAの広報誌でも取り上げられていること、近所でも話題になっていること、日章旗を保存してくれていたアメリカの退役軍人会、間を取り持ったニューヨーク州立大学名誉教授アル・マークス氏と僕にもとても感謝していることなどをお話くださいました。
僕としても、当初アル・マークス氏から相談を受けたときに、日章旗に書かれている70年近く昔のこの「金子惣二」さんという方の消息を果たして知ることができるかどうかと思ったのですが、御位牌を見せていただき「金子惣二」さんのお名前を目にし、本当に感激いたしました。
その後は、ご親戚の方に車に載せていただきお墓参りもさせていただきました。
平和を希求する姉妹都市交流に関わったおかげて、このような感動的な体験をすることができました。
金子惣二さんの日章旗はまさに日米が戦争をしていたことの何よりもの証拠なのですが、現在、日米間が平和な関係となり、姉妹都市交流ができているからこそ、戦争時代の遺物である旧日本兵の日章旗の返還がされたのです。
戦争を知らない世代が、あまり知ったふうに語ることは控えますが、二度と戦争の悲劇は繰り返してはならないと思いました。
また、日章旗の持ち主を探している頃から、若くして周りの人たちに送られてこのような日の丸を身に付けて出兵した戦時中の若者たちの気持ちはどのようなものだっただろうと、思いを馳せていましたが、この度、この日章旗の持ち主金子惣二さんの墓前に参らせていただき、わずかばかりの慰めの意を伝えることができたように思います。
このことは、僕の人生においてもかなり大きな出来事となりましたので、ここにご報告させていただきます。